遥かなり馬冑: 楽浪郡から紀伊・大和への道 1987/日根 輝己 (著)アイペック  この著者の、この著書が凄い!

アマゾンレビューをみてもまったく振り返られていないようで非常に悲しい…
全著作、すべてにレヴューが付いていない。

だが、私の読むところ、この和歌山新聞、元・記者の書く日本古代史本はどれもこれも鋭い。
7冊くらいあるが、ぜんぶ凄い。

過去に1度取り上げたことがあるが、一番読み応えがあったものを再度、取り上げたい。

 

 

tennkataihei.hatenablog.com

この和歌山新聞の記者による日本古代史の一連の本は非常に面白い。
まず、砕けたわかりやすい文章がいい。こういう方がリアルである。
4,5冊読んだが、すべて核心に迫るもの。知られていないが大したものである。

 

タイトルにある馬冑というのは、和歌山県の大谷古墳から発掘された馬の頭部にかぶせる馬の甲冑のようなものである。


紀伊大谷古墳出土品
きいおおたにこふんしゅつどひん

bunka.nii.ac.jp

大谷古墳は紀の川北岸にあり、築造時期は5世紀後半から6世紀初めごろとされる。 馬冑は昭和32年から翌年2月に京都大が行った発掘調査で発見。 鉄製で、長さ52・6センチ、最大幅は24・5センチ。 馬の顏を覆う面覆(めんおおい)、頭の上に立てる廂(ひさし)、頬当(ほおあて)の3つの部分からなる。2023/08/22


福岡県うきは市吉井町若宮で江戸時代、発掘された馬冑も同一種族が埋めたものだと推論する。
そして、その起源は朝鮮半島伽耶地域にあるとする。


馬冑の出土例

朝鮮半島伽耶地域 → 福岡県うきは市吉井町若宮で江戸時代、発掘された馬冑 → そして、和歌山県の大谷古墳

 

↑見事につながる。


私がこの人の本を高く評価するのは、とりわけ、「半島倭」と名付けて朝鮮半島南部は倭人が海を渡り根拠地を築いていたことを再三述べていること。
不思議なことに考古学者の奥野正男氏は高く評価するようだが、九州王朝説の古田武彦には言及がない。
例の広開土王の石碑をみればそれは一目瞭然でないか。

 

ただ、その際、カギとなるのは、畿内ヤマト政権の存在である。

畿内ヤマト政権に、水軍がない。
これまで遺跡も見つかっていない。

畿内ヤマト政権は「ひきこもり」政権である。
金剛山地の右側に引きこもって、外敵をシャットアウト。ひたすら、大古墳を作りまくっていた。

あんなに大層な古墳をたくさん作ってるんだから、朝鮮半島に進出して当然だと考えてる人・学者多すぎる!
逆じゃない?
あんなにたくさん古墳つくってるから、すべての労力を古墳づくりに削がれて、朝鮮半島に進出なんかできなかったのではないか。
任那日本府というのも畿内ヤマト政権がつくりだした作文である。


馬冑というものの3つの発掘事例を挙げ、日本に確かに渡来民はいたという確証を出してくる。

それでは、騎馬民族渡来説に万歳かといえばそうではない。
ここからが著者の凄いところ。騎馬民族渡来説には批判的である。

 

著者は、渡来してきたのは、朝鮮半島の支配者である漢人であるという。
私もいろいろ読んで考えるが、その説に大賛成である。
さらに言えば、海人主体の漢人混ざりとでもいおうか。

 

日本における、馬の育成方法が諸外国とはまったく違うという話もある。

端的に言えば、日本人は「去勢」を知らなかった?

だから、明治時代、例えば、1900年(明治33年)に北京近郊で発生した義和団事件において、諸外国の馬が参集した場で、日本の馬だけが興奮して暴れまわって手が付けられなったというエピソードがある。

こんなことが、「騎馬民族の末裔」にあり得るだろうか?


さらに言えば、騎馬民族がこんな大層な馬冑を作り馬にかぶせるだろうかと疑念を述べているところが素晴らしい。

 

さらに、いわゆる伽耶地域は「3,伽耶は倭だった。 56ページ」という。

例の魏志倭人伝陳寿が残した「魏志東夷伝」。
韓半島の実情を述べてる部分。

辰韓条、弁韓条、韓条の一節。いづれにも、

「…倭と接して…」とある。

 

松本清張も言ってるが、これは韓半島南部に倭人が住む地域があったことは疑いようもない。

 

さらに、広開土王碑をめぐるちょうせんじんの批判に対して、その熱いナショナリズムに対して批判する。
碑文を改ざんまでして! といった無茶苦茶な批判に対してこの反論はきわめてまっとうだ。
言い返せない、反日サヨク歴史学者たちは引退した方がいい。


最後に、これをどうしても書きたかったという、素晴らしいことを著者が述べている。


第4部 天皇への道  2,志紀県主は先住部族の首長 258ページ

大和朝廷の始祖とされる神武天皇が即位した橿原の地が磯城(シキ)で、古市古墳群のあたりも志貴(シキ)と呼ばれている点である。
「しき」という言葉には、半島倭から北部九州を経由してきた部族の聖地にからまる何らかのいわれがあるのではないだろうか。
彼らが王都としてきたところを必ず「しき」と呼ばれていることに注目したい。


じつは、福岡県 御所が谷の神籠石もかつて、ほとぎやまと呼ばれていた。

ほとぎやまとは、シキ、あの正岡子規のシキである。

↓ これが偶然とはとても思えないのだ。


2024-02-25

 

tennkataihei.hatenablog.com

 

 女神信仰と邪馬台国 田中了一著・2000年 自費出版 邪馬台国だけではなく、「倭国」の実態も、もしかしたら、この辺りにあったのではないか?

以前、一度取り上げたことがあるが、15年くらい前に神保町の古本屋で4冊まとめて手に入れた本である。
繰り返し読むたびに、これは凄い核心を突いた珍本ではないかと思えてきた。


九州北部に、大宰府を取り囲むように造られた謎多き神籠石の遺跡のことは知っているだろう。
山口県や四国にまで発見されたが、なぜか、古事記日本書紀には一切記述がないというアレである。
ズバリ、これが卑弥呼の居城ではないかというのが田中了一氏、歴史学者・重松明久氏の見解である。 

 

とくに福岡県にある御所が谷の遺跡に注目したい。
今でも立派な水門が残っているが、たかが排水のためにこんな立派な水門をつくらないだろう。
私はこの水門で、まじない札と禊の神事が行われていたのではないかと思う。

御所が谷、神籠石という名称も何やら意味深ではないか。
それにこの近辺は、古来より、神代の昔から美夜古(みやこ)と呼ばれていた。


「……しかもこの地域は中臣郷であり、祭神官を司っていた中臣氏にふさわしい祓郷村や、祓川があり、中臣氏に神事のありかたは、祓うということをもちいていた。また伊勢斎宮の地に祓川があり、このことから欽明は斎宮を立て、天照大神を祀った御神体は中臣郷の祓川そばにある豊日別宮こそが、伊勢の源神であり、神鏡に魂を入れ御神体として運ばれ、斎宮の祓川は源神の聖地に流れる祓川にちなんだものとみられる。」
 

この秡川の上流の水源地がまさに御所が谷の神籠石である。

東京から現地へ5回ほど行ったが、本州、山口県側に石垣が積まれていることを考古学者のだれも指摘しない。
つまり、本州、山口県側からの敵に対して造られたということだ。

しかも、石垣を積まれた御所が谷の神籠石から海まで九州、みやこ平野という平らな土地が続いており、「逃げ城」としては非常に優秀である。


しかも付け加えれば、ここは「隋書倭国伝」の「秦王国」である。
隋書俀国伝(貞観二年(628)唐の時代の書物) 

 

「明くる年(大業四年、608)、お上(煬帝)は文林郎の裴世清を使者として倭国へ派遣した。百済へ渡り、竹島に至る。

南に耽羅国を望み、はるかな大海の中にあるツシマ国を経て、また東のイキ国へ至り、またチクシ国へ至る。
また東の秦王国に至る。その人は中国人と同じで、夷洲と考えるが、はっきりしたことはわからない。また十余国を経て海岸に到達する。
チクシ国以東はみな倭に付属している。」

 

↑これが、ここが最重要。当時のシナ人からみて、まぎれもなくそこに住んでいた人たちはシナ人だったと言ってる。

同行者の倭人から聞き及んだのであろう。じっさいにそこに降り立ったのではない。船から眺めただけだ。

裴世清の倭の記録は、九州内で完結する。現在の福岡県行橋・京都(みやこ)群みやこ町の辺りだ。

古代戸籍に載っているその地域の件の姓は、同じ姓の者が六国史の「続日本後紀」に承和二年(八三五)に「秦公」の姓が与えられたという記録が残っている


併せて読みたい

 

紀氏は大王だった: 消された邪馬台国東遷と紀氏東征 1995/日根輝己 (著) 燃焼社
第1部は邪馬台国の東遷と紀伊・熊野が本州における「イズモの原郷」である事を中心に立証。第2部は邪馬台国の後を追うように紀伊にやってきて大和で王権をたてた紀氏の「奪われた歴史」の回復と紀氏こそ大王だった事を立証。
 

謎の画像鏡と紀氏: 銘文は史読で書かれていた 1992/日根輝己 (著) 燃焼社
出所不明で造作も幼稚な隅田八幡画像鏡が何故国宝に指定されたのか? 「最古の日本文」とされた銘文が吏読(漢字の朝鮮式表記)だったとしたら…。謎の豪族・紀氏とのからみの中で、古代史の疑問を考える。
 

紀氏の研究―紀伊国造と古代国家の展開 (日本古代氏族研究叢書) 2013/寺西 貞弘 (著)  雄山閣
 

謎の巨大氏族・紀氏 1994/内倉 武久 (著) 三一書房
四~六世紀、日本列島の主導権を握っていた紀氏は西日本全域に勢力を張り、朝鮮半島に攻めこんで王を名乗ろうとした。大和政権はあまたの歴史書を没収し、古代史を書き換え、紀氏の活動も消された。

 

邪馬台国の研究」(重松明久)昭和44年刊 白陵社

「神代帝都考」狭間畏三 (著) 昭39。明治32年版の再刊。

豊前王朝―大和朝廷の前身 2004/2/1大芝 英雄 (著) 同時代社


2023-12-26
孔子伝」(白川静)における、第4章「孔子の批判者たち(墨子)」、及び「古代国家と道教」(重松 明久)1985における、「大卒」発見について

 

 

豊日別宮 女神信仰と邪馬台国 田中了一著・2000年 自費出版 邪馬台国だけではなく、「倭国」の実態も、もしかしたら、この辺りにあったのではないか?

以前、一度取り上げたことがあるが、15年くらい前に神保町の古本屋で4冊まとめて手に入れた本である。
繰り返し読むたびに、これは凄い核心を突いた珍本ではないかと思えてきた。
ここに紹介するからどしどし意見を寄せて欲しい。

 

 

tennkataihei.hatenablog.com

 


2023-05-12
「南、邪馬壱国に至る。女王の都とする所なり。次は奴佳鞮と曰ふ。七万余戸ばかり。」奴佳鞮 なかて? ぬかて?ズバリ これが中臣氏ではないか? 豊日別宮 女神信仰と邪馬台国 田中了一著・2000年 自費出版

 

天孫邪馬台国に降った : 豊日別宮 田中了一/著  2008 自費出版

高天原と日本誕生を説く : 日本神道は大伴氏が開いた 田中了一 著 1996 自費出版

豊日別宮 天孫邪馬台国に降った : 神楽の源流を発見 田中了一 著 2008 自費出版

 

邪馬台国だけではなく、「倭国」の実態ももしかしたら、この辺りにあったのではないかと思えてきた。
4冊を読んだ感想である。


「昭和47年、福岡県行橋市大字草場(現、南泉7丁目)に鎮座している、官幣大神・豊日別宮より、歴史的に名高い古代大和の巨大豪族、大伴氏の古文書と共に、神官・大伴氏系図が発見された。」

「官幣大神宮から発見された古文書によると、最祖神官・神牟根奈里(コウムネナリ)という名がみえている」

「この人物は、6世紀29代欽明天皇(540年即位)時代、豊前国の阿賀波多村におかれていた社務所にて、神事を司っていた。」

 

福岡県行橋市にある豊日別宮の近くに住む田中了一氏が、これに基づいて4冊の本を書きあげている。

 

古事記日本書紀の編纂が行われた頃の編纂側の中臣氏や藤原氏邪馬台国の位置と、女王卑弥呼のお墓がある場所までも正確に知っていたことは確かであります。」

 

大伴氏系図というもの、写真が載っているが、新しいもので代々書き写されてきたもので、それ自体が古いということではない。

ただ、この激動の時代、中臣氏に縁戚つながりのある最祖神官・神牟根奈里(コウムネナリ)という人物がここにいて、宇佐神宮の開基から、ここに住んでいた人たちの京都・深草への移住と、日本史の激動の時代の種明かしをしている可能性がある。


九州北部に、大宰府を取り囲むように造られた謎多き神籠石の遺跡のことは知っているだろう。
山口県や四国にまで発見されたが、なぜか、古事記日本書紀には一切記述がないというアレである。
ズバリ、これが卑弥呼の居城ではないかというのが田中了一氏の見解である。 

 

とくに福岡県にある御所が谷の遺跡に注目したい。
今でも立派な水門が残っているが、たかが排水のためにこんな立派な水門をつくらないだろう。
私はこの水門で、まじない札と禊の神事が行われていたのではないかと思う。

御所が谷、神籠石という名称も何やら意味深ではないか。
それにこの近辺は、古来より、神代の昔から美夜古(みやこ)と呼ばれていた。


「……しかもこの地域は中臣郷であり、祭神官を司っていた中臣氏にふさわしい祓郷村や、祓川があり、中臣氏に神事のありかたは、祓うということをもちいていた。また伊勢斎宮の地に祓川があり、このことから欽明は斎宮を立て、天照大神を祀った御神体は中臣郷の祓川そばにある豊日別宮こそが、伊勢の源神であり、神鏡に魂を入れ御神体として運ばれ、斎宮の祓川は源神の聖地に流れる祓川にちなんだものとみられる。」

 

この秡川の上流の水源地がまさに御所が谷の神籠石である。

東京から現地へ5回ほど行ったが、本州、山口県側に石垣が積まれていることを考古学者のだれも指摘しない。
つまり、本州、山口県側からの敵に対して造られたということだ。

 

しかも、石垣を積まれた御所が谷の神籠石から海まで九州、みやこ平野という平らな土地が続いており、「逃げ城」としては非常に優秀である。


太宰府観世音寺に残る日本最古の鐘・梵鐘とそれに残されている刻印について。

この梵鐘には銘がないが、いたずら書きのような印刻の文字が3か所にある。

 

「第二の銘は、梵鐘右前方の小口にありて、「上三毛」の3字を見るのみ」
                  考古学者・中山平次郎 大正5年

 

謎を解くカギは、これまた北部九州に残る日本最古の戸籍である。
「上三毛」とは、豊前国上三毛をさし、そこは秦氏の集住地であった。
具体的に名前までわかっている。

鋳工や銅工だらけである。
しかもここは少し行った北部に香春岳という銅山がある。
「上三毛」とは、北部九州豊前国のことである。
 

しかも付け加えれば、ここは「隋書倭国伝」の「秦王国」である。
隋書俀国伝(貞観二年(628)唐の時代の書物) 

 

「明くる年(大業四年、608)、お上(煬帝)は文林郎の裴世清を使者として倭国へ派遣した。百済へ渡り、竹島に至る。

南に耽羅国を望み、はるかな大海の中にあるツシマ国を経て、また東のイキ国へ至り、またチクシ国へ至る。
また東の秦王国に至る。その人は中国人と同じで、夷洲と考えるが、はっきりしたことはわからない。また十余国を経て海岸に到達する。
チクシ国以東はみな倭に付属している。」


さらに、いわゆる倭の五王のなかの、武王の見事な上表文。

倭王武の上表文
倭の五王の最後の倭王武は、宋の昇明2(478年)5月、宋の皇帝順帝に上表文を奉っている。

この第1段とも謂うべきところが特に有名である。
この上表文には、『春秋左氏伝』『毛詩』『荘子』『周礼』『尚書』等から引かれているものが見受けられるという。
例えば、「躬ら甲冑を環き、山川を跋渉す」などは『春秋左氏伝』にも見られる字句である。この上表文を書いた倭王朝官人の漢文の教養の深さが窺われる。 「倭の五王」のうちの倭王武は、雄略天皇に比定されることもあるが確証はない。


順帝の昇明二年、使を遣わして上表す。いわく、

「封国は偏遠にして、藩を外に作す。昔より祖禰躬(みずか)ら甲冑をツラヌき、山川を跋渉し、寧処に遑あらず。

東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、
^^^^^^^^^^^^^^^         ^^^^^^^^^^^^^^^
渡りて海北を平ぐること九十五国、王道融泰にして、土を廓(ひら)き、畿を遐(はるか)にす。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^

雑誌「東アジアの古代文化」に載ってた「倭の五王、武王の上表分は、中国古典の貼り合わせ」(掲載年度、執筆者は忘れてしまった)を読んで、考えされられたものである。唯一、武王の書いたものとされるのが、上表分の中の、倭王武からみて、朝鮮半島を指す「海北」という倭の五王の発信地の記載である。

 

皆さん、どうか日本地図を見て欲しい。
「海北」とは九州から見てそのもズバリ「海北」だ、畿内からでは、「海西」になってしまうのではないか。

 

しかも、武田幸男という歴史学者がかつて、古田武彦の九州王朝説(大宰府、八女、久留米あたりに首都があったとする)に対して、「西は衆夷を服すること六十六国」ではおかしいではないかと、鬼の首を取ったように書いていたが、そういう疑問も豊前にみやこがあったとすれば完全解決する。


10.邪馬台国    
 南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
  官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七万餘戸
南(行)して、邪馬壹(臺の誤り)国(やまとこく)にいたる。女王の都とするところである。水行十日、陸行一月である。
官に伊支馬(いきま)がある。次(官)を弥馬升(みまと)という。(その)つぎを弥馬獲支(みまわき)といい、(その)つぎを奴佳(なかて)という。
七万戸ばかりである。

 

豊後国風土記(8世紀前半)にも豊前仲津郡中臣村とあり、倭名類聚抄(931年 - 938年)にも中臣郷とある。
中臣氏は、ここに、九州北東部に確かにいて、邪馬台国の高級官吏だったのではないか。

奴佳鞮 なかて? ぬかて?ズバリ これが中臣氏ではないか?


併せて読みたい

 

藤原不比等1997/3/1いき 一郎 (著) 三一書房

邪馬台国の研究」(重松明久)昭和44年刊 白陵社

「神代帝都考」狭間畏三 (著) 昭39。明治32年版の再刊。

豊前王朝―大和朝廷の前身 2004/2/1大芝 英雄 (著) 同時代社


2024-01-18
物理学者が解き明かす邪馬台国の謎 卑弥呼の本名は玉姫であり、邪馬台国太宰府にあった 2022 下條竜夫 (著) 秀和システム

 

2023-12-26
孔子伝」(白川静)における、第4章「孔子の批判者たち(墨子)」、及び「古代国家と道教」(重松 明久)1985における、「大卒」発見について

 

2023-08-18
清明上河図』を知っていますか? 舞台が古代の日本、それも博多だとしたら… 『日本国王室全滅亡 東アジアの悲劇』(2018.10.10発行)米田良三

 

 

ロマン的日本超古代史論 (1985年) /木村 信行 (著)日本歴史研究所 日本超古代遺跡紀行 木村信行1988年 超古代の日本列島に何があったのか?

むかし手に入れた本だが、古本価格はその後落ちていないようだ。
超古代の日本列島に何があったのかを探究してる2冊の名著である。
「ロマン的日本超古代史論」が文献探求編、そして3年後に書かれた「日本超古代遺跡紀行」が実地探索編である。

 

竹内文書」だけでなく、「九鬼文献」、「富士文献」、「上津文ウエツフミ」、「秀真伝ホツマツタエ」、など日本に古来から伝わる古史古伝のたぐいを総ざらいして、いっぺん現地(特に天皇陵を中心にして)に行ってみた「「竹内文書」の謎を解く」の先駆的な著作。

調べてみると、八幡書店で売っているようだ。
宣伝文句も振るっているのでそのまま引く。


太古の神々と天皇の陵墓の詳細な調査記録! 衝撃の巻末付録に圧倒!
日本超古代遺跡紀行 菊判函入・上製本
木村信行=著 日本歴史研究所刊 菊判函入・上製本
なんと!超特価!
9,800円→5,280円(本体4,800円+税10%)

 

『ロマン的超古代史論』に続く、さらに驚異的な研究調査報告。本書の「超古代遺跡」は磐境やピラミッドに限らない。中心は神武以前の歴代の太古天皇の御陵である。筆者は古史古伝に記されたそれら太古天皇の御陵をすべて地域別に整理してマッピングし、そのすべてを訪ねて現地報告したのが本書。不思議なことに、それらの大半は土俗的な民俗伝承が背後にある聖地や神社で、仮に偽書説に立つにしても、古史古伝の背後には見えざる伝承網があることがわかり、興味深い。巻末の60頁に及ぶ神代陵墓一覧表や地図は圧巻。思わず本書を片手に探訪の旅に出かけたくなる一冊。

 

著者の木村信行氏は、80年代に交流のあった在野の古代史研究者である。古史古伝に対して正面から向き合い、その語るところをあるがままにこのような形で整理検証した人は他にはなく、この2冊は今こそ再評価されるべきであろう。いずれも30年以上の時を経てたまたまストックされていたものの放出なので、部数に限りがあり、また保管の関係で多少の瑕や埃などがあることはご容赦頂きたい。(武田崇元

 

日本超古代遺跡紀行 菊判函入・上製本
太古の神々と天皇の陵墓の詳細な調査記録! 衝撃の巻末付録に圧倒!
希望小売価格 : 9,800円
価格 : 5,280円(本体4,800円+税10%)
木村信行=著 日本歴史研究所刊 菊判函入・上製本
https://www.hachiman.com/shopdetail/000000000452/


本書によれば天皇とは… 33ページ。 第2章 天皇

超古文書、とりわけ竹内文書などによれば、神武天皇以前の日本の支配者を「天皇」という称号で呼んでいる。
そのため、世の中から「偽書」の烙印を押され、戦前は特高の弾圧まで蒙り、日陰の道を歩いてこざるを得なかったのである。
しかし、これらの書物がかりに偽書としても、書かれていることがすべてウソだとは限らない。

むしろ、日本書紀古事記以上、詳細に日本古代の歴史を説明してくれる書物がすべて虚構だとしたら、何のために、どうやってそれを作り、なぜ命をかけて子々孫々に伝承する必要があったのかを説明しなくてはならない。

私は、これら超古文書をくまなく調べ、そこに書かれている内容が真実だと仮定したら一体どうなるのか。

さらに一歩すすめてこれら超古文書間の異動(各古文献間には、記述に矛盾・対立する部分が存在する)をうまく説明する一つの理論を導き出し、それを真実だと仮定したら、日本、いや世界の歴史はどう説明づけられるのかという一つの「試み」をしてみよう。


神武東征以前に、ウガヤフキアエズという73人の天皇がいて、それらをまとめたものが、ざっくりいうと、これら日本に残る古文献である。

 

 

tennkataihei.hatenablog.com

 

日本に古くから伝わる古史古伝に一致する記載が見られる。
これは驚くべきことだ。
例えば、布施氏も取り上げている「羽根のライン」の不思議。


それは東経137度11分の経線上に日本海側から太平洋側にかけて連なる「羽根」という地名のラインだ。いっぺん地図で見ることをお勧めする。あっ!と驚くこと請け合いである。

経線に沿ってラインを正確に引く技術(経度を正確に測る技術)は、18世紀に精密な機械時計が発明されるまでなかったとされている。
ところが「羽根のライン」は、江戸時代以前からあったのだ。この驚異の測量は誰が実施したのか。
大和朝廷を含む「時の政権」が国家事業として測量したのであれば、記録が残っているはずだが、その記録はない。
ということは時の政権とは一線を画すような王朝なり、王国なり、技術集団なりが過去において存在していたことになる。


第三〇世 クニノトコタチ天皇

釜鍋を鳴動して善悪を明確にする祭事を始めさせた。

飛騨の位山大宮を仙洞にした。

祖来ヶ岳に、羽根飛登行所(空港)を造り、羽根と名付ける。

 

天皇が即位するときに使う、杓(しゃく)というもの。聖徳太子肖像画でお馴染みの両手に捧げ持っているあの木の板のこと。あの木の板が、この地方のいちいの木からからしか作られない、そういう風にきまっているというのも何やら奥深いものを物語っているような気がする。



第44世 ホホデミ天皇

九州大隅の国見ヶ岳に遷都。
兄皇子・ホスセリ尊に海幸を司らせ、釣り針と竿を与え、弟皇子には弓矢を与え、山幸を司らせた。

この地方から日本最古、最大の弥生時代の釣り針が発掘されてる。
この地方には古くから、「海彦山彦」の伝説が伝わる。
「神代帝都考」狭間畏三 (著) 昭39。明治32年版の再刊。

もしかしたら、この地方が「海彦山彦」伝説の発祥ではないかと思わせる。


ところでここに2冊の本がある。

にっぽん字の発掘 (1967年) 酒井 由夫 (著), 三村 侑弘 (編集)山中芸企

竹内文書原典解読集I 超古代日本の神ながら正統史 ― 改訂版 (酒井由夫遺稿シリーズ1) 2008/6/20 酒井 由夫 (著), 山本 根菜 (編集)ヤマ トランス

 

国家の品格」(藤原正彦著 新潮社)という最近のベストセラーの論旨の一つは、「古くから伝わる伝統・慣行・行事・作法・手順等には、歳月を重ねた深い意味合いが込められているのであるから、論理的屁理屈を捏ねずに、まずは受け入れ実践せよ、それから考えよ」と云うようなことであったかと思う。 しかし、「そうは云われても、どうしてもその由来・歴史的背景など何か取っ掛かりを追求しないと気が済まない」と言う向き(根拠追求派)には、本シリーズは必携の書である。それらに関する本筋の暗示が詰っているからである。


酒井 由夫 (1895-1975)。
明治28年長崎県島原市生まれ。東京帝国大学医学部卒業。医学者。
潜水病、慢性麻薬中毒の多くの患者を救ったことで知られる。
昭和17年、朝日賞受賞。

 

この人物、医業のかたわら、竹内文書の研究に従事。
生前の出版は1冊だけだが、死後、このようにして遺稿が出版される。

 

竹内文書原典解読集 酒井由夫 著 ; 山本根菜 編    ヤマトランス 星雲社 2012.8
葺不合朝正統史・陰陽(おんみょう)五行・古事記問題 : 他    酒井由夫 著 ; 山本根菜 編    ヤマトランス 星雲社 2010.8
太古代日本の固有文字・仏魔行・葺不合朝前期正統史    酒井由夫 著 ; 山本根菜 編    ヤマトランス 星雲社 2010.11
超古代日本の神ながら正統史 酒井由夫 著 ; 山本根菜 編    ヤマトランス 星雲社 2008.6
上古代日本の神ながら正統史・暦・文字 酒井由夫 著 ; 山本根菜 編    ヤマトランス 星雲社 2008.8
葺不合朝正統史・陰陽五行・古事記問題 : 他    酒井由夫 著 ; 山本根菜 編    ヤマトランス 星雲社 2007.4
超古代日本の神ながら正統史 酒井由夫 著 ; 山本根菜 編    ヤマトランス 星雲社 2006.7
にっぽん字の発掘    酒井由夫 著 ; 三村侑弘 編    山中芸企 1967 東洋医学原論 : 三陰三陽病の新解釈 酒井由夫 著 新月社 1966


木村信行氏の労作、2作を参照し、酒井由夫氏の著書でますます、日本列島の超古代に何かあったという確信が持てている。
何かが日本列島の超古代に存在したことは明らかではないだろうか?
今はそれしか言えない。


著者木村信行氏のサイト ↓

http://nihonrekishiken.com/map.htm


併せて読みたい

 

tennkataihei.hatenablog.com

 

tennkataihei.hatenablog.com

 

 

日本とアメリカ 戦争から平和へ《中》 コミンテルンの策謀、満州国、盧溝橋、南京陥落からノモンハンまで (ソフトカバー) 2017/長浜浩明 (著)アイバス出版

『新版 国民のための日本建国史』で、古代史に一石を投じた著者による近現代の日本戦争史の第1弾。 日本が関係する戦争の背後には、つねにアメリカの深謀が存在する! 本書では、アメリカの国の成り立ち、そしてなぜ日本が日清・日露戦争へ突き進んだかの真実に迫る。

長浜浩明著、理系が考察した日本戦争史第2弾! スターリンルーズベルトヒトラーと東西のリーダーの思惑が極東で絡み合い、世界を大きな渦へと引き込んでゆく様子から、満州事変、南京大虐殺など、日本の歴史を大きく動かした事件を丁寧に語る。

 

全3巻からなる、長浜浩明氏による見事な現代通史だが、今回はとりわけシナとの絡みを描いている第2巻にスポットを当てたい。
これを読むと、大日本帝国四面楚歌で、悲しくなってくる。

日本が悪いわけでは一切なく、敵の一方的な悪宣伝にしてやられたということがよくわかる。
その最たるものが「南京大虐殺インチキウソ話」である。

 

2023-05-15
「もしかして、この人、南京大虐殺なんか信じてる??」 GHQは日本人の戦争観を変えたか 「ウォー・ギルト」をめぐる攻防 (光文社新書) 2022/賀茂 道子 (著)

 

tennkataihei.hatenablog.com

 

その中でも、実を取った満州国建設は大日本帝国の打ち立てた偉業だということがよくわかる。

過去の日本とシナの軋轢はいったん置き、現在、共産党シナ帝国が崩壊中である。

 

最近、中国の不動産が破綻して2000兆円もの負債を抱え、臭菌平がロサンゼルスでバイデン大統領と久々に会談した際、これは噂レベルだが、1500兆円もの援助を要請したと伝えられた。

北京大学を出ても大部分の学生が就職できず、それどころか、地方財政も破綻し給料が出ず、中国各地でデモ、抗議活動が活発化している。
日本のバブル崩壊、地価下落とは根本的にちがうこの問題の根は深い。

地価が永遠に上がると見越して国家そのものが同元になって、中国国民に博打を張らせていたものだから、資本主義だか社会主義だが、よくわからない存在形態も混乱に拍車をかける。

破綻しても回復できないのではないか。
日本のバブル崩壊も地方公務員に給料が出ないところまで追いつめられてはいなかった。
あらゆる兆候、諸表をみるにつけ、これは回復不能だと言い切ってもいいと思う。
ゆっくり、分裂崩壊に向かっているその最中だといえる。


岸田さんよ、在日米軍を日本の雇い兵にしてくれよ、でないと撤退するよ!(2024.2.19)増田俊男の無料インターネットセミナー
増田俊男チャンネル チャンネル登録者数 2.76万人
https://www.youtube.com/watch?v=hdbjI6aJKvA&t=25s

 

増田俊男氏が他番組で言っているが、アメリカ軍は着々と日本から引き揚げる準備をしているらしい。サンディエゴ近郊に兵隊が住むための兵舎を建設中とのこと。


日本が在日米軍を買収し第七艦隊を吸収・合併する日 宮崎正弘 (著) ビジネス社2015/5/9

アメリカと中国の半冷戦、北朝鮮ミサイル問題、ロシア北方領土案件。日本を取り巻く国際情勢不安が取り沙汰される昨今、この荒波をどう乗り切るかを元陸自幕僚長・陸将の福山隆氏が、軍事で培った経験と目線で提言する、新しい地政学書が誕生!各国軍事を解説しつつ、米中激突や朝鮮半島地政学に言及していきます。

 

(読者の声2)貴著『日本が在日米軍を買収し、第七艦隊を吸収合併する日』(ビジネス社)を拝読しました

 嘗て外航海運に携わった者として、中国による南シナ海での岩礁埋め立て、軍用飛行場などの軍事施設建設の
動きには、大変な危機感を持って日本政府の対応を見守っております。
 もし、南シナ海が中国の内海となってしまえば、航行の自由は侵害され、我が邦の海の生命線は断たれてしまいます。その場合を想定すると恐ろしい事態となるでしょう。
 ロンボク/マカッサル海峡ルートでは片道約3.5日、往復で一週間の遠回りとなり、現在の約6週間の航海が7週間へと16%増となってしまいます。
このロンボク/マカッサル海峡ルートも必ずしも安全とは云えず、最悪の場合、メルボルン沖/グアム周りのルートしか残らないでしょう。その場合をざっと計算してみると離路は片道約3週間、往復6週間、合計で12週間の航海となります。
 南シナ海ルート(6週間)と比べ約2倍の航海となり、必要船腹量は2倍となります。船舶保険料、船員費の高騰に伴い海上運賃は暴騰すると考えます。
既に外国人船員に頼る中、必要船員数が確保出来るのか?も大問題です。当然、中国人船員は雇用対象外です。
この秋、日本経済は破滅的大打撃を被る事になり、かかる事態は絶対に避けねば為りません。

 憲法改正をも含めた中国への抑止力増強は喫緊の課題と存じます。その為には最低3セットの空母and/or強襲揚陸艦を中心とする打撃群、出来れば5セット体制の構築を祈念します。理想は、2セットを東・南シナ海域での哨戒とシーレーンの防衛に従事させ、1セットは対馬日本海域で北朝鮮とロシアを睨み、
残り2セットは補給・休養・保守整備に必要でしょう。
 しかし残された時間は少なく、また軍資金も乏しいのが現状と考えます。

そこで、我が邦が保有する1.2兆億ドル(約145兆円)を超える巨額の米国債の一部(約三分の一)を取り崩し、米海軍中古艦船(空母、強襲揚陸艦イージス艦、その他艦船)やその他装備の購入に充てる、と云う案は如何でしょうか?


 この場合の日米両国のメリットとして、日本側には
不良債権化する可能性大の米国債を有効に活用(消却)出来る
・必要な艦隊・装備を短期間で調達出来る
・米海軍将兵を雇い入れる・中国に対する抑止力増強となる
・対中国防衛網に米国を組み入れる(巻き込む)事が出来る

米国側には
国債の利払い負担が減る・財政再建に繋がる・単に廃船するより資源(中古艦船)が金を生む
・米海軍将兵の失業対策になる・ケナンの戦略に合致する
などが有ると愚考している次第です。(T生、長崎)

 

↑9年前の宮崎正弘氏の著作「日本が在日米軍を買収し、第七艦隊を吸収合併する日』(ビジネス社)に対する読者の声だが、大いに気になって保存していたものである。


そこで、我が邦が保有する1.2兆億ドル(約145兆円)を超える巨額の米国債の一部(約三分の一)を取り崩し、米海軍中古艦船(空母、強襲揚陸艦イージス艦、その他艦船)やその他装備の購入に充てる、と云う案は如何でしょうか?

 

↑これはいけるのではないか? とくに、トランプ大統領になれば、お互いウィンウインになればいいのだから、とにかく日本側が持ちかけてみる話だろう。

それに、かつて橋本龍太郎総理や中川大蔵大臣のように、いきなり、米国債を売ってしまいたいというようなアメリカから見てショッキングな発言でもなく、
交渉ごとの一環だ。


トランプ氏「対北朝鮮で日本の核兵器保有を容認」 https://youtu.be/M50ESftED1M?t=25s

在日米軍経費は全額、日本が支払え、さもなければ撤退だ
  トランプ、CNNインタビューでどぎつい一発
**********************************
 「あなたは日本の核武装を認めるのか」とCNN記者のインタビューにドナルド・トランプは傲然と過激な一発をくりだした。

「そう、もし日本が在日米軍経費を全額支払わず、われわれが撤退したら、北朝鮮の核を前に、日本はほかにどのような手があるのか?」。

 この衝撃ともとれる見解は、トランプが従来の発言を繰り返した過ぎないが、5月4日という日は、トランプがインディアナ州予備選を勝利して、ほぼ共和党正式候補のチケットを手中にした日である。これまでの空砲とは異なってリアリティがある。

 同時にトランプらは「韓国とドイツも同様」として、とくに日本を攻撃しているわけではない。韓国は日本同様に50%の経費を負担しているが、トランプはその数字を知らなかったようだが、「全額だ」と切り返した。
 
トランプ氏「対北朝鮮で日本の核兵器保有を容認」
https://youtu.be/M50ESftED1M?t=25s


「私たちが日本の憲法書いた」=トランプ氏の核武装論を批判-米副大統領★ 

2016/08/16(火)【ワシントン時事】
バイデン米副大統領は15日、ペンシルベニア州スクラントンで米大統領選の 
民主党候補ヒラリー・クリントン国務長官(68)の応援演説を行い、「私たちが(日本が)核保有国になり得ないとうたった日本の憲法を書いた」と発言した。 
  大統領選の共和党候補ドナルド・トランプ氏(70)が主張する日本や韓国の核武装容認論を批判したものだが、  副大統領が日本国憲法を「私たちが書いた」とあからさまに言うのは異例。バイデン氏は、「(トランプ氏は)学校で習わなかったのか? 
 彼に(大統領として)核兵器発射コードを知る資格はない」とも攻撃した。  
  一方、バイデン氏は6月、米公共テレビ(PBS)のインタビューで、中国の習近平国家主席に対して、北朝鮮の核開発
阻止で協力を求める文脈で「日本は事実上、一夜で核兵器を製造する能力がある」と語ったことを明らかにしている。(2016/08/16-06:54) 
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016081600107&g=pol 

 
アメリカには大きく分けて2種類の人間、陣営があると話が分かりやすい。
例えば、反日ユダヤ民主党系の人間。

これには日本核武装の何を言ってもダメ。
猜疑心の塊。

対して、共和党系のアメリカ人。これは大いに話せる。
つぎにトランプが大統領になったらその時が日本にとって、ラストチャンスかもしれない。


支那朝鮮人反日バカチョンコ左翼の願望(妄想):「日本が核武装すると日米同盟が破棄される、孤立する!!」 

●…現実:↓ 

「我々に必要なのは核武装した日本だ」 http://www.youtube.com/watch?v=0TjgNRfGbAE 

Fox News " We Need a Nuclear Japan " Columnist Charles Krauthammer ( Japanese subtitle ) 2009年5月31日 

もうゲームオーバーだ。我々は15年に渡って北朝鮮と交渉してきた。 
クリントン、ブッシュ、オバマと3代政権の下でだ。その交渉はただの敗北ではなく屈辱であった。 
もうタイムオーバーと認識する時期にきている 
北朝鮮はもう核保有国になったのだ。それはもう止められない 
今唯一の課題は実際に何をするかということだ。私ならこうゆう。
 
国連決議など忘れてしまえ。6ヶ国協議など忘れてしまえ。 
2ヶ国間協議も忘れてしまえ。今我々が必要としているのはアクションだ。 
そしてアクションNO1は、日本の核武装(Nuclear Japan)だ。 

 

 ↑アメリカは半島から引き上げていくし、在日朝鮮人の帰還再開とスパイ防止法、日本の核武装は不可避だよ
 スパイ防止法は必須 チョンコが社員に存在する報道機関は制限を加えること 記者クラブ追放とか 
 人犬弁護士も免許更新制にしてすべて手遅れになるまえに掃討したほうがいい  
 だれもたすけてくれません…
 マスコミの敵性反日外国人の存在は間接侵略(安全保障案件)
 問題ですよ チョンコの書き込みといっしょ
 領土紛争抱えてて、もしかしたら、明日、韓国と開戦するかもしれないのに…

 

支那朝鮮人反日バカチョンコ左翼の願望(妄想):「日本が核武装すると日米同盟が破棄される、孤立する!!」 

●…現実:↓ 

●米有力議員、「家族会」に拉致解決へ核武装論議提案  2011.7.12 産経新聞

【ワシントン=古森義久北朝鮮による日本人拉致事件の「家族会」「救う会」「拉致議連」の合同訪米団が11日、ワシントンで米国側の政府高官や議員との一連の会合を開始。 
 下院外交委員会の有力議員からは、北朝鮮に拉致と核開発で譲歩をさせるために日本も独自の核武装論議すべきだという提案を受けた。訪米団は家族会の飯塚繁雄代表や、救う会島田洋一副会長のほか、拉致議連平沼赳夫会長をはじめとする衆参両議員8人らで構成。同日午後、下院外交委員会の有力メンバーで
中東・南アジア小委員長のスティーブ・シャボット議員(共和党)と会談した。島田氏によると、シャボット議員は拉致問題の解決策に関連して、訪米団に「あくまで日本自身が決めることであり、米側にも多様な意見があるが、私は日本が独自の核武装論議することが北朝鮮の拉致や核の問題への有力な解決策になると思う」と告げた。
米連邦議員が日本の国会議員らとの公式会合で日本の核武装論議を奨励するという例はこれまでにない。
 
↑まっ、普通の知性があればこう考えるわな…  
 アメリカは半島から引き上げていくし、在日朝鮮人の帰還再開とスパイ防止法、日本の核武装は不可避だよ

あと、日本共産党以上に厄介なのは、政権に入り込んでる、ちょうせんじん政党そうか公明党である。

 

倉山満、中丸ひろむ、江崎道朗『国士鼎談』(青林堂
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
 三人がそれぞれの文章を分載して上で憂国の鼎談が展開されている。
 なかで、「えっ」と声を挙げた箇所がふたつあった。 米国通の江崎道朗氏の発言部分である。

 第一は拉致被害者を奪回するシミュレーションとして米国の軍事専門会社に見積もりを依頼したところ、
「手付け金は5000万円」といわれたとか。

 そして第二の秘話はもっとリアルである。
 江崎 「いまから十年くらい前に、横須賀を母港としていたキティホークという空母が退役することになって、
アメリカから『その空母を日本が買わないか』という話があったのです。第一次安倍政権の時です。中国共産党
どんどん強くなってきて、東シナ海情勢も非常に厳しくなっている。空母を東シナ海に浮かべておくだけで、中国も
出てこられない状況になる。日中が対立している例のガス田の問題もあったので、それに対抗するための中継基地にも
なる。病院船にもなる。だから空母を買わないか」
代金は無料の由でただし付帯条件があった。
 「そのかわり艦載機は買ってくれと、まずは二十機くらい。一機二百億として、二十機だと四千億円」。 」

 

 

日本の技術へのアメリカの信頼!!アメリカの第七艦隊を日本の企業が修理!
竹田恒泰ch公式切り抜きチャンネルチャンネル登録者数 23.6万人
https://www.youtube.com/watch?v=FGWfU-QyPGE&t=380s

103,913 回視聴  2024/02/08  #日本の技術 #竹田恒泰チャンネル #竹田恒泰
日米同盟の連携がここまで!
アメリカが日本を信頼してるからこそ!


【海外の反応】日本が世界一保有する米国債の利払い費がこれからとてつもない上昇になると米国の最新の予算見通しで明らかに
ニュースのあかり / News community チャンネル登録者数 11.2万人 https://www.youtube.com/watch?v=D8TGwvQnDYg

87,894 回視聴  2024/02/11  #米国債 #海外の反応 #ニュースのあかり
日本が世界で一番保有している米国債の利払い費が今後急速に上昇していく可能性があるとの米国財政の予算見通しが出ているようです。


我が邦が保有する1.2兆億ドル(約145兆円)を超える巨額の米国債の一部(約三分の一)を取り崩し、

 

↑現在、日本がアメリカの国債をいくら買ってるかはわからないが、アメリカ側は元本すら返す気はないだろう。とすればますます、言ってみるべきではないだろうか。

米国債の一部(約三分の一)を取り崩し、

 

↑こんなけち臭いことは言わない。どうせ戻ってこないなら全額相殺させてもいいと言ってみては?

これこそ、交渉というものではないか。日本保守党に期待するしかないのか! 嗚呼!

 

 

シベリア捕虜収容所 1999/若槻 泰雄 (著)明石書店 と、望郷と海 (始まりの本) 2012/石原 吉郎 (著), 岡 真理(解説) みすず書房

60万人もの日本人が、敗戦後、ソ連邦に不当に抑留され、手ひどい弾圧を受けたことは皆さんも知っていることと思う。
改めてシベリア捕虜収容所を読んで、その酷い実態に驚かされた。
1割、およそ6万人が途中で亡くなってる。

 

エリチンは謝罪していたが、戦争が終わった後も、こうした振る舞いをしていた国が現存するその怖さ!

輸送船を撃沈して多数の日本人を殺し、満州国になだれ込んできて乱暴狼藉の限りを尽くす。
ひどい国もあったものだ。

しかも、そんなひどい国がたしかに隣に現存し、反対の方向のウクライナに攻め込み始めた。
そんなソ連邦からできた政党、日本共産党が存在するその恐ろしさ!!


日本政府、外務省もこのときはよくやっている。
再三再四、占領軍をけしかけて問い合わせをしている。

常識的に考えて、60万人もの日本軍兵士がある日突如として消えたんだから、この対応はきわめてまっとうだ。
ぬらりくらり日本政府の問い合わせをかわすスターリン共産党政府。

 

この本を読んで感じたことはたくさんある。
寒さ、飢餓に加えて厄介だったのは、「思想教育」だったという。

夷を以て夷を制すの言葉通り、旧軍の序列を復活させたうえでの思想教育だったから、手ひどい日本人・元上官からのリンチが横行したという。

 

192ページ。天皇の菊の紋章も民主運動の手段として使われた。
兵舎や食堂の入り口に、直径50センチばかりの菊の紋章の彫刻をはめこみ、毎日出入りのたびに全員に踏ませたのである。
天皇を踏みつけ、これに憎しみをぶつけようというわけだ。


たとえば、早く地獄から抜け出すために、割り切ってそういう教育を受けた人が多く、大部分がそうだろうが、40万人くらいが帰ってきてるんだから、ソ連の思想教育をまともに受け止めた人も多いのではないか。

たとえば、この件だ。
反日サヨク政党が音頭をとって戦後、日本で起こったこういう公共事業への反対運動に力をふるったのではないだろうか?

 

 

tennkataihei.hatenablog.com

 

tennkataihei.hatenablog.com

 

シベリア抑留を生き延びた詩人、石原吉郎のエッセイ集。
詩人石原吉郎は、1945年、ハルビンソ連軍に捉えられ、1953年の帰国までの大部分を、(単なる捕虜でなく) 戦犯として、シベリアで過酷な囚人生活を送った。

 

敗戦とともにソ連軍に抑留され、八年間のシベリア収容所体験をへてきた著者は、
帰国後、生き残った者として、戦後日本社会の変貌に戸惑いながら自らの体験を言語化していった。
〈告発〉しない生き方とは、加害者とは、罪とは、自己とは何か。
日本人による『夜と霧』とも評される比類なき書。

 

作者は、大学卒業の翌年1939年に応召され、終戦時にはハルビン満州電電調査局に所属していたが、密告によりソ連に捕えられ、49年に反ソ・スパイ行為の罪で重労働25年の判決を受けて、53年にスターリン死去後の特赦で帰国するまで、8年間シベリアで抑留された。


憎むとは待つことだ
きりきりと音のするまで
待ちつくすことだ

詩とは「書くまい」とする衝動であり、詩の言葉は、沈黙を語るための言葉、沈黙するための言葉である――敗戦後、8年におよぶ苛酷な労働と飢餓のソ連徒刑体験は、被害者意識や告発をも超克した<沈黙の詩学>をもたらし、失語の一歩手前で踏みとどまろうとする意志は、思索的で静謐な詩の世界に強度を与えた。

 

石原吉郎

海が見たい、と私は切実に思った。私には、わたるべき海があった。そして、その海の最初の渚と私を、三千キロにわたる草原(ステップ)と凍土(ツンドラ)がへだてていた。望郷の想いをその渚へ、私は限らざるをえなかった。(中略)1949年夏カラガンダの刑務所で、号泣に近い思慕を海にかけたとき、海は私にとって、実在する最後の空間であり、その空間が石に変貌したとき、私は石に変貌せざるをえなかったのである。(中略)望郷のあてどをうしなったとき、陸は一挙に遠のき、海のみがその行手に残った。海であることにおいて、それはほとんどひとつの倫理となったのである。――「望郷と海」より


「強制された日常から」には、次のような記述がある。

(著者たちは一度に3、4日ずつ囚人列車で護送され、1日1回しか便所に行けない)
==わずか三日間の輸送のあいだに経験させられたかずかずの苦痛は、私たちのなかへかろうじてささえて来た一種昂然たるものを、あとかたもなく押しつぶした。ペレスールカ(中継収容所)での私たちの言動には、すでに卑屈なもののかげが掩いがたくつきまとっており、誰もがおたがいの卑屈さに目をそむけあった。==

 

(囚人は、ノルマ達成度によって食事の量に差をつけられた)
==このいわば<不動食>にありつくために、多少とも体力の残っている囚人は、その全力をかけるのである。そのあげくにかろうじてありつく増食が、そのために消耗した体力をまかなうことはほとんどない。私たちはながい適応の経験から、そのことを知りつくしているはずであった。だが、現実に目の前に置かれる日ごとのパンの重みは、結局は一切の教訓をのりこえる。==

 

↑この、ノルマという言葉がロシア語だと、「シベリア捕虜収容所」を読んで初めて知った。

食事もひどかったらしい。
毎食、黒パンと自分の姿が映る薄い塩汁といっていいスープばかり。


==このような食事がさいげんもなく続くにつれて、私たちは、人間とは最終的に一人の規模で、許しがたく生命を犯しあわざるをえないものであるという、確信に近いものに到達する。・・・その強制にさいげんもなく呼応したことは、あくまで支配される者の側の堕落である。しかも私たちは、甘んじて堕落したとはっきりいわなければならない。==


……人びとは文字どおり自分を喜ばせることを忘れているのであり、
  あらためてそれを学びなおさなければならないのである。
   フランクル『夜と霧』(霜山徳爾訳)

『夜と霧』を読んで、もっとも私が感動するのは、強制収容所から解放された直後の囚人の混迷と困惑を描写した末尾のこの部分である。
 彼らはとつぜん目の前に開けた、信じられないほどの空間を前にしながら、終日収容所の周辺をさまよい歩いたあげく、夜になると疲れきって収容所へ戻ってくるのである。これが、強制された日常から、彼らにとってあれほど親しかったはずのもう一つの日常へ〈復帰〉するときの、いわばめまいのような瞬間であり、人間であることを断念させられた者が、不意に人間の姿へ呼びもどされる瞬間の、恐れに近い不信の表情なのである。


 その頃、私は市内の建築現場で働いていたが、ある日出来あがったばかりのバルコニーから、茫然と街を見おろしていたとき、かたわらの壁のかげで誰かが泣いている気配に気づいた。私のよく知っている男であった。十七のとき抑留され、ハバロフスクで二十二になったこの〈少年〉が、声をころして泣きじゃくるさまに、私は心を打たれた。泣く理由があって、彼が泣いているのではなかった。彼はやっと泣けるようになったのである。バム地帯で私たちは、およそ一滴の涙も流さなかった。
(74頁)

 

↑本書はちくま文庫版で読んだが、私に影響を与えている。
私はこの本を読んで、パソコンで日記というものを付け始めた。
25年も前のことである。


人間に、自分ひとりの時間しかなくなる時、掛け値なしの孤独が彼に始まる。

失語の過程は、ある囚人にあっては、べつなかたちをとる。
私はしばしば、朝起きてから夜寝るまで、なにかにおびえるように、のべつ幕無しにしゃべり続ける男を見た。
失語とは、いわば仮死である。

 

言葉がなお余命をたもち、有効であるのは、彼らの過去、かつて人間であった記憶のなかである。
それはけっして共有されることはなく、ひとりひとりにあって息づいている。
囚人にとって、過去とその記憶は、すべて喜ばしいものの集積であり、そこでは言葉は無傷であたためられ、喜ばしくその機能をたもちつづける。


日本がもしコンミュニストの国になったら(それは当然ありうることだ)、僕はもはや決して詩を書かず、言葉少なに鉄を打とう。
働くことの好きな、しゃべることの嫌いな人間として、火を入れ、鉄を焼き、だまって死んでいこう…


この言葉の数々の重み…


おわりに正しいアイヌ問題認識で数々の発信をしておられる的場 光昭氏の言葉を紹介したい。
個人的にわたしの心に刺さった文章を最後に挙げておく。
反日石碑テロとの闘い―「中国人・朝鮮人強制連行」のウソを暴く 2015/4/1 的場 光昭 (著) 展転社  あとがきより

 

2023-12-28
アイヌ副読本『アイヌ民族:歴史と現在』を斬る―北朝鮮チュチェ思想汚染から子供を守れ 2020/的場 光昭 (著)展転社
https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/12/28/184938


マルクスレーニン主義にかぶれて、全青春を棒に振ったことをどうしても認めたくない連中、つまりバカなことをバカだと思わないイデオロギーかぶれの連中がいまさら面と向かって社会主義だの共産主義だのと叫ぶわけにはいかなくなって、様々な形でその精神風土の原風景への郷愁から反日反日へと回帰するのでしょう。愚かな人間は一つの思想を理解するのにエネルギーを使い果たし、最後はその思想すら忘れて情緒的反応しかできなくなってしまうのである。

 

しかし彼らは「必然の結果」であるはずの体制、つまり必然であるためなんらエネルギーを必要としないはずのその体制維持に、なぜか人民を弾圧し、他民族を武力で圧迫支配し、そして党幹部を粛清することにエネルギーを注ぐ、中国共産党北朝鮮と共謀して、資本主義・自由主義福祉国家の調和という意味では、世界に類を見ない、ということは彼らの思想理論とは真逆の日本社会を見るにつけ、自分たちの人生が否定されたかのように感じて、嫉妬心や憎しみを募らせるのでしょう。」


併せて読みたい

 

石原吉郎 - シベリア抑留詩人の生と詩 2015/細見 和之 (著)中央公論新社

石原吉郎生誕100年記念出版】 死と隣り合わせの重労働と飢え、そして人間に対する過度な不信……。 厳寒の地シベリアで詩人は何を体験し、日本社会に何を見たのか。 62年の生涯を丹念にたどり、詩からエッセイ、短歌俳句まで精緻に読み解き、 戦中・戦後体験と透徹した作品世界を捉えなおす。

 

↑帰国後の石原吉郎の苦労から、早すぎる死まで。死ぬ数日前に、すべての詩作団体から脱退しており、そのタイミングから自殺が疑われたという。

    
シベリアの日本人捕虜たち ロシア側から見た「ラーゲリ」の虚と実 1999/セルゲイ・I・クズネツォフ (著)集英社

日本人捕虜収容所のシステムと運営の実態、強制労働の種類と死者6万人の詳細等、情報公開で初めて明らかになった抑留の記録。旧ソ連の政策としての抑留の全体像を新発見の資料やレポートで検証。

 

いわゆる「親日派」のロシア人によるシベリア抑留の検証。
この本でいちばん印象に残ったのは、少ない食事を気の毒に思って地元のロシア人たちが食べ物を分け与えてくれたところ。
それは「シベリア捕虜収容所」でも再三言及されてる。
それがなかったならば、6万人以上の死者になっていたことは確実だ。

 

 

「白村江」以後―国家危機と東アジア外交 (講談社選書メチエ 132) 1998/「ある九州王朝論者」からみた、白村江の戦。「迫りくる難民7500万人発生の恐怖…」

663年、倭国大敗。国家存亡の秋(とき)。後進性を痛感した倭は、国家体制の整備を急ぐ。対唐防衛網の構築、亡命百済人による東国開発、官僚制整備。律令国家「日本」完成へといたる、古代の「近代化」を描き、あわせて現代におよぶ、無策、無定見の日本外交の問題点を抉る。


いわゆる、正統史観による、白村江の戦663年、分析である。
九州王朝論者として読んでみた。

 

タメになる図表も多い。たとえば、131ページ。

百済の役の募兵地域と出兵人物。国名、郡名、出典、人名まで載っている。
17人ばかり載っているが、1400年前の戦いの記録としては、上出来ではないかと思う。

ただ、半分が九州の出身である。
九州王朝論者としては、話半分でやはり、九州王朝が戦いの当事者で、畿内ヤマト政権は関係なかったのではないか。


新羅の兵制や、百済の官位制度まで図表になっており非常にタメになった。
さらに、亡命百済人が主にどこに住まわせられたかも見開き2ページにわたって図表になっている。

しかし、この問題、この戦い、九州王朝が戦いの主体であるので、滅亡した九州王朝に代わって畿内ヤマト政権が百済の人たちを引き受けたとの見方を私はしている。

 

 

tennkataihei.hatenablog.com

 

↑これなど、九州王朝説を証明している最たるものだ。

著者の説は無視されているが、1962年に宮大工の棟梁の家系に生まれた11世伊藤平左衛門もまた、建築に使われる尺度の歴史的違いに着目することで、法隆寺は後世の再建で、別の場所から移築されたと結論付けた。
古建築秘話 / 伊藤平左エ門∥著 / 鳳山社 , 1962
両者の移築説は無視されているが、法隆寺がどこかよそから移築されたのは間違いないと思う。

 

二人の建築家が、法隆寺は移設されたものだと言い切ってるんだよ。
無視するのはおかしい…
それに、大宰府を掘り返したら、西暦でいえば600年以前の古い遺構が見つかったとの話もある。
20年くらい前のことである。
600年より古い遺構を発見したところで工事は止まっているはず。
なぜ、発掘が再開できないのか?
おかしな圧力がどこかからあるのでは?


だが、大いに気になったのは57ページ、「半島の鉄資源を欲した倭」だ。

「…5世紀以前に、倭国で製鉄が行われた痕跡は見つかっておらず…」

 

これは大うそである。

 

大分県国東半島で2万トンを生産した跡
国東半島・重藤遺跡。朝日新聞記事(1977.9.23)あるが、発見者の上野鉄雄さん、九州大学考古学研究室では発表を控えている
重藤遺跡から鉄製の剣

 

一九七〇年、大分県の国東半島にある重藤遺跡から鉄製の剣が木炭とともに出土した。これをC14年代測定法で分析したところ
「紀元前六九五年プラスマイナス四〇年」という 結果が出た。しかし考古学界はこれをほとんど黙殺。
「鉄は弥生時代」との通説と合わなかったからだ。 

 

↑これもひどい ちゃんと科学的に分析した結果出てるのに無視  妨害もひどかったと聞く

砂鉄を原料として鉄は作られてた。
たとえば、奈良の東大寺の大仏がどこの銅で作られているか長年、議論になってた。
大部分の歴史家は輸入したものだと言い放ってた。だが、分析したところ、山口県の長柄銅山で掘り出されたことが判明。

鉄製品も考古遺物の釣り針とか、希少でなかなか分析に回すのは難しいだろうが、私は分析すれば、案外、重藤遺跡あたりからきているものだと想像してる。


1400年前のことだが、決定的な戦い以前に朝鮮半島というもの、じつに混乱している。
今と同じだ。
関わってはいけない地域だと思う。
著者は、当時の倭国を外交下手だと終始一貫、評しているが、1400年も前のことだから真実を探るのも難しくなっている。
案外、真実はまったく別のところにあったのではないかと思ってる。

 

↓たとえばこれ。著者が巻末で参考文献として挙げているが、

白村江―古代日本の敗戦と薬師寺の謎 1995/鈴木 治 (著)学生社

663年の白村江での唐との戦いと薬師寺の関係は何か。平城京から各地をさまよった遷都の謎、壬申の乱の本当の姿、東大寺の大仏建立に秘められた事実などを明かす。72年刊の新装版。

白村江の敗戦から皇位継承争いに発展した「壬申の乱」があり、戦いに勝った天武天皇は著者が言うには唐の傀儡政権であったという。大東亜戦争において日本が敗戦した後、アメリカが占領統治を仕切ったが、今なお、時の首相がアメリカ詣でをするのが習いになっている。この観点から白村江の戦いに敗戦した大和朝廷は唐の傀儡政権であったと著者はいう。

 白村江の戦いで捕虜になった大伴部博麻が持統朝に30年ぶりに帰国する。官位を授けられ、莫大な恩賞を賜っていることが、別の研究者の本では何も大和朝廷からはもらえなかったとある。いずれが正しいのだろうか。


朝鮮戦争ほど不思議な戦争は無い。 
当事者の朝鮮人は戦うどころか、朝鮮人同士で虐殺しあう

 

朝鮮戦争は、同胞同士の殺し合いだった 
北朝鮮中国人民解放軍に釜山まで追い詰められた韓国はアメリカ(国連軍)の助けを借りて、38度線まで回復 
しかし、北朝鮮に占領されていた地域では、北朝鮮に寝返った朝鮮人が多数いた 
当然、チクリ合いによるすさまじい粛清が起きた 
これでは、韓国側からみれば、「同胞」であっても信用できなくなくなるのも当然だ 

うっかり信用すると、あることないことチクられて、処刑されるから命にかかわる 
こういう連中が日本に渡ってきている

 

渡ってきて子孫が、何食わぬ顔で大阪で教師やってたりする
渡ってきて子孫が、何食わぬ顔で「国会議員」になってたりする
渡ってきて子孫が、何食わぬ顔で携帯電話会社やパチンコチェーンを経営してる
渡ってきて子孫が、もらう資格なんかない生活保護うけて反日活動してる
渡ってきて子孫が、2ちゃんでふざけたスレ立てて無知な日本人を騙そうとしてる

 

やることなすこと、人でなしなこと、ろくでもないことしかやらないのも当然 
在日朝鮮人がまったく信用できないのには、朝鮮戦争という背景がある 

 

朝鮮のことわざ 
「一緒に井戸を掘り、一人で飲む。」 「自分の食えない飯なら灰でも入れてやる。」 
「川に落ちた犬は、棒で叩け。」   
「泣く子は餅を一つ余計もらえる。」 
「女は三日殴らないと狐になる。」
「他人の牛が逃げ回るのは見ものだ。」 

 

エンニオ・モリコーネ賛…

読んだ本ばかり紹介しているが、音楽も好きである。
特にクラシックは、バッハ、シルヴィウス・レオポルト・ヴァイス、フローベルガーといったバロック音楽
シルヴィウス・レオポルト・ヴァイス(Sylvius Leopold Weiss, 1687年10月12日 ブレスラウ - 1750年10月16日 ドレスデン)は、ドイツ後期バロック音楽の作曲家・リュート奏者。
生前は最も有名で、かつ技術的に最も洗練されたリュート奏者であった。トレモロ奏法の発明者。多産なリュート曲の作曲家でもあり、約650曲以上(未考証を含めると約850曲)を残した[1]。ヴァイスの作品の多くは、ソナタ組曲、舞曲などに分けられる。室内楽や協奏曲も作曲したといわれているが、これらの分野の作品のほとんどが現存していない。

後半生においてヴァイスはヨハン・ゼバスティアン・バッハと親交を結んだ。ヨハン・フリードリヒ・ライヒャルトは、2人が即興演奏を楽しんだとする言い伝えを記録している。


ロックでは、一度書いたことがあるが、ブリティッシュロック(特に、レッドツェッペリン)、ローリングストーンズなどが好みである。

 

tennkataihei.hatenablog.com

 

 

映画音楽もいいが、作曲者でいえば、エンニオ・モリコーネ一択である。
ここで彼の極私的ベストスリーを上げたい。

ほとんどの作品聞いているが、私的に、エンニオ・モリコーネの法則というものがある。
それは、大して作品が良くない中で彼のつけた音楽が記憶に残る、または、作品を補って余りある映画が多すぎるというもの。


まずは、フランティック

 


www.youtube.com


Frantic (II)
Frantic

Ennio Morricone チャンネル登録者数 66.3万人
https://www.youtube.com/watch?v=Rf9TZhyF_pA&list=OLAK5uy_kYTp-A5CVD-bvgcl-WfsV54Y77701nMN4&index=2

 

↑ロマンポランスキーが久々に撮る映画ということで期待したが、本編はさほどではなかった。だが、ここでエンニオ・モリコーネがつけた音楽が最高である。
今でも思い出して聞いている。


Orca(1977) - Orca Finale
ostmusicmix チャンネル登録者数 2.46万人


www.youtube.com

We Are One (by Carol Connors) OST Orca: The Killer Whale
https://www.youtube.com/watch?v=q828VXPNM5M

 

↑素晴らしい!! 映画につけられた音楽ではこれに勝るものはないと断言できる。特に、転調した後の曲想が見事である。いかにもそれは、「海ーー」という感じなのだ。エンニオ・モリコーネのベストスリーではなく、映画音楽のベストスリーを上げるとすれば、1位 黒澤明の「用心棒」の佐藤勝。2位 「オルカ」。 3位 伊福部昭ゴジラのテーマとなる。


そして、「シシリアン」…
久々にふるいCDを整理していてこれが出てきたので書き始めた。

これもまた素晴らしい。とくに、口笛で吹かれるテーマの変奏がいい。
忘れ難い映画であった。

 


www.youtube.com


777mylene チャンネル登録者数 11.3万人
2.9万 回視聴  6 年前
シシリアン」(1969年)仏映画
主演:アラン・ドロンジャン・ギャバンリノ・ヴァンチュラ
音楽:エンニオ・モリコーネ

https://www.youtube.com/watch?v=zvbuG4oI5kg


最近、アメリカ、テキサス州のロックバンドがこれを演奏していた。驚いたが悪くない。
米国テキサス出身のバンドを紹介したいと思います。「Khuangbin」、、、これ実は、タイ語です。クルアンビンと読みます、空飛ぶエンジン(飛行機)という意味だそうです。

Khruangbin - Il Clan Dei Siciliani (Ennio Morricone Cover)
Late Night Talesチャンネル登録者数 8.21万人


www.youtube.com

 


www.youtube.com

おしまいにポルトガルの歌姫・DULCE PONTESとエンニオ・モリコーネの不滅の共演盤を紹介したい。

11. Someone You Once Knew (Per Le Antiche Scale). Ennio Morricone And Dulce Pontes – Focus
15. Barco Abandonado (Per Le Antiche Scale). Ennio Morricone And Dulce Pontes – Focus

FI-MUSIC チャンネル登録者数 382人