奪われた神々―騎馬民族王朝と紀氏の謎 1985/日根 輝巳 (著) アイペック

この和歌山新聞の記者による日本古代史の一連の本は非常に面白い。
まず、砕けたわかりやすい文章がいい。こういう方がリアルである。
4,5冊読んだが、すべて核心に迫るもの。知られていないが大したものである。


私がこの人の本を高く評価するのは、とりわけ、「半島倭」と名付けて朝鮮半島南部は倭人が海を渡り根拠地を築いていたことを再三述べていること。
不思議なことに考古学者の奥野正男氏は高く評価するようだが、九州王朝説の古田武彦には言及がない。
例の広開土王の石碑をみればそれは一目瞭然でないか。
それをわかってない人の典型 ↓

 

2023-08-23
「異形」の古墳 朝鮮半島前方後円墳 (角川選書) 2019/高田 貫太 (著)KADOKAWA  「九州王朝論者」からみた、南韓半島に残る前方後円墳について
https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/08/23/162747
広開土王碑には周知のように、倭人、倭という言葉が頻発する。
倭人を制圧した、倭人に勝ったという記述だらけである。
この倭人も、九州王朝人である。
決して畿内ヤマト王権倭人ではない。

 

いわゆる「任那日本府」というものは畿内ヤマト政権が作り出した虚構である。
海を渡り朝鮮半島南部に根拠地を作っていたのは、九州王朝の倭人である。

 

任那日本府」というもの対するちょうせんじんの反発も凄いものがある。
かつてザイニチの考古学者が唱えた「広開土王碑、大日本帝国参謀本部・酒匂大尉による石灰糊塗のたくらみ」が典型だ。
腫れ物に触るような「進歩的」、「GHQ史観によって何もかも日本が悪い」史観をもった日本の考古学者がちょうせんじんの勘違いを増幅させる。


和歌山県に巨大倉庫群とでもいえる鳴滝遺跡という有名な遺跡があって、私は吉野から持ってきた木材をあつめる貯木場だと思っている。
それが紀氏のものではないか。
大和朝廷の前哨とでもいうか、あと、平群とか紀氏とか大伴氏とかが北部九州からやってきて畿内に徐々に定住を始めた。

川をさかのぼっていったところに定住し、やがてそこに古墳群を築いた。
近畿、最初期の古墳群がそこにはある。
神武の東征の少し前の和歌山を舞台にした実話であろう。
いうまでもなく、神武勢力に紀氏は屈したということだ。


併せて読みたい

紀氏は大王だった: 消された邪馬台国東遷と紀氏東征 1995/日根輝己 (著) 燃焼社
第1部は邪馬台国の東遷と紀伊・熊野が本州における「イズモの原郷」である事を中心に立証。第2部は邪馬台国の後を追うように紀伊にやってきて大和で王権をたてた紀氏の「奪われた歴史」の回復と紀氏こそ大王だった事を立証。

 

謎の画像鏡と紀氏: 銘文は史読で書かれていた 1992/日根輝己 (著) 燃焼社
出所不明で造作も幼稚な隅田八幡画像鏡が何故国宝に指定されたのか? 「最古の日本文」とされた銘文が吏読(漢字の朝鮮式表記)だったとしたら…。謎の豪族・紀氏とのからみの中で、古代史の疑問を考える。

 

紀氏の研究―紀伊国造と古代国家の展開 (日本古代氏族研究叢書) 2013/寺西 貞弘 (著)  雄山閣

 

謎の巨大氏族・紀氏 1994/内倉 武久 (著) 三一書房
四~六世紀、日本列島の主導権を握っていた紀氏は西日本全域に勢力を張り、朝鮮半島に攻めこんで王を名乗ろうとした。大和政権はあまたの歴史書を没収し、古代史を書き換え、紀氏の活動も消された。