「異形」の古墳 朝鮮半島の前方後円墳 (角川選書) 2019/高田 貫太 (著)KADOKAWA 「九州王朝論者」からみた、南韓半島に残る前方後円墳について
前方後円墳は日本列島独特の墳墓であるといわれてきた。築かれた地域は、ヤマト政権が支配する範囲とおおむね一致すると考えられてきたのに、なぜ、それらが朝鮮半島西南部の栄山江流域にまで広がっているのか。この地域はヤマト政権の支配下にあったのか。倭の一部だったのか……。朝鮮半島に残るすべての「異形」の前方後円墳を探訪。これまでの通説をめぐる現状と課題を見直し、永年問われ続けてきた古代史の深遠な謎に迫る。
はじめに言っておくと、なんら不思議はない。
朝鮮半島西南部の栄山江流域に5世紀から6世紀にかけて作られたおびただしい前方後円墳は九州王朝がつくったもので、決して畿内ヤマト王権が作ったものではない。著者もそのあたりわかっていないので(九州王朝なんか全然脳裏にない?)、隔靴搔痒の感ありありの書物になってしまっている。
・万葉集には、「郡」が90回出現しているのに、「評」は一切出現していない。
・万葉集は「7世紀~8世紀」にまたがる歌集であり、その時期の最大の事件は白村江の戦いである。この時期は当然「評」の時代だ。だが、万葉集全20巻中、「白村江の戦い」を歌った兵士やその恋人、家族の歌が一切収録されていない。そのため、それにまつわる「評」もまた、当然出現していない。
畿内ヤマト王権に水軍がない。これまで、遺跡もまったく見つかっていない。
2023-03-08 https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/03/08/235633
日本の秘密 「君が代」を深く考える 2000古田 武彦 (著) 五月書房 「君が代」は大和王朝の歌ではなかった!壮大な構想力と日々の研鑚から明らかにされた驚くべき異形の古代史。国歌「君が代」を古代史の観点から考えた問題の書。
最初に、「稲作は何処からやってきたか。」の設問があり、いくぶんげんなりしながら読み進む。
カビの生えた藤尾慎一郎説を持ってきても、わるいけど説得力ゼロだから。
石包丁と支石墓のこと、相変わらず言ってるが、朝鮮半島から渡来したはずの佐賀県の支石墓に残されていた骨を分析したら、縄文人だったという不思議(その後、5件、同様な支石墓も)を書いていない。そこが不思議で最新の部分だから、そこを棚上げにされても困ってしまう。
これ以上、あんまり言わない方がいいのではないか。何より事実と違うから。
2023-06-28 https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/06/28/001723
日本人の祖先は縄文人だった! ―いま明かされる日本人ルーツの真実 2021/長浜 浩明 (著) 展転社
これは、驚くべき本である。また、とても怖い本でもある。
何が怖いかといえば、すべての学者たちが、日本人の先祖を朝鮮半島から来たことにしたいという情報操作が行われているという、その一点である。
これはマスゴミにはもちろん取り上げられないが事実である。
稲の専門家である佐藤 洋一郎氏の「稲の日本史 (角川ソフィア文庫) 2018」によれば、
本書は古代米などのプラントオパールや葉緑体・核DNAなど生物学的研究から導かれた日本のイネ(稲作)の歴史を記したものです。
日本人は弥生時代(以前よりだいぶ早まったが)からイネをつくってきたと学校で習ってきました。しかし実は6000年前の縄文期から稲作が行われていたそうです。そのイネは東南アジア山間部に多い熱帯ジャポニカという種類で、主に焼畑で根菜や雑穀とともに混作されていたと考えられています。
一方で水田稲作は縄文晩期に日本に伝わり弥生時代を迎えます。そしてイネの種類は温帯ジャポニカが主となります。しかしすべてが温帯ジャポニカ切り替わったわけではなく、熱帯ジャポニカもかなりの割合で混作され現在まで残されています。イネの歴史から見れば、縄文時代から弥生時代への移行ははっきり区別できるものではなく、極めて緩やかに推移していったようです。
これがわかりやすくよくできてる
稲作の伝来ウソだらけ!最新研究で分かった日本の稲作【ゆっくり解説】https://www.youtube.com/watch?v=k1om47QXay8
ゆっくり日本の闇 チャンネル登録者数 1.44万人
日本で最も良く栽培されているb型の系統が、唯一朝鮮半島に存在しないというのがポイント。
素人考えだが、朝鮮半島から稲作というのは寒すぎて無理ではないか。
これ以上、あんまり言わない方がいいのではないか。何より事実と違うから。
話を本題に戻す。
初めて韓半島に前方後円墳らしきものが確認されたのが、1983年だという。極めて最近の発見だということがわかる。
日帝が支配して、ずいぶん調査も行われたみたいだが、だれも・日本人考古学者たちは気づかなかったのだろうか。
大いに不思議である。
現在14個の前方後円墳が確認されている。著者の、レポートも非常にタメになった。
本来なら80基を超える前方後円墳が朝鮮半島西南部の栄山江流域に築かれていたという。
石室内部が朱で覆われていたり、九州によくみられる横穴式石室だったり、これまた九州人の特徴であるゴホウラという貝の腕輪が発掘されているとのこと。
誰が一体、この前方後円墳を作ったのかにいろいろな議論があるようだ。
「倭系百済官僚説」には、笑ってしまった。
山尾幸久氏が唱えているらしい。2002
この人は文献学が専門らしく、邪馬台国畿内説でいつもピント外れな議論を展開してる人だ。ここでもまた、やらかしているのかといった感想を持った。
例の広開土王碑(西暦414年10月28日)が非常に参考になる。
まさに、朝鮮半島西南部の栄山江流域に倭人が住み始めて、前方後円墳をそこに作り始めた時期にぴったりだからである。
広開土王碑には周知のように、倭人、倭という言葉が頻発する。
倭人を制圧した、倭人に勝ったという記述だらけである。
この倭人も、九州王朝人である。
決して畿内ヤマト王権の倭人ではない。
399年、百済は先年の誓いを破って倭と和通した。そこで王は百済を討つため平壌に出向いた。ちょうどそのとき新羅からの使いが「多くの倭人が新羅に侵入し、王を倭の臣下としたので高句麗王の救援をお願いしたい」と願い出たので、大王は救援することにした。
400年、5万の大軍を派遣して新羅を救援した。新羅王都にいっぱいいた倭軍が退却したので、これを追って任那・加羅に迫った。ところが安羅軍などが逆をついて、新羅の王都を占領した。
404年、倭が帯方地方(現在の黄海道地方)に侵入してきたので、これを討って大敗させた。
高句麗の広開土王碑(西暦414年10月28日)の倭人に関すること要旨。
475年、高句麗によって王都の漢城ハンソン(現在のソウル一帯)を奪われた。
490年と495年の2回。「南斉書・なんせいしょ」百済伝
百済王はみずからの臣下のため、地名を付した王号や候号を南斉に要求している。
そして、その地名が朝鮮半島西南部(前方後円墳が多数作られた)に集中している
時期的に近接しているので、これらの事実は実に興味深い。
私の解釈は簡単である。
この、朝鮮資料に出てくる倭、倭人は九州王朝人である。
2世紀から3世紀、4世紀にかけて海を渡って領有していたものと思われる。
それで朝鮮民族とのあいだに齟齬あつれきが発生した。
韓国では地域間対立がじつは激しいのだということを聞いたことがある。
かつて起きた光州事件がその最たるもの。
死亡者と負傷者
当初の政府の発表では、死亡者数は170人(民間人144人・軍人22人・警察官4人)、負傷者数は380名であった。(1980年5月31日・戒厳司令部発表)
↑慶尚北道出身(韓国の地図で右側。元・新羅のあったとこ。伝統的に軍人、警官が多い)の警官・軍人にとっては、どこか、倭人くさい奴らだとの、日本で言えばむかしの「エタヒニン」差別に似たものがあったのではないか? だからこれほど死者が多かったと聞いたことがある。
倭人(九州王朝人)が4世紀に渡って支配していた地域だからこそ、起きた悲劇・光州事件と言えなくないだろうか。
著者・高田 貫太氏へのお願い。
韓国と日本の古代史の話はいったん置いておいて、私は韓国の歴史教科書の記載について、大いに疑問がある。
ぜんぶおかしいが、とりわけ許せないのが、日本の敗戦についての記述だ。
韓国はことあるごとに自国を「第2次大戦の戦勝国である」と主張し、学校の教科書でも「韓国人は連合軍の一員として日本と戦った」と教えている。
だが、事実は全くその逆である。
大東亜戦争が始まると、特別志願兵募集に朝鮮の若者が殺到した。42年には、採用数4077人に対し、25万4273人が応募している。
適齢期の健康な男子の大半が志願したことになる。朝鮮は儒教国家であり、応募するには父母、親族の許しが必要であった。
大東亜戦争へ対する朝鮮民族全体の圧倒的な支持があったことがうかがわれる数字である。
大東亜戦争で、軍人と軍属合わせて合計24万人あまりの朝鮮人が前線に赴き、アジアの植民地を解放するために日本人と生死をともにしたのだ。
歴史はつながっている。無論である。
私のような一介のしがないブログ書きがとやかく言っても相手にされない。
高田 貫太氏にぜひお願いしたい。
毎回、発掘のあとに韓国の研究者たちと、酒を酌み交わしたとの記述がある。
日韓親善、結構なことである。
ならば、一度、是非とも韓国人に直接、面と向かって問うて欲しい。
「第2次大戦の戦勝国である」というのは、間違いではないかと。
併せて読みたい
2023-08-18 https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/08/18/094113
『清明上河図』を知っていますか? 舞台が古代の日本、それも博多だとしたら… 『日本国王室全滅亡 東アジアの悲劇』(2018.10.10発行)米田良三
考古学から見た邪馬台国大和説 畿内ではありえぬ邪馬台国 2020/関川 尚功 (著) 梓書院
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