日共の武装闘争と在日朝鮮人 2019/安部桂司 (著) 論創社

1950年代前半、大都市で日本共産党が繰り広げた武装闘争の実態と、朝鮮戦争において在日朝鮮人が果たした役割とは。
特別付録として、昭和29年に国家地方警察本部が発行した「共産主義運動の実態−−とくに日本共産党の地下活動について」全文を収録。


123ページの小さな本だが、タイトルに惹かれ読んでみたら、これが面白い。
知らない事実ばかりだ。

先般、亡くなった経済評論家の長谷川慶太郎氏が小隊長として「枚方事件」に関わっていたとのこと。
事実として知ってはいたが、あの好々爺然とした晩年の姿からは想像もできない。

小松製作所は既に米軍から大量の砲弾を受注して、払い下げに先立って旧陸軍工廠・枚方製造所を使い、砲弾の製造を開始していた。
そのため、日本共産党北朝鮮系の在日朝鮮人が反対運動を起こしていた。
朝鮮戦争開戦2年の記念日6月24日に枚方製造所に侵入して時限爆弾を取りつけ、さらに翌日、小松正義氏の自宅を火焔瓶で襲撃している。

長谷川慶太郎氏は顔に特徴があり、警官に覚えられていたことから逮捕につながったとのこと。

 

ヘロインの密輸入が、日本共産党の大切な資金源であったという事実は初めて知った。
武装闘争資金獲得のため、中国・北朝鮮からヘロインを密輸、米兵への密売などを党が行ったことが強調されている。

 

朝鮮戦争当時、中共・北鮮軍と戦う国連軍・米軍の後方基地となっていた日本では、北京や平壌からの指示により、暴力的な後方かく乱工作が大々的に展開されていた。実行部隊は日本共産党の中核自衛隊であり、その傘下組織である祖国防衛隊であった。祖国防衛隊は、在日朝鮮人の組織で、朝鮮戦争の始まった1950年に結成されている。その彼らの活動・戦闘資金としてコミンフォルム中共北朝鮮に命じてヘロインを供給していたのである。」


朝鮮戦争といえば、北朝鮮と韓国の戦争であることは、誰もが知っていることです。
実は、この戦争に、ある政党が日本の「軍」として参戦していた、と申上げたら、みなさんは驚かれるでしょうか。「ブログ ねずさんの独り言」より

朝鮮戦争では、南朝鮮側の軍は、「韓国軍、米軍、国連軍」によって構成されていました。
一方、北朝鮮側の軍は、「北朝鮮人民軍、中共人民義勇軍(のべ300万人)、ソ連軍」そして、
日本共産党軍が、これに参戦していたのです。
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そこで、北の後ろ盾になっているソ連共産党は、現金による資金援助として、当時のお金で55万ドル、
いまの相場でいえば324億円もの大金を、戦費として日本共産党「軍」に与えています。


↑驚愕の真実!!! これは教科書に載せて教えようよ、語り継ごうよ… こういう武力はいいのか??

 

2015/04/03 【AIIB】共産・志位氏「AIIBは新しい国際経済秩序を求める動き。消極的な日本政府は視野狭く拙劣。今からでも参加すべき」★2 

 

中国共産党による日本共産党への指令
当時、朝鮮戦争中であった中国共産党劉少奇は「日本革命は武装革命である。武装闘争を準備せよ」と指揮した。
日本共産党は中核自衛隊山村工作隊といった非合法武装組織を組織、火炎瓶の作成パンフレットを作成した。

 

ちなみに民団の活動資金の6割から7割は韓国政府が出している 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%9B%A3 
>韓国政府が運営資金の6割から7割を負担しており 

 

戦前のことだが、活動資金を得るために日本初の銀行強盗(「大森ギャング事件1932」)をやったくらいの日本共産党だから、なにも驚きはないのかもしれない。

 

日本共産党朝鮮戦争と直接関係していない、「ちょうせんじんの暴虐ぶり」を3つほど、紹介したい。
敗戦直後で日本の警官からピストルがなかった時代のことだ。

 

これが本物の「進駐軍」!!

GHQプレスコードの形で「進駐軍兵士の犯罪の報道禁止」(九月一日)を命じていた。  同時に日本の警察に対しても進駐軍兵士の「逮捕、裁判を行う権利の放棄」を呑ませた。この治外法権の対象にGHQはニカ月後の十一月、「朝鮮人支那人」も含めるという通達を出した。

 

・「朝鮮進駐軍」浜松戦争(1948年3月)

戦後、浜松市内の国際マーケットは在日朝鮮人が押さえていた。
在日朝鮮人は、在日本朝鮮人連盟の威光を背景に、地元の自治体警察である浜松市警察の介入を許さず、
禁制品を公然と売り捌いていた。地元やくざの小野組は比較的合法な物品しか売っていなかったため客足が
奪われ朝鮮人に反感をもっていた。

1948年3月、浜松市警の巡査が賭博の現行犯で朝鮮人を逮捕しようとしたところ、返り討ちにあって負傷。
小野組は、その巡査を救出して近くの病院に収容、病院周辺を警護して朝鮮人の来襲を阻止するなど、
一触即発の事態を迎える。4月4日夕方、朝鮮人が小野組組長宅を先制襲撃。
これより、朝鮮人・小野組・浜松市警の三つ巴の抗争が勃発した。 
小野組は直ちに報復すべく会合を開いたが、朝鮮人はその会合場所を襲い銃撃。
浜松市警も抗争を鎮圧するために出動したが、朝鮮人は伝馬町交差点でこれを迎えうち、警察との間で銃撃戦となった。5日以降の数日間の銃撃戦で死者数人・負傷者約300人を出した。
浜松市警は、岐阜軍政部にMPの出動を要請し、400人のMPが浜松に派遣されたことで漸く沈静化した。

こんな連中の子孫に選挙権って、言ってる日本人のバカも刑務所に入れろよ


@@裁判所に放火して全焼!!! 動機は、犯罪記録の隠滅!!

在日朝鮮人を二等国民、日本人を四等国民」と勝手に位置づけ、 
日本の法令に従う必要のないことを公然と主張し、その通り実行した。 

 

武生事件(たけふじけん)とは、1949年9月20日福井県越前市(旧武生市)で発生した裁判所及び検察庁施設への放火事件である。
1949年9月20日午前、福井地方裁判所 武生支部及び福井地方検察庁武生支部の建物から出火. 一時間あまりで裁判所の裁判記録、検察庁の証拠書類等を含め全焼した。

 

地方における司法行政の中核を成す施設での火災であること、加えて消火活動に向かう消防車が走行の妨害工作を受けたことなどから、警察は悪質な放火事件として断定。

主犯の暴力団組長は、元在日本朝鮮人連盟の支部員であり、前年に連盟が解散させられたことから、司法に恨みを持っていたこと。また、傷害事件や公務執行妨害を繰り返しており保釈中ではあったものの、
裁判所で未審理の犯罪が数件抱えており、将来的には収監されることが確実であったことから、裁判所に放火し、騒ぎに乗じて裁判記録の隠滅を図ろうとした。
犯行に加わった者の一部は、同年10月、隣接する今立町(現・越前市)の今立警察署(現・越前警察署今立分庁舎)も襲撃、放火を行っている。
動機は武生事件同様、犯罪記録の隠滅にあった。

 

↑こんな人たちにも参政権? 正気ですか??


四六年に入ると富阪署が武装朝鮮人に襲われ、翌二月には生田署の警官が射殺された。 

朝鮮人たちはこのころから戦勝国民を口実にしたカネ儲けに動き出した。儲け口はヤミ米と 密造酒だった。彼等は羽越線坂町を拠点に農家から闇米を買い集め、到着列車に 
戦勝国民・朝鮮人専用」とチョークで書いて日本人乗客を追い出し、闇米を積んで 
関西方面に送り出していた。四六年九月、あまりの横暴に警官十人が検挙に乗り出すと、  列車内にいた朝鮮人五十人が逆に警官を袋叩きにした。

 

これを読売新聞と新潟日報が報じると「GHQが禁止した戦勝国民の誹誇を書いた」
誤報だとラジオで流せ」と朝鮮人が抗議した。読売は「誤報でした」と
要求に応じて謝罪したが、 新潟日報社は拒絶したため、朝鮮人たちは同社を襲撃して破壊した。 
 (アメリカが押しつけた災厄 高山政之 歴史通2011年11月号) 

 

四五年二月二十四日、岡山県下で起きた七人組の拳銃強盗を追って 
岡山の警官が神戸生田署に応援を求めると、それを聞きつけた朝鮮人が大挙、同署を襲撃した。 
 警官は、GHQ命令で抵抗できず、生田署では、その後に二人の警官が彼等に殺されている。 
 動けない警察に代わって立ち上がったのが田岡一雄だった。山口組は銃や日本刀、手投げ弾 で武装し、暴れ回る朝鮮人を痛めつけ、ときには彼等が不法占拠するビルを襲って排除した。
 
 四八年には浜松で賭博の手入れに入った警官が朝鮮人博徒に捕まって半殺しにされる事件 が起きた。このときは関東霊願島一家小野組が立って警官を救出。その後、五日間にわたって朝鮮人たちと市街戦を繰り広げ、双方で三百余人の死傷者を出した。

朝鮮人の横暴は 一般市民にも及ぶ。四五年十二月二十九日、信越線の駅で車窓のガラスを割って乗り込もうとした朝鮮人三人を日本人乗客が注意した。激高した彼等は列車が直江津に着くと注意した日本人をホームに引きずり出し、衆人環視の中でスコップやパイプで殴り殺してしまった。 

 

↑未解決事件(直江津駅リンチ殺人)!!!! これ、ひどいよな  未解決だぜ

杉田水脈が5年くらいまえ、国会で今に残るGHQの影響、果敢に問いただしてたけど、明らかに残ってるよな、日本学術会議とか日弁連とか。ひとつひとつ排除していけばいい。

 

「韓国人の歴史とはただ強い者に媚びへつらい、弱いものを圧殺するというそれだけの歴史である。」 

 

直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日) 

信越黒井駅ヤミ米ブローカーの朝鮮人3名が列車の窓ガラスを割って乗り込もうとした。
ある日本人乗客に拒まれて乗り込むことができず、デッキにぶらさがって直江津駅まで行った。
彼らは直江津駅でその日本人乗客に対し、「乗降口から乗れないので、仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのになぜ妨害した」と詰め寄ったが、日本人乗客が「窓から乗り込むという方法はない」と反駁。
「『戦勝国民』のわれわれ朝鮮人に向かって生意気だ!ホームに降りろ!殺してやる!!」と叫び、
その乗客をホームへ引きずり出して、パイプやスコップで滅多打ちにして殺害した。 
朝鮮人3名はその後逮捕されたが、全員逃走。結局うやむやのうちに終わってしまった。←←未解決!!! 酷すぎる!!!!!

なお余談ではあるが、この種の鉄道内の不法行為を防止するために、急遽設けられたのが「鉄道公安官」
制度である。罪日チョンコさん、ありがとう。

 

↑こんな連中の子孫に選挙権って、言ってる日本人のバカも刑務所に入れろよ


ところで、あとがき解説に気になる記述がある。

「……「奥吉野巡礼」は心を打つ作品である。「奥吉野巡礼」は筆者が解説したい文献の一つである。奥吉野に共産党人民軍の士官学校が作られたことになっている。……山村工作隊の調査・研究に深入りしていた筆者にとって、萩原遼は天が与えてくれた「素材」であった。飯能、奈良と萩原遼の隠れ家を訪れ、付近を散策した。いずれも山村工作隊の出撃というか、避難拠点であった。……飯能に気付く人は少ないと思う。 小河内(かつてダムに沈んだ村がある)における山村工作隊の動きは八高線沿線から眺める必要がある。飯能が八高線西武線の交わる重要拠点であった。」

 

前に少し書いたが(2023-07-22歴史教科書と日本の戦争 2002/不破 哲三 (著)小学館 「私の極私的・日本共産党論」)、7年ほど前に、知人の紹介で、ある老人と出会った。何でも老人はかつて日本共産党山村工作隊のメンバーで、のちに活動から身を引き、会計事務所に勤務して定年退職したという。会って半年してから電話してみたら、3か月前に亡くなったと老妻から告げられた。

 

老人が語っていたのは、多摩川の水源に毒を撒いて、首都圏をパニックに陥れるという計画である。
飯能という地名になんとなく引き寄せられた。もしかしたら、と考えたわけだ。