縄文語の発見 1991 小泉保 (著) 青土社 解き明かされた日本語の謎

日本語の起源を弥生時代とする従来の説を排し、その濫觴縄文時代に求めた本書は、“日本語の誕生"のみならず、いわゆる上代特殊仮名遣い、連濁・四つ仮名現象、アクセントの発生、方言分布など、日本語学における難問をここに解き明かした記念碑的労作。

本書まえがきより
「弥生期の言語と縄文期の言語の間には血脈の断絶があったと決めてかかっていた。
そうした確証は何もないのに、断絶の憶説にいまも研究者はしばられているのである。そのため、系統論はいきなり日本語の祖先を特定しようとして
日本の北方に南方に親類縁者を探し求めてきたが、結局それらしい相手を見つけることができなかった。
言語の血縁関係を認定するのは「規則的音声対応」という判定法がある。
この方法により身元の証明ができたのは琉球語のみである。琉球語は間違いなく日本語の分家である」

 

縄文時代とはいうけれど、この日本列島にはいまから12万年も昔から(砂原遺跡・島根県出雲市多伎町砂原。金取遺跡・岩手県遠野市宮守町)、すなわち中期旧石器時代から人が確かに住んでいたのである。
こうなってくると、白人学者たちがいう5万年前に現生人類が出アフリカして人類になったという説もおかしいのでないかと声を上げる日本人学者が出てきてもおかしくないのでは思える。ところが実態はそうではないという。ようつべの番組で武田邦彦先生が言ってたが、日本の学者は概ね確かにわずかに声を上げる日本人学者もいるらしいが、大勢はそんなこと(人類日本列島発生説)言うなというものらしい。

人類日本列島発生説は確かにまだ早く(これからますます出土が楽しみだ)暴走と受け取られかねないが、言語における古代史におけるいわゆる「渡来人万能史観」とでもいうものにノーを言うべき時が来ているのではないか。

 

本書あとがきより
縄文時代の言語については言語学者国語学者も口をつぐんだままであった。怠慢と言われても仕方ない。それは奈良時代の母親筋にあたる弥生語が
現代日本語の祖先であるという仮説に縛られていたからである。そして、弥生語以前には素性のわからない多様な言語が話されていたが、弥生語によって統一されたと思い込んでいたのである」

この分野、いろいろ読んだが本書が白眉だと思う。
日本言語学会の会長らしい。続編がないのが惜しい。

 

併せて読みたい 縄文語への道: 古代地名をたどって 2022 筒井 功 (著)
文献のない縄文時代の言葉をアオ、クシ、ミの三語とそれに派生する青、串、耳などの付く地名から同定していく、実証的な試み。
小泉保先生のまさに衣鉢を継ぐという著作。アオが縄文時代にさかのぼる墓地だったいうのほぼ間違いない。読んで歩いて考えて、見事である。