文庫 鳥居民評論集 昭和史を読み解く (草思社文庫) 2016/4/2 「いままで誰も書かなかったこと」 ← これ凄い

未完ながらも無類に面白いと評判の歴史書『昭和二十年』(既刊全13巻)を書き続けて急逝した著者の単行本未収録のエッセイ、対談等を集めた評論集。膨大な資料を収集、読破したすえにたどり着いた独自の視点・史観が満載。「木戸幸一開戦責任説」「原爆投下アメリカ陰謀説」「近衛文麿を自殺に追い込んだのは木戸とノーマン」「ゾルゲ事件と戦争を煽った尾崎秀実」「横浜事件と神奈川県警」など誰も書かない昭和史の裏面。


先般、逝去された鳥居民氏の単行本未収録のエッセイ集である。
一つだけ、選ぶ。「いままで誰も書かなかったこと」という小文である。

 

アメリカの対日戦争の中心目標はなんであったか?」

 

その答えが「日本を四つの島からなるフィリピン以下の小国にする」ことだったことは、誰でも知っていよう。そのコインの一面が、「中国を大国にして、アメリカの独占的市場にする」ことだったことは、歴史教科書には書いてないが、少し本を読めば誰でも理解できることに違いない。このことを第二次大戦を通じて本気で追及したのが「フランクリン・デラノ・ルーズベルト」である。

 

このエッセイの前半は、そのルーズベルトの出自と、日本を懲罰し、中国の大国化を図る「大構想」が語られる。
ルーズベルトの母方の「デラノ家」は、19世紀清朝に大量の阿片を売って大資産家になった家柄である。ルーズベルトは幼少時から中国の絵画や工芸品になじみ、中国に強い関心を抱くようになった。後年、彼は、中国への同情と共感を繰り返し語るようになった。

宋美齢アメリカ議会で演説させ、アメリカ国民の中国びいきを最高潮に高め、太平洋での戦局が有利になると、カイロで蒋介石を抱擁し、「沖縄が欲しければくれてやるぞ」とまで言った。テヘラン、ヤルタでは、日本を潰すためにスターリンと妥協を重ねた。

しかし、著者が本当に語りたいことは、ルーズベルトに追い詰められた日本陸軍がとった昭和19年の「大陸打通作戦(一号作戦)とその影響」である。

 

戦局が圧倒的に不利になっていく中で、陸軍の作戦課長服部卓四郎を中心にねられた大陸での作戦が「大陸打通作戦(一号作戦)」である。これは、北京から南方の桂林まで大陸を南北に縦断して、日本軍の輸送路を確保するとともに、アメリカ空軍の大陸沿岸基地の無力化と国民党軍の戦意をくじくことを目的とした。
敗戦直後、国民党の何応欽は、「国民党は514回日本軍と戦って1回しか勝っていない」と述べたが、そもそも日本陸軍にとって国民党の軍隊はドイツの顧問団に指導された「上海事変」以外、恐れるようなものではなかった。

 

鳥居民は、以下のように書く。
「一号作戦は、あらゆる点で、・・・蒋介石と国民政府の威信を突き崩し、その力を大きく削いでしまった。この作戦は、全ての面で・・・延安政府の力を強大なものにすることになった。そしてこの作戦は、・・・国共内戦にまで大きな影響力を広げ、国民政府を不利に、共産党に有利に働くことになり、共産党の勝利を導き、ルーズベルトの大構想を叩き潰してしまったのである」

 

華北に駐屯していた日本軍の半分がこの作戦に借りだされたため、手薄になった警備の合間を縫って華北での共産党の活動が活発化した。
国民党五万の軍隊が、迫り来る日本軍を前に一斉逃亡を図るようなことも起きた。日本軍は破竹の勢いで進軍し、南方の桂林、柳州を抑え、続いて西方の重慶に向かうものと考えられ、重慶アメリカ大使館はパニック状態に陥った。

 

アメリカ陸軍代表スティルウェルはもともと蒋介石とそりが合わなかったが、国民党の腐敗と嘘は、もはや歴然としてかくしようもないものに見えた。
このことが、後に、「国共内戦」において、アメリカの支離滅裂な国民党と共産党に対する対応となって現れたのである。

 

実は、戦後の歴史学会では、「一号作戦は間違った戦い」とされてきた。周囲の反対を押し切って強行した服部卓四郎まで、戦後「やるべきではなかった」と述べている。

 

鳥居民は書く。
「一号作戦は、ルーズベルトの『大構想』を潰してしまった。(そのおかげで日本は徹底的な破壊を免れ、戦後の復興に成功した。しかも、中国は共産党の支配するところになり、国民党は台湾に追われてしまった。その意味で、ルーズベルトの目論見である『大構想』を完全に潰してしまったのである)しかし、それでも、戦後、『一号作戦』を無益な戦いとして、我々が(その歴史的な真実の意味を)見ないようにしてきたものは(一体)何なのだろうか(これほどのことは、よほど不思議なことと言わなければならない)」

 

国共内戦におけるアメリカの迷走は、例えば「共産中国はアメリカがつくった」(G・マッカーシー2005.成甲書房)などに詳しい。しかし、その大本になるアメリカの国民党政府不信は、「大陸打通作戦(一号作戦)」によってもたらされたものである。

 

「歴史」は敗者にも勝者にも等しく「罠」を仕掛ける。日本もアメリカも、そこから逃れることはできなかったのである。

 

本書に収録された30ページ足らずの櫻井よしこ氏との対談「なぜ原爆は投下されたのか」もまた圧倒的に素晴らしい。日本人なら読んでほしい。


併せて読みたい

・原爆のまえに降伏チャンスあったのに、本土決戦とかいって降伏しなかった政府が悪いだろう
天皇がより早く、終戦の判断を示唆していたら空襲や原爆で、多くの非戦闘員が死なずに済んだのに

 

↑この素朴なバカ左翼の意見、よくみるけど無理だよ チョンコとバカサヨはいい加減にしとけよ

 

秘密予算で議会に内緒でつくった原爆をどうしても落としたかったアメリカ民主党 

 

『原爆を投下するまで日本を降伏させるな――トルーマンとバーンズの陰謀』 鳥居 民 (著) 草思社 

 陸軍長官スティムソンと国務次官グルーは、日本に降伏を勧告するときだと大統領トルーマンに何回も説き、日本側が受け入れることができるように、天皇の地位保全を約束すべきだと主張した。それでも日本が降伏を拒否するのであれば、そのときこそ原爆の投下を警告すべきだと説いた。 
 海軍長官フォレスタル、陸軍参謀総長マーシャル、海軍軍令部総長キングもまた、警告なしに日本の都市 に原爆を投下することには反対の立場であった 
 ところが、トルーマンと彼のただ一人の協力者である国務長官バーンズは、日本に降伏を勧告するスティムソンの草案から天皇の地位保全を認める条項を削ってしまう

・日本の降伏の引き金はソ連参戦
・日本の降伏の引き金はソ連参戦

 

アメリカが故意に日本の降伏を遅らせて原爆を投下した手練手管が書かれている
 
スティムソンの草案では共同提案国にソ連の名前が入っていたが、トルーマンとバーンズは、日本がソ連に和平の仲介を依頼していることを日本外務省とモスクワの日本大使館との間の往復電報から 知り、ソ連の名前を削り、重慶の国民党政府に差し替えたのである。日本にソ連への期待を持ち続けさせ、降伏勧告を無視させようとしてのことだった。 さらに、その降伏勧告をホワイトハウス国務省からではなく、宣伝機関の戦時情報局から発表させた。日本側をして宣伝文書と思わせるようにしたのである。 

 

↑手が込んでるねえ ジャップを皆殺しにしたかったんだねえ 核がなかったから落とされた これが真実