シュメールもエジプトもユダヤもケルトも――世界史の民はなぜ海洋民族ラピュタと共に縄文日本に結集したのか⁈なぜ巨石文明の遺跡が日本列島から続々と発見されるのか⁈
日本列島は先進文明の証拠群そのものであった!真実の日本の歴史では、日本は世界の中心にあって惜しみなく万人に幸せを振りまいていた。海洋民族と共に世界の情報を共有し、その価値を認め、さらに技術の先端を見つめる縄文1万年があったのだ。
7200年前頃、環太平洋を麻布の帆と双胴のカヌーで悠々闊歩するマオリ海人族がいて、彼らがボルネオ付近の湊川人(ムーの末裔)とミックスしながら海洋民族となる。これがラピュタである。
地球温暖化による火山爆発。この当時の天変地異を収めるために、古より巨石による宇宙神信仰をもつラピュタと縄文人は協力して、巨石文化を駆使した。
熊襲、ケルト、物部、蘇我、ドルイド、ヘブライ、フェニキュア、サンカ
それらのすべての秘密はここにあり!
この著者の本を読むのは2冊目だが、なかなか面白い。
『真実の歴史』武内一忠さんインタビュー(日本人の教養:日本の古代史編)
西澤ロイ【イングリッシュ・ドクター】チャンネル登録者数 8000人
https://www.youtube.com/watch?v=3ZK27JY1KzE
要点をまとめて伝える能力、明瞭な語り口もなかなかである。
この番組の中で、酒井勝軍(かつとき)戦前の人。日本にピラミッドがあって、それが拡がったと言い始めた人
→ 吉田 信啓(日本のペトログリフ研究の第一人者。) → そして、武内一忠と位置付けている。
3人とも興味深く、その本を読んできた人ばかりだから、俄然わたしのテンションも上がらざるをえない。
阿蘇の近辺にシュメールのペトログリフが刻印された超古代遺跡が散在すること。
とくに押戸石山遺跡は圧巻である。
武内氏も言ってる酒井勝軍(かつとき)について少々述べたい。日本神代史、超古代史を語る上で欠かせない人物だからだ。
「異端」の伝道者酒井勝軍 2012/久米 晶文 (著)学研プラス
600ページを超える大作である。
内容もまた素晴らしい。
酒井 勝軍(さかい かつとき、1874年〈明治7年〉3月15日 - 1940年〈昭和15年〉7月6日)は独自のキリスト教伝道者、日ユ同祖論者、オカルティスト、「日本のピラミッド」発見者である。
経歴
1874年(明治7年)山形県上山町(現在の上山市)で生まれる。幼名を山下勇吉といい、後に酒井姓を継いだ。山形英学校に入学するが、家庭の事情で退学した。
1888年(明治21年)J.P.ムーアによるキリスト教の洗礼を受けて、キリスト教徒になる。
1894年(明治27年)東北学院に入学。苦学して卒業した。
1927年(昭和2年)安江と酒井はパレスチナやエジプトに、大日本帝国陸軍からユダヤ研究のために派遣された。それ以来、安江は親ユダヤ主義傾向を強めている。(酒井はエジプトではピラミッドも研究したと言われる)。安江も大日本帝国陸軍特務機関に勤めながら、日ユ同祖論の書籍を出版している。安江の行為は、河豚計画を最終目的とする行為と思われるが、酒井の行為も側面から安江の計画を支援したとも考えられる。『神州天子国』出版。
1934年(昭和9年)4月24日、酒井は、広島県庄原市を府中町専売出張所所長である堀準衛ーらとともに調査し、葦嶽山を「ピラミッド」であると断定した。5月30日に中国新聞記者らに公開調査し、全国の新聞に報じられ、広島県の山村の村が一躍脚光を浴び、続々と見物客が押し寄せることになる。(鳥谷幡山が1934年(昭和9年)10月、青森県戸来村(現新郷村)において、ピラミッド大石神を「発見」する。1935年(昭和10年)8月初、同ピラミッドを訪問した、竹内巨麿は塚を発見したとし、後に「キリストの墓」とした)。9月11日の講演の後に、飛騨高山でピラミッド上野平を「発見」する。同年、『太古日本のピラミッド』(国教宣明団)出版。その後、続々と「日本のピラミッド」は「発見」され、現在に至っている。
酒井が提唱する日本のピラミッドとは、エジプトを初めとする海外のように人工的に造られた建造物ではなく、日本のものは自然の地形を利用しながら半人工的に石や土を積み上げて造られたものだという。そして数千年という長い年月の中で日本の風土環境の中、自然の山のようになってしまった。これは、古墳が地上から見たのでは自然の山々と区別がつかないのと同じであると唱えている。
私も15年前に現地へ行ってみたが、間違いなく、人工物であり、武内裕氏の「日本のピラミッド 昭和50年 大陸書房」によれば、「…筆者は太陽の照射方向、磁極の変化等を、現在調べられている範囲で、天文学上、地質学上のデータに基づいて計算してみたところ、逆にこの偏差から、葦嶽山ピラミッドと大石神ピラミッドが築造された年代を、2万3000年前という結果を得た」
2万3000年前!! これはまた途方もない。まだ日本列島が大陸とつながっていた頃の話である。
他にも、日本がピラミッド発祥だと言えば、造られた年代は残念ながら不明だが、例えば、秋田のクロマンタ、長野の松代町の皆神山、
そして、広島県の山中にある葦嶽山と。広く見れば富山立山連峰の中にもそれらしき構造物がある。
これらの人工物、ピラミッドはシュメール人が作ったものではないような気がする。
明らかに古すぎるのである。
それでは一体だれがこれらの構造物を作ったのか。
手掛かりは、「竹内文書」である。
竹内文書(たけうちもんじょ、たけのうちもんじょ、磯原文書、天津教文書ともいう)は、古代の文書を装ったとされる偽書。いわゆる神代文字で記された文書と、それを武烈天皇の勅命により武内宿禰の孫の平群真鳥が漢字とカタカナ交じり文に訳したとする写本群と、文字の刻まれた石、鉄剣など、一連の総称。天津教の聖典とされる。竹内文書の信奉者は、原本は後述の裁判に提出されたのちに東京大空襲によりほぼ焼失したと主張している。
竹内文書では神武天皇からはじまる現在の皇朝を「神倭朝(かむやまとちょう)」と呼び、これ以前に「上古25代」(または「皇統25代」)とそれに続く「不合朝(あえずちょう)73代」(73代目は神武天皇のことである)があり、さらにそれ以前に「天神7代」があったとしている。
「イスキリス・クリスマス(イエス・キリストとされる)の遺言」という「イスキリス・クリスマス。福の神。八戸太郎天空神。五色人へ遣わし文」で始まる文書がありそれによると十字架上で死なずに渡来(ゴルゴダの丘で処刑されたのは、弟のイスキリと記する)、1935年(昭和10年)8月初に竹内巨麿が青森県の戸来村(現在の新郷村)で発見した十来塚(竹内巨麿が村長に書くようにいった)が「イスキリス・クリスマス」の墓であるすなわちキリストの墓とし、モーセの十戒は実は表十戒であり、裏十戒・真十戒を含む原文の記された石を天津教の神宝として天津教が所有し、天皇が、来日したモーセに授け、モーセの墓が石川県の宝達志水町に存在している。釈迦をはじめ世界の大宗教教祖はすべて来日し、天皇に仕えたことになっている。
世界には五色人(ごしきじん。黄人(きひと、日本人を含むアジア人)、赤人(あかひと、ネイティブアメリカンやユダヤ人等に少し見られる)、青人(あおひと、肌が青白い。現在、純血種ほとんどなし)、黒人(くろひと、インドの原住民族やアフリカ人等)、白人(しろひと、白い肌やプラチナ、ブロンドの髪をしたヨーロッパ人))が存在していた。
↑まったく馬鹿馬鹿しいとする人も多い。彼らの意見もうなずけるところが多い。ただ、私は、結果が超古代遺跡がこの日本列島に残っている以上、何らかの手掛かりとしての竹内文書に注目せざるをない。
長野県の皆神山も秋田県のクロマンタも明らかに人工物、ピラミッドである。
行ってみて確信した。
土質の分析をやってもらいたい。どこからか運ばれたはずである。その調査が行われていない。
大日本帝国には同情的な私だが、唯一の間違いは、大本教をはじめとする新興宗教を弾圧したことだ。
昭和5年あたりから苛烈になった弾圧は、ダイナマイトを使って神殿を破壊するという徹底的なもの。
私は、日本が戦争に負けたのもそのあたりの余裕のなさが招いたものではと思ってる。
広島県の山中にある葦嶽山にも明らかにダイナマイトを使った破壊の跡があって私はひどく悲しくなってしまった。
しかしそれらの大日本帝国が弾圧した新興宗教というのはどれもこれも天皇制を否定するものではなかった。
それどころか、
「……ハルマゲドン終了後、日本天皇が救世主として世界に君臨するというのならば、その証拠をみせろという人がいるかもしれない。太古に日本天皇が理想的な世界統治を行っていたからといっても、それがふたたび実現するという保証などどこにもないからである。
このような疑念に対して、酒井勝軍が提示したのが日本のピラミッド論である。ピラミッドは日本天皇の神姿そのものである。また、エジプトのピラミッドの内部構造が救世主・イエスキリストの再臨を予言しているように、日本天皇の救世主として再臨を予言するピラミッドが日本にも存在していなければならない。いや必ずや存在するはずである。このような信念のもと、見出されたのが、葦嶽山ピラミッドと飛騨高山平面総合ピラミッドである。」
「異端」の伝道者酒井勝軍 2012/久米 晶文 (著)学研プラス 591ページ
武内一忠氏は次回作をもう書き終えたと言っている。
楽しみである。
併せて読みたい
ペトログリフが明かす超古代文明の起源 ペーパーバック – 2020/2/16 武内一忠 (著)
太古日本のピラミッド[復刻新訂版]――葦嶽山解説・登山ガイド付き【異界見聞録11】 ペーパーバック – 2020/酒井勝軍 (著), 素波英彦 (著)
太古日本のピラミッド: 昭和9年刊 Kindle版 酒井勝軍 (著)
「異端」の伝道者 酒井勝軍 2012/久米 晶文 (著)学研プラス
十六菊花紋の謎―日本民族の源流を探る 2003/岩田 明 (著) 潮文社
消えたシュメール人の謎―新・日本人起源説 (古代史の超深層Best Selection) 1993/岩田 明 (著) 徳間書店
↑この人もまた、シュメール人が日本に渡来したと言ってる人。シュメール滅亡後のその後の彼らの足取りまで論じていて具体的。三井船舶出身の一等航海士。今から四千年前、古代シュメール人の一族がインド・東南アジアを経由しながら日本に来ていた…。この仮説を実証するため、自ら古代シュメール船を復元、キャプテンとして乗り込み実験航海に挑戦した冒険記。シンガポールまできたが失敗。しかし、そこまで遠洋航海できるんだと実証したことは讃えてよい。
角川春樹がかつて「渡来人大量渡来説」を実証しようとして野生号という小舟で釜山から九州に向かい、その後、遭難(笑)、した事実とは大違いである。
2023-03-03
「2003年以前か以後か、それほど重要な著作、竹内文書」 「竹内文書」の謎を解く―封印された超古代史 2003/11/1布施 泰和 (著)成甲書房
https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/03/03/044323
「ロマン的日本超古代史論」(木村信行)日本歴史研究所 昭和60年
「日本超古代遺跡紀行」(木村信行)日本歴史研究所 昭和63年
「竹内文書」だけでなく、「九鬼文献」、「富士文献」、「上津文ウエツフミ」、「秀真伝ホツマツタエ」、など日本に古来から伝わる古史古伝のたぐいを総ざらいして、いっぺん現地(特に天皇陵を中心にして)に行ってみた「「竹内文書」の謎を解く」の先駆的な著作。