隠された日本古代史;存在の故郷を求めて 2022/林 順治 (著)彩流社 「これぞ、昭和脳の悲劇?」

林 順治氏と、「お師匠さん」の石渡信一郎の著作は長らくほとんど読んできた。
今回、林氏が集大成的な著書を出版した。いい機会なので論じてみたい。

 

林順治氏は、長らく三一書房の名編集者で、数々の傑作を世に出してきた。あとがきには名前は書かれていないが、

2023-02-25
「超画期的な至高の人種理論」」 「黒人→白人→黄色人」(高野信夫) 三一書房 1977

↑これがそうではないかな?  実に凄い本だ。感銘を受けた。日本人でなければ書けない、書かない本だ。

2023-06-03
常世伝説の謎 : ある東国の寺をめぐって  常世田令子 著 三一書房1987

↑これも心にしみる佳作である。時期的に違うかな?


1940年、東京生まれ。古代史研究、文筆業。
著書に、『馬子の墓』『義経紀行』『アマテラス誕生』『武蔵坊弁慶』『隅田八幡鏡』(以上、彩流社)『応神=ヤマトタケル朝鮮人だった』(河出書房新社)、『日本人の正体 大王たちのまほろば』(三五館)、『仁徳陵の被葬者は継体天皇だ』(河出書房新社)、『法隆寺の正体』、『古代七つの金石文』『アマテラスの正体』『日本古代国家の秘密』『エミシはなぜ天皇に差別されたか』『沖縄!』『日本古代史問答法』(以上、彩流社)、『『日本書紀』集中講義』『日本古代史集中講義』『干支一運60年の天皇紀』『八幡神の正体 新装改訂版』『天皇象徴の起源と〈私〉の哲学』『日本古代史の正体』(以上、えにし書房)、『蘇我王朝の正体』(彩流社)、『天武天皇の正体』(えにし書房)ほか。

 

編集者として、当時札幌市在住の石渡信一郎氏との出会いは繰り返して描かれる。
石渡氏の、説に、人柄にほれ込んだということであろう。
石渡信一郎もまた、私が好きな著者である。
完本 聖徳太子はいなかった (河出文庫) 2009/石渡信一郎 (著)
初出の三一書房版で読んだが、大山誠一氏より早い?

 

日本古代国家と部落の起源 1994/11/1石渡 信一郎 (著) 三一書房

 

↑これもよかった。だが、高本力の「千二百年の悲愁―部落の源流をたずねて (1984年)」と同様に「部落の源流は、律令国家(日本)の侵略に対して、何も抵抗せずに帰順したエミシの俘囚ではなくて、抗戦して捕らえられたエミシの戦士である。」であるとする所論は今では弱すぎる。

 

>菊池山哉のいう、蝦夷征伐による捕虜を俘囚と呼び、全国各地の産鉄地において労働者として従事させた、その地が「別所」だというのである。

 

鉄と俘囚の古代史 《増補版》 蝦夷「征伐」と別所 柴田弘武 (著) 彩流社 (1989) が、1989年に書かれ、2007年に「全国「別所」地名事典(上) 大型本 – 2007/柴田 弘武 (著) 彩流社」となって結実する。

 

朝廷の捕虜となった東北の産鉄民の移配地=別所説」はまったく正しい。

 

全国「別所」地名事典(上) 大型本 – 2007/11/1柴田 弘武 (著) 彩流社
古代史の真相に迫る、かつてない「地名」事典!「別所」―全国に遺る621ヵ所の地名を悉皆調査。「蝦夷征伐にともなう俘囚移配の主目的は、彼らを製鉄をはじめとした金属工業生産に従事せしめる為であった」という説を実証。

 

↑ここまで実証しなければダメではないかな。及第点は上げられない。


林氏の所論は、「朝鮮半島からの新旧二つ渡来集団による日本古代国家の成立」という石渡信一郎の命題をベースとする日本古代史である。
しかし、そもそもの、「半島人大量渡来説」が成り立たないのではないかと私は言いたいのである。
埋葬遺体の、稲のミトコンドリアDNAゲノム解析によって、半島からの大量渡来はなかったはなかったと言い切れるのだ。
数十万人も渡来したなんてありえないから(笑)。

 

最新の考古学の知見はこう。
水ノ江和同・考古学者「縄文人は海を越えたか?」より 朝日新聞出版 2022 
「まず何と言っても意外であったのは、朝鮮半島における九州由来の考古資料の少なさ、九州における朝鮮半島由来の考古資料の少なさである。」
「しかし、この遺跡の状況を見る限り、縄文人と「交流」を行った痕跡は存在しない。
 むしろ縄文文化の中にあって隔絶していた存在であったとも想定され、この遺跡には
 縄文人がまさに「行き来」していた程度の痕跡しかうかがうことはできない。」

 

「韓国人は何処から来たか」長浜浩明 2014.1.20 展転社
半島は、BC10000年~BC5000年の間、旧石器遺跡が(わずかしか)出土せず、ほぼ無人だった。
BC5000年頃から、縄文人が列島から半島に渡り 定住を開始。
BC2000年頃から、大陸北方から人々が(先住の縄文人を駆逐するように)侵入し、
縄文人と交雑し、縄文人と入替わって、半島人が生じた。

 

長浜浩明氏講演『韓国人は何処から来たか』(展転社刊)2015.5.24頑張れ日本!群馬県支部設立3周年 105,702 回視聴 
https://www.youtube.com/watch?v=GLxyhtn7P-g
日本の歴史学者は、朝鮮人をかばうからなのか、かばうためにうそまでついて朝鮮人になったシンパたち。
日本の歴史学会は、戦後、国学派の歴史学者公職追放して、マルクス学派講座派の東大派閥で牛耳られてきた。

 

437名無しさん@恐縮です2020/01/26(日) 14:40:50.27ID:nG9Xq01D0
>>428 更に渡来人系は戦争捕虜系や百済難民系など色々あるんじゃね?

歴史学者、考古学者は軽々しく渡来人っていうけどそもそも、渡来人ってそんなにきてない 海があるから渡れないよ 
弥生時代後期、古墳時代ふくめてもせいぜい2、3千人てとこだと思う。

40年くらい前、角川春樹が音頭とって野生号という小船で釜山から日本を目指したが、途中漂流(笑)。

しかも、果敢に海を渡れたのは半島の最下層ばかり。
そんなのが縄文人の中に入って何をする?

 

終戦直後の話だけどエンジン付きの船ですらこう↓

*1996年6月19日生野区中川小学校教職員研修会における金徳煥(キム・トックァン)さんの講演 
さっきの話ですが、済州島にいる人たちを、親戚関係・ムラ社会を通じて、どんどん招ぶわけです。 「日本に来て働かんか。金儲けになるで。」というわけで、たくさんの人たちが日本にやって来ます。ただし、パスポートはありません。いわゆるドンドコ船と言いましたが、1週間、2週間、飲まず食わずで、 漁船の底に潜んで日本に来るのです。日本に来て、親類の人の所へ着けば、 

 

7世紀の遣唐使でさえ約半分が渡れなかった。国家公認の当時精一杯デカい船ですらそう。何万人も何十万人も渡来したなんてファンタジーにすぎない。


「古代朝鮮語」で云々 すでにその段階でダメ 古代朝鮮語なるものは存在しない。 
新羅のリトのことを言いたいんだろうが、金石文でいくつか残ってるだけで日本語のルーツを解明できるほどの量がない。
古代朝鮮語は断片的には残っているのだが、日本書紀!などにあらわれる古代朝鮮語の単語は、同時代の日本語の語彙と一致していない。
司馬遼太郎はじめ、「古代朝鮮語」で云々言ってるのは胡散臭い。
朝鮮最古の三国史記は11世紀の書物  万葉、古事記日本書紀より300年以上遅い。


しかも、果敢に海を渡れたのは半島の最下層ばかり。そんなのが縄文人の中に入って何をする?

↑石渡・林理論にも密接につながってくる話なのでここをもう少し掘り下げたい。


石渡・林理論によれば、
「応神陵の被葬者は百済王21代の蓋鹵(こうろ)王(在位455~476)の弟・昆支(こんき)王である。昆支は、461年に倭国に渡来して加羅崇神王朝の入り婿となり、崇神・垂仁+倭の五王のなかの武として、478年、倭国王となった。」

 

↑石渡・林理論の核といえる所論だが、私の感想から言うと、ありえねー。

 

ちょうせんじんが一匹はるばる海を渡って日本列島にたどり着いたとしよう。

「こいつ何者?」という当たり前の感慨を縄文人たちは抱かなかったのか。
弟・昆支(こんき)王とやらが、渡ってきたとしても、そいつがいきなり入り婿とか倭国王(笑)とかありえないから、わるいけど。まったく馬鹿馬鹿しい説である。

 

昭和脳ジャンプ(笑)と私が名付けている独特の思考だ。左派の人特有のものである。司馬遼太郎なんかが有名どころでは典型だ。半島から日本より優れたものがきたはずだ(じつは何の根拠もないのが驚きである)。天皇陛下まで半島由来として、恬として恥じるところがない。まことに呆れた「日本人」だ。

 

20年以上前から、石渡信一郎の本読むたびにそこが弱点ではないかと感じていたが、このところのゲノム解析の長足の進歩によって、石渡・林理論の核といえる所論、渡来人の大量渡来自体ありえなくなってしまった、嗚呼!

 

アマゾンレビューをみると、高評価が多い(笑)。
最新の知識にアップデートできない「昭和脳の群れ」と言ったら言い過ぎか。