「白村江」以後―国家危機と東アジア外交 (講談社選書メチエ 132) 1998/「ある九州王朝論者」からみた、白村江の戦。「迫りくる難民7500万人発生の恐怖…」

663年、倭国大敗。国家存亡の秋(とき)。後進性を痛感した倭は、国家体制の整備を急ぐ。対唐防衛網の構築、亡命百済人による東国開発、官僚制整備。律令国家「日本」完成へといたる、古代の「近代化」を描き、あわせて現代におよぶ、無策、無定見の日本外交の問題点を抉る。


いわゆる、正統史観による、白村江の戦663年、分析である。
九州王朝論者として読んでみた。

 

タメになる図表も多い。たとえば、131ページ。

百済の役の募兵地域と出兵人物。国名、郡名、出典、人名まで載っている。
17人ばかり載っているが、1400年前の戦いの記録としては、上出来ではないかと思う。

ただ、半分が九州の出身である。
九州王朝論者としては、話半分でやはり、九州王朝が戦いの当事者で、畿内ヤマト政権は関係なかったのではないか。


新羅の兵制や、百済の官位制度まで図表になっており非常にタメになった。
さらに、亡命百済人が主にどこに住まわせられたかも見開き2ページにわたって図表になっている。

しかし、この問題、この戦い、九州王朝が戦いの主体であるので、滅亡した九州王朝に代わって畿内ヤマト政権が百済の人たちを引き受けたとの見方を私はしている。

 

 

tennkataihei.hatenablog.com

 

↑これなど、九州王朝説を証明している最たるものだ。

著者の説は無視されているが、1962年に宮大工の棟梁の家系に生まれた11世伊藤平左衛門もまた、建築に使われる尺度の歴史的違いに着目することで、法隆寺は後世の再建で、別の場所から移築されたと結論付けた。
古建築秘話 / 伊藤平左エ門∥著 / 鳳山社 , 1962
両者の移築説は無視されているが、法隆寺がどこかよそから移築されたのは間違いないと思う。

 

二人の建築家が、法隆寺は移設されたものだと言い切ってるんだよ。
無視するのはおかしい…
それに、大宰府を掘り返したら、西暦でいえば600年以前の古い遺構が見つかったとの話もある。
20年くらい前のことである。
600年より古い遺構を発見したところで工事は止まっているはず。
なぜ、発掘が再開できないのか?
おかしな圧力がどこかからあるのでは?


だが、大いに気になったのは57ページ、「半島の鉄資源を欲した倭」だ。

「…5世紀以前に、倭国で製鉄が行われた痕跡は見つかっておらず…」

 

これは大うそである。

 

大分県国東半島で2万トンを生産した跡
国東半島・重藤遺跡。朝日新聞記事(1977.9.23)あるが、発見者の上野鉄雄さん、九州大学考古学研究室では発表を控えている
重藤遺跡から鉄製の剣

 

一九七〇年、大分県の国東半島にある重藤遺跡から鉄製の剣が木炭とともに出土した。これをC14年代測定法で分析したところ
「紀元前六九五年プラスマイナス四〇年」という 結果が出た。しかし考古学界はこれをほとんど黙殺。
「鉄は弥生時代」との通説と合わなかったからだ。 

 

↑これもひどい ちゃんと科学的に分析した結果出てるのに無視  妨害もひどかったと聞く

砂鉄を原料として鉄は作られてた。
たとえば、奈良の東大寺の大仏がどこの銅で作られているか長年、議論になってた。
大部分の歴史家は輸入したものだと言い放ってた。だが、分析したところ、山口県の長柄銅山で掘り出されたことが判明。

鉄製品も考古遺物の釣り針とか、希少でなかなか分析に回すのは難しいだろうが、私は分析すれば、案外、重藤遺跡あたりからきているものだと想像してる。


1400年前のことだが、決定的な戦い以前に朝鮮半島というもの、じつに混乱している。
今と同じだ。
関わってはいけない地域だと思う。
著者は、当時の倭国を外交下手だと終始一貫、評しているが、1400年も前のことだから真実を探るのも難しくなっている。
案外、真実はまったく別のところにあったのではないかと思ってる。

 

↓たとえばこれ。著者が巻末で参考文献として挙げているが、

白村江―古代日本の敗戦と薬師寺の謎 1995/鈴木 治 (著)学生社

663年の白村江での唐との戦いと薬師寺の関係は何か。平城京から各地をさまよった遷都の謎、壬申の乱の本当の姿、東大寺の大仏建立に秘められた事実などを明かす。72年刊の新装版。

白村江の敗戦から皇位継承争いに発展した「壬申の乱」があり、戦いに勝った天武天皇は著者が言うには唐の傀儡政権であったという。大東亜戦争において日本が敗戦した後、アメリカが占領統治を仕切ったが、今なお、時の首相がアメリカ詣でをするのが習いになっている。この観点から白村江の戦いに敗戦した大和朝廷は唐の傀儡政権であったと著者はいう。

 白村江の戦いで捕虜になった大伴部博麻が持統朝に30年ぶりに帰国する。官位を授けられ、莫大な恩賞を賜っていることが、別の研究者の本では何も大和朝廷からはもらえなかったとある。いずれが正しいのだろうか。


朝鮮戦争ほど不思議な戦争は無い。 
当事者の朝鮮人は戦うどころか、朝鮮人同士で虐殺しあう

 

朝鮮戦争は、同胞同士の殺し合いだった 
北朝鮮中国人民解放軍に釜山まで追い詰められた韓国はアメリカ(国連軍)の助けを借りて、38度線まで回復 
しかし、北朝鮮に占領されていた地域では、北朝鮮に寝返った朝鮮人が多数いた 
当然、チクリ合いによるすさまじい粛清が起きた 
これでは、韓国側からみれば、「同胞」であっても信用できなくなくなるのも当然だ 

うっかり信用すると、あることないことチクられて、処刑されるから命にかかわる 
こういう連中が日本に渡ってきている

 

渡ってきて子孫が、何食わぬ顔で大阪で教師やってたりする
渡ってきて子孫が、何食わぬ顔で「国会議員」になってたりする
渡ってきて子孫が、何食わぬ顔で携帯電話会社やパチンコチェーンを経営してる
渡ってきて子孫が、もらう資格なんかない生活保護うけて反日活動してる
渡ってきて子孫が、2ちゃんでふざけたスレ立てて無知な日本人を騙そうとしてる

 

やることなすこと、人でなしなこと、ろくでもないことしかやらないのも当然 
在日朝鮮人がまったく信用できないのには、朝鮮戦争という背景がある 

 

朝鮮のことわざ 
「一緒に井戸を掘り、一人で飲む。」 「自分の食えない飯なら灰でも入れてやる。」 
「川に落ちた犬は、棒で叩け。」   
「泣く子は餅を一つ余計もらえる。」 
「女は三日殴らないと狐になる。」
「他人の牛が逃げ回るのは見ものだ。」