関東に大王あり:稲荷山鉄剣の密室 (古田武彦・古代史コレクション) 2023/5/2 古田武彦 (著)ミネルヴァ書房 素晴らしい論証! 50年たっても色あせることはない…

稲荷山古墳から出土した鉄剣。鉄剣の主「乎獲居臣」を従えた「大王」とは。既成概念に与する事無く忠実に論証を重ね、関東に独自の国家権力が存在したという事実にたどりつく。巻末付録に現地講演録「関東の大王と稲荷山古墳の鉄剣」をあらたに所収。対話形式で極めて読みやすい。好評の古代史コレクション第二八巻。待望の復刊。


著者の研究に触発された研究者が、栃木県藤岡町の大前神社に「磯城の宮」という地名を発見する。
ということは鉄剣銘の「〇多支〇大王寺在斯鬼宮時」の「〇多支〇大王」は関東の王であり、その皇居は、栃木にあり、大和朝廷以前に複数の朝廷があったことを意味する。

「定説」を提出した大研究者たちからの反論の声はあがらない。
大研究者たちは著者の著書を読んではいるが反論のしようがないのだという。
著者たちの著書が並ぶのは「日本史読み物の棚」大研究者のそれは「古代史」の棚。
その論証の精緻さは大研究者の及ぶところではない。


陸続と発刊されてきたこのミネルヴァ書房の「古田武彦・古代史コレクション」だが、28巻目に真打ともいえる著書が復刊されてきた。

 

関東に大王あり:稲荷山鉄剣の密室…

 

一読して感嘆のほかない。

 

古田武彦は言う。

ここに出てくる、(ワカタケル大王がいるとされる)磯城宮とは、鉄剣出土地からわずか北に20キロ行ったところにある、栃木県藤岡町の大前神社(かつてこの神社は磯城宮とされる)のことである。

「もう一つ、大事なこと、それはこの藤岡町(赤麻)の内出古墳から、「金環・金銅製馬具」類の出土があり、これは埼玉古墳群の出土品と全く同類、という点です。(たとえば、稲荷山古墳の隣の将軍山古墳も) つまり、この磯城宮と稲荷山とは同質の政治・文明圏なのです。」
多元的古代の成立 下巻124ページ 駸々堂出版 1983
 

最後の致命的矛盾

稲荷山古墳には「二人の死者」が葬られています。
粘土郭(主部)と礫床(副部)です。
稲荷山古墳自体は、さいしょ粘土郭の主のために作られ、のち礫部が追葬された。

すると、絶対的な多数説の場合、この「鉄剣」は、遠く大和なる天皇のことを強調して、近くは自己の7代の先祖の名前を麗々しく列挙しながら、肝心の、自己の(死後をともにするほど)慕う「粘土郭の主人」については、まったくカットして触れていないことになる。背理である。

 

↑どうです、この説得力の濃さ!! これを日本の考古学会は無視しているんだから、世も末である。


この稲荷山鉄剣の解読にまつわる意見でいちばん鋭いのが古田武彦説である。これは、解読以来50年以上経ったが依然として変わらない。考古学者たちに無視されているが、いちばん鋭いのが古田武彦説。2番目に鋭いのは、東洋史学の泰斗、日本でいちばん漢籍を読んだ人といわれる京都大学教授・宮崎市定の「こういった短い金石文に、「記」という字が2度出てくるのはおかしい。これは、ひとつは、記氏のことではないか」である。


【目次】

序 章 鉄剣の閃光
    九州王朝の国都
    稲荷山鉄剣の閃光
   「九州王朝説」への知見
    仮説と定説
    九州王朝は存在する
    “定説”への弔鐘

十二夜
   「雄略」と「シキ宮」
   九州にも春日あり
   同音地名のこわさ
   遺物も東遷か

第十四夜
   「左治」の典拠
   周公「左治」す
   雄略ではない
   銘文の生命
   「統一国家」の存在

  第Ⅲ部 大阪にて

井上光貞氏への疑問
   「杖刀人」は果して舎人(とねり)か
   当時は舎人はいない
   時間帯の違い
   奇妙な死者授号

岸俊男氏への疑問
   「おちつかない」理由
   粘土槨と礫槨

斎藤忠氏への疑問
   どちらが主棺か
佐伯有清氏の読解
   臣と直
宮崎市定氏の読解
   漢文の論理
   定説派への疑問

関東の金石文
   関東は「金」の宝庫
   両者の共通性
   銀環の意味
   棺はもうないか
   棺の位置
 
   宋書倭国
   「辛亥」は五三一年か
   その時「雄略」はいなかった
 
   磯城
   多胡碑と説話


巻末特別付録 「関東の大王と稲荷山古墳の鉄剣――多元的大王権の成立――」

 

↑本書だけに載せられたというこの2段組の長大な講演録がまたいい。これを読むためにだけに本書を買ってもいいくらいだ。

 

1983年、行田市産業文化会館講演録。

 

↑いわば、鉄剣の地元で行われた講演。貴重である。