「好太王碑改ざんの直接証拠」 雑誌「東アジアの古代文化」(1978年 15号 特集・異端の王国 異人の世界)所収。

歴史雑誌「東アジアの古代文化」のバックナンバー(1978年 15号 特集・異端の王国 異人の世界)を見ていたら、面白い記事が目についた。

173ページ。韓国の言語学者であるという金仁顯(きむ いんほ)氏による、「好太王碑改ざんの直接証拠」という物騒なタイトルの論文がそれである。

1978年というのがミソ。

 

ちょうせんじんによる碑文改竄説とその破綻については以下の通り ↓

 

大日本帝国陸軍による碑文改竄説とその破綻
    
辛卯年条に関しては、酒匂本を研究対象にした日本在住の韓国・朝鮮人考古学、歴史学者の李進熙が、1970年代に大日本帝国陸軍による改竄・捏造説を唱えた。李進熙の説は、5世紀の朝鮮半島に倭(日本)が権益を有していたように捏造するために、酒匂景信が拓本を採取する際に碑面に石灰を塗布して倭・任那関係の文章の改竄をおこなったとするものである。その主張は、「而るに」以降の「倭」や「来渡海」の文字が、5世紀の倭の朝鮮半島進出の根拠とするために日本軍によって改竄されたものであるとする。

ほかにもこの説に対しては井上光貞古田武彦田中卓上田正昭らからも反論が示された。1974年(昭和49年)に上田が北京で入手した石灰塗布以前の拓本では、改竄の跡はなかった。1985年には古田らによる現地調査が行われ「碑文に意図的な改ざんは認められない」と結論付けた。

さらに、2005年(平成17年)6月23日に酒匂景信本以前に作成された墨本が中国で発見され、その内容は酒匂景信本と同一であると確認された。さらに2006年(平成18年)4月には中国社会科学院の徐建新により、1881年明治14年)に作成された現存最古の拓本と酒匂景信本とが完全に一致していることが発表され、これにより李進熙の改竄・捏造説は完全に否定され、その成果は『好太王碑拓本の研究』として出版された。


西暦414年に高句麗の長寿王(広開土王の息子)によって建てられ、1800字余りの金石文が刻まれているが、中でも重要なのは「倭」という文字が9つも出てくることである。
しかも、内容は、倭人を制圧した、倭人に勝ったという記述だらけである。


しかし、私が注目したのは、既に解決している碑文改竄説ではなく、この論者が再三述べている、碑文にでてくる安羅、牟婁という固有名詞が、韓国には残っていないというところだ。

 

どういうことかと言えば、碑文にでてくる安羅、牟婁という固有名詞・地名が、現代韓国には、あるいは遡って過去を振り返ってもそんな固有名詞はないらしい。
だから、1978時点でこの論者は、碑文が大日本帝国陸軍によって改ざんされたんだと訴えている。

 

しかも、日本書紀の「百済本記」にその2つの地名はあるではないかという日本人からの反論を受けて、「百済本記」は原本が残っていなく、日本書紀にだけでてくる古い朝鮮の歴史書であり、論者はこれを偽書だと決めつけている。


私の考えはこうだ。

これは九州王朝と百済のやり取りを、そっくり畿内ヤマト政権が流用して記載しているから起きた齟齬だと思うのである。
九州王朝と百済との外交文書の数々をそっくりそのまま、あるいは可変して使ったからこそ起こった「問題」だと思うのである。


この倭人も、古田武彦いうところの九州王朝人だと思う。
決して畿内ヤマト王権倭人ではない。

この、朝鮮資料に出てくる倭、倭人は九州王朝人である。
2世紀から3世紀、4世紀にかけて海を渡って、朝鮮半島に足場を築いてたものと思われる。
それで朝鮮民族とのあいだに齟齬あつれきが発生した。

 
畿内ヤマト政権に、水軍がない。
これまで遺跡も見つかっていない。

畿内ヤマト政権は「ひきこもり」政権である。
金剛山地の右側に引きこもって、外敵をシャットアウト。ひたすら、大古墳を作りまくっていた。

 

あんなに大層な古墳をたくさん作ってるんだから、朝鮮半島に進出して当然だと考えてる人・学者多すぎる!
逆じゃない?
あんなにたくさん古墳つくってるから、すべての労力を古墳づくりに削がれて、朝鮮半島に進出なんかできなかったのではないか。
任那日本府というのも畿内ヤマト政権がつくりだした作文である。

 

百済が我が国を指していう「貴国」という表現がある。
これは礼称ではなく、一般固有名詞である。
日本書紀に頻出する。

https://tsukudaosamu.com/pdf/4-2.pdf  
PDFだがこの論考が微に入り細に入り、貴国が畿内ヤマト政権のことではなく、北部九州に存在した王権であることを解き明かしている。


併せて読みたい

 

 

tennkataihei.hatenablog.com

 

↑これなど、九州王朝説を証明している最たるものだ。

 

著者の説は無視されているが、1962年に宮大工の棟梁の家系に生まれた11世伊藤平左衛門もまた、建築に使われる尺度の歴史的違いに着目することで、法隆寺は後世の再建で、別の場所から移築されたと結論付けた。
古建築秘話 / 伊藤平左エ門∥著 / 鳳山社 , 1962
両者の移築説は無視されているが、法隆寺がどこかよそから移築されたのは間違いないと思う。


2023-08-23
「異形」の古墳 朝鮮半島前方後円墳 (角川選書) 2019/高田 貫太 (著)KADOKAWA  「九州王朝論者」からみた、南韓半島に残る前方後円墳について
https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/08/23/162747


2023-11-28 https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/11/28/135832
広開土王碑との対話 (白帝社アジア史選書) 2007/武田 幸男 (著) 白帝社
高句麗の「広開土王碑」は、よく知られているように、広開土王の功績をたたえた古碑である。中国東北辺で蔓苔を絡め、風化した姿で現れたこの「広開土王碑」ほど、長く国際的な論題になり、ホットな論争を呼び続ける碑石は稀であろう。本書は、もの言わぬ「広開土王碑」と真摯に対話した酒匂景信・水谷悌二郎や、王志修・栄禧・初天富ら、内外の多彩な人物像を通じて、その実態に迫り、王碑の語る真意を探る。また、碑文の解読に欠かせない、全字格の釈文、読み下し文、訳文を付す。