古代朝鮮語で日本の古典は読めるか (古代文化叢書) 1994/8/1西端 幸雄 (著) 大和書房 古代朝鮮語で日本の古典は読めるという藤村由加・李寧煕・朴炳植の解釈を徹底的に批判する。

「古代朝鮮語」で云々 すでにその段階でダメ 古代朝鮮語なるものは存在しない。 
  新羅のリトのことを言いたいんだろうが、金石文でいくつか残ってるだけで 
 日本語のルーツを解明できるほどの量がない。
 古代朝鮮語は断片的には残っているのだが、日本書紀!などにあらわれる古代朝鮮語の単語は、同時代の日本語の語彙と一致していない。
  解読者は日本語に対する知識が不十分、上代特殊仮名遣いはおろか歴史的仮名遣いと現代仮名遣いの区別すらいいかげんである。
司馬遼太郎はじめ、「古代朝鮮語」で云々言ってるのは胡散臭い。朝鮮最古の三国史記は11世紀の書物。万葉、古事記日本書紀より300年以上遅い。

 

「とんでないまちがいが本気で信じられているいい例の一つに、日本でお祭りなんかで使われる「ワッショイ」という言葉が、韓国語の「ワッソ」(来た)からきたものだというのがある。
いったい、なにを根拠にそういうことになっているのかわからないが、まちがっている。だれが最初にそう言ったか調べてみたら、この前亡くなられた在日の金達寿さんでした。それ以後、韓国の学者や在日の学者や日本の歴史学者!!が堂々と本に書いたりしている。しかし国語学者で、日本人でも韓国人でもこれを認める人はだれもいない。
そもそも、15世紀にハングルが作られる以前、朝鮮では漢字漢文で全てが書かれていたわけだから、その当時(高麗時代以前)の朝鮮語がどんなものであったかは、ほとんど解明されていない。

 

併せて読みたい  呉善花・崔吉城『これでは困る韓国』(1997年,三交社)
朝鮮語で『万葉集』は解読できない 安本 美典 (著)計量比較言語学の第一人者が「万葉集=朝鮮語説」を論破する。JICC出版局 (1989/12/1)
郷歌及吏読の研究 (1931年) (京城帝国大学法文学部紀要〈第1〉) 小倉 進平 (著)