前方後円墳と神社配置―古代史の聖三角形〈2〉 (ロッコウブックス) 1987/三橋 一夫 (著)六興出版 前方後円墳の配置に見出される「聖三角形」が、古代史の謎を次々に解き明かす。神話とされていた神武東征を始め、「欠史八代」の真偽に迫る第2弾。

たまたま、2冊目の本作をタイトルに挙げたが、これは3冊まとめてじつに驚くべき本である。
日本地図の、前方後円墳、神社などにひたすら線を引く。
浮かび上がってきたものは、「聖三角形」だという。
その三角形のなかでも、形が微妙に違い、3種類に分けられるという。
便宜上、著者は、住吉式(点在式)、安曇式(放射式)、出雲式(鎖式)、(あくまで便宜上分けたもの)と名付け分けてみた。
3種類、微妙に形が違うが、そのような三角形が地図上に出来上がることに私も実践してみて驚いた。

 

これを、大和朝廷発祥の地、畿内に当てはめると見えてくるものがある。
「このように重合している地域を「ス」と呼ぶ。「ス」は特殊な場所である。
日子(ひこ)、日女(ひめ)が、太陽の霊を受ける儀式を行った場所である。
どこにどう神社を設けるかは、誰でも好き勝手に行えたのではなく、かれらの親族から生まれたと思われる三天法技術者集団しか行えなかった。
というのは、神社は太陽の気を発する地点であり、そこに気を吹き込むことができるのは、太陽の子であるヒコまたはヒメだけであると考えられていたからである。」
「スで行われた太陽霊を受ける儀式は、その後は、天皇の即位礼に残されている。
なお、日子だけが設けることができた神社は、当初から社殿が建てられていたわけではない。
おそらくは、石、特殊な形をした石、大きな石、あるいは石にしめ縄を張ったものであっただろう。
それらの石の意味が忘れ去られそうになった時期に、社殿が設けられた。」

にわかには信じがたいところもある説である。
ただ、現実に実践してみて三角形ができあがるので否定しがたいものがある。
三角形を作ってよくみると、神武天皇は言わずもがな、いわゆる欠史八代天皇も実在したと著者は言う。
(煩雑になるので、この点、省略)だが、本当に凄い。各天皇といわゆる「ス」が特定されてるし、説得力がある。

 

神武天皇はいた。大和に来た。そこで従来の三天法にのっとって日子になる儀礼を受けた。
言い換えれば、天皇になった。
普通、日子の子供たちは、新しい土地に進出し、出先で日子になるのだが、神武以後、かなり長い間、天皇になる儀礼はなぜか大和でのみ行われるようになった。」
まったく新しい角度から日本古代史に光を当てた著者のアイデアは凄いと思う。

 

ここまで見てきて、日本書紀を眺めると、非常に奇妙なことに出会うと著者はいう。
つまり、景行天皇の九州遠征はじめからはなかったのではないか。
北部九州の古代史拠点地域に線を引くと、安曇式と住吉式の2種類に決然と分かれていると。左側は住吉式で、右側が安曇式であることから、
「前に見たように、遠賀川流域は住吉族の土地だったが、福岡市は安曇族の土地である。同じルーツの氏族ではあるが、住吉族は安曇族の土地に侵入はしていなかった。一口に言うと、景行天皇が九州に遠征したその道々というのが、大分と別府は出雲族、その他はことごとく住吉族の土地で、安曇族の土地にはひとつも手を付けていない。
これは奇妙だ。神武は住吉族の力を借りて大和に進出した。九州の住吉族には、たとえば宇佐津彦のように論功行賞を与えている。
それから何年もたっているとはいえ、どうして景行天皇の世になって、よりにもよって住吉族の土地にだけ軍を進めなければならないのか。
神武を送り出したものの、賞にはあやかれなかった九州の住吉族が、こぞっていっせいに蜂起したとでもいうのか。
この謎は、景行天皇の遠征説話が安曇族のオリジナルだったと考えると筋が通る。
日本書紀編纂にあたって、九州王朝の伝承が大和朝廷史書に組み入れられてしまったのである。
事実は、景行天皇の九州遠征はなかった。
このことは古田武彦氏の「よみがえる九州王朝(角川書店・昭和56年)」に詳しいが、神社配置からみても同様の結論に達する」

 

この人も古田武彦(九州王朝)信奉者であったのかという驚きがあったが、ここまで書いて、はたと気が付いた。
03-24に紹介した「魏志倭人伝を解く」序章 倭歌が解き明かす古代史 邪馬台国田川説の濫觴 福永晋三 同時代社 2021.9のことである。
九州に2王朝が並立してたとは福永氏が初めて提唱したことだ。
香春・田川を中心に 神功皇后神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)、豊の国といい、西側は久留米を中心にして「筑紫国?」、いわゆる「倭の五王」もここを拠点にしてた。
九州に2王朝が並立してた??
もしやこれは?

 

このブログをはじめて2か月になるが、これまで読みためてきた本から主に引っ張り出して書いているのだが、つくづく感じるのは、こと、日本古代史に関する部分、いわゆる「九州王朝説(古田武彦先生説)」の影響力の大きさである。
私の好きな人、面白い説を唱える人には、「九州王朝説(古田武彦先生説)」信奉者が多い。これはいつわざる現実である。
しかも、音楽評論家である著者が書いたという事実に驚きもひとしおである。
とはいえ、著者には、神道系の本、コトダマについてなど類書もあるが。

 

いきなり本題から外れるが、古本の価格というものも考えさせられるものがある。
「併せて読みたい」のトップに挙げた「古代日本にカバラが来ていた」などは現在、12000円!!だという。言っては何だが、内容は平凡である。
三橋 一夫氏のこの3部作に比べて、内容は実に乏しい。
比べて三橋 一夫氏の3部作の安いこと安いこと、500円という値段にも驚く。

 

併せて読みたい
古代日本にカバラが来ていた―現代に及ぶ預言の謎 1995/北 卓司 (著) 鹿砦社
日本の黎明期に、ユダヤの神秘思想であるカバラを携えた人々が渡来し、平安の国を立てようとした…。古代人の信仰の土台であった神話に大胆な解釈を試み、古代祭祀霊場配置の原理を明かす、風変わりなフィクション。

神社配置から古代史を読む―古代史の聖三角形 1 (ロッコウブックス)三橋一夫 1986/六興出版
神社配置から天皇を読む―古代史の聖三角形〈3〉 (ロッコウブックス) 1990/三橋 一夫 (著)六興出版
日本各地に点在する神社は、いつ、どのような人びとによって造られて来たのか?それぞれの神社の間には、なにか繋がりがあるのか。聖三角形を綾なす聖域をめぐって、その「位置と関係」をつぶさに検討、それらを「意味ある記号」としてとらえ、遠く古代に、全国くまなく〈神社〉を配置していった氏族たちの意図と歩みの跡を縦横に読み解き、その統合者である「日子」としての天皇像に迫る画期的試論。

 

竹内文書」の謎を解く―封印された超古代史 2003/11/1布施 泰和 (著)成甲書房
「ロマン的日本超古代史論」(木村信行)日本歴史研究所 昭和60年
「日本超古代遺跡紀行」(木村信行)日本歴史研究所 昭和63年
竹内文書」だけでなく、「九鬼文献」、「富士文献」、「上津文ウエツフミ」、「秀真伝ホツマツタエ」、など日本に古来から伝わる古史古伝のたぐいを総ざらいして、いっぺん現地(特に天皇陵を中心にして)に行ってみた「「竹内文書」の謎を解く」の先駆的な著作。