日本の秘密 「君が代」を深く考える 2000古田 武彦 (著) 五月書房 「君が代」は大和王朝の歌ではなかった!壮大な構想力と日々の研鑚から明らかにされた驚くべき異形の古代史。国歌「君が代」を古代史の観点から考えた問題の書。
何を隠そう、大きな声では言えないが私は「九州王朝」信奉者である。
日本古代史に興味を持って〇十年、新刊にもできるだけ目を通しているが何といっても昔の本を引っ張り出しての再読が多くなる。
そんな中で、ダントツの再読率を誇るのがこの本の著者、古田 武彦先生である。
お会いしたこともない、講演会にすら行ったこともない私が日本古代史で唯一、先生と呼びたい方、それが古田 武彦先生である。
読むたびに、めくるたびにノックアウトされる。それはそれは凄いものだ。
歴史学界で名高い「郡評論争」のことは知っているかな。
大化改新の詔発令の646年(大化2)から大宝令制定の701年(大宝1)までの間の地方行政組織が《日本書紀》にみえる郡制か,金石文などにみえる評制か,さらに改新の詔の史料的信憑性をめぐって争われた。藤原京跡から発見された大量の木簡によって、「郡」は大宝律令(701年制定)にもとづく単位で、それ以前は「評」の用語が使用されていたことが判明し、この論争には表向き決着がつけられることになった。
表向き決着がつけられることになった ← ここがミソ。ぜんぜん決着ついてない。
古田先生の「九州王朝万華鏡」をもってすれば、あら不思議、
藤原宮や伊場の出土木簡が示しているように、
文武四年(700)以前ーーー評
大宝元年(701)以後ーーー郡
という「行政単位の変動」が存在したこと。すでに疑う人はいない。坂本太郎氏と井上光貞氏との間の長期論争を集結させたのはこの点だ。
学会周知の事実だ。だからこそ、「続日本紀」の文武四年(700)ごろに、【改評為郡】(評を改めて、郡と為す)の4字が絶対に必要だと、古田先生は言う。
・万葉集には、「郡」が90回出現しているのに、「評」は一切出現していない。
・万葉集は「7世紀~8世紀」にまたがる歌集であり、その時期の最大の事件は白村江の戦いである。この時期は当然「評」の時代だ。だが、万葉集全20巻中、「白村江の戦い」を歌った兵士やその恋人、家族の歌が一切収録されていない。そのため、それにまつわる「評」もまた、当然出現していない。
「ここまで、徹底して「評」を嫌うのはなぜか。もはや、全く「偶然の所為」ではなく、必ず、「それ」として、確たる理由があるはずだ。」
宋書倭国伝の一節。
「使持節都督(六国、或いは七国)諸軍事、安東、大将軍、倭国王」
このように、倭国王は「都督」に任命されている。とすれば、その所属官庁は「都督府」となろう。
すなわち「筑紫都督府」がこれである。現地(太宰府)では「都府楼跡」と称する。
「都督府」を「都府」と縮約しているのである。現地には「都督府古跡」の石柱が建てられている。
以上の状況からみれば「倭の五王」の所在地は、近畿天皇家の領域ではなく、筑紫にありとみなすほかない。「評督は、都督の配下の官職である」
↑どうです、この一連の論理の流れ! ひたすら見事というほかない。鮮やかすぎる。
貨幣制度への言及も実に鋭い。
「貨幣を鋳造し、発行させるのは天子のみである」
「東アジアの貨幣史上の不思議、それは「中心」をなした中国を除けば、日本列島が突出していること、この事実だ」
「中略ーーこれに対し、日本列島の「倭国」では、「倭の五王」時代、正面から北朝と敵対し、南朝を「宗主国」として仰いでいた。ということは、「北朝の貨幣」を拒否し「南朝の貨幣」を受容していた、いうことだ。589年南朝は隋の征服を受け、消滅した。すなわち「南朝の貨幣」は廃絶された。代わって、「北朝の貨幣」(隋朝)が中国全土を制圧した。では、倭国はこれに対しいかなる態度をとったのであろうか」
「今まで「宗主国」と仰いできた南朝に代わり、みずから「日出ずる処の天子」を名乗った。この著名な史実(隋書タイ国伝)は、すなわち、みずからは「北朝の貨幣の支配下」に入らないということ、この一事を(経済流通上では)意味する。
すなわち、「日出ずる処の天子の貨幣」の存在が、不可欠なのである。従来、あまりにも有名な(明治以降のあらゆる教科書で「喧伝されてきた」)、この「日出ずる処の天子」の記述に対し、このような視点からは一切、これを見ようとしなかったこと、これこそ世にも不可思議な、一大欠落、「歴史の深い穴」ともいうべき、深刻なブラックホールだったのではあるまいか」
↑ひたすら、素晴らしいというしかない。おっしゃる通り、あなたは凄い。
添田馨という詩人・批評家が、九州王朝・古田理論に則って実に深い講義をしてくれて、ようつべでも見られます。
九州王朝の貨幣について 添田 馨 Natou Takeo チャンネル登録者数 1890人
6,042 回視聴 2014/09/14 平成26年7月19日 久留米大学公開講座
幻想史学の会(詩人・批評家)添田 馨
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2023-02-27に紹介した「法隆寺は移築された―太宰府から斑鳩へ 1991」故・米田 良三 (著)氏も、また古田武彦(九州王朝)信奉者である。