作家と風土 (1956年) 岡田 喜秋 (著) 築地書館 石川啄木と円錐火山 ー自然美と宗教についてー

1926(大正15)年、東京生まれ。作家。旧制松本高校を経て、1947(昭和22)年、東北大学経済学部卒業。日本交通公社に入社し、1959(昭和34)年より12年間、雑誌『旅』編集長を務める。雑誌編集者時代から日本各地を取材して、数多くの紀行文を発表。日本交通公社退職後は、横浜商科大学教授として、観光学の構築に努める。

雑誌「旅」の名編集者で、松本清張「点と線」を世に出した人で、素晴らしいことに、まだ西東京市にて健在である。

 

紀行作家である著者は昔から好きな人で、すべての著書を読んでいる。
数ある名著の中から特にこの古い本を引っ張り出したのは、冒頭の石川啄木宮沢賢治の対比が余りにもすばらしいからである。

 

石川啄木と円錐火山 ーー自然美と宗教についてーー

「啄木の文学を論じる場合、いままでは、たいてい社会主義思想家としての彼や、放浪の旅をつづけて生きた詩人としての研究が多く行われている。
しかし、私はいま、この二つの面をとらない。岩手の風土に生まれ、渋民村という北上川のほとり、岩手山のふもとの大地に生まれたひとりの人間として考えてみたいのである。詩人や社会主義思想家である以前に、彼の内部にあったはずの日本人の血液というものを考えてみたい。その生地が岩手山という美しいコニーデ火山の山麓であったということは、彼の生活に重要な関係がある。
なぜなら、ふるくから、日本人はそうした美しい山に対して、感度をしめしてきたはずであり、彼もまたその例にもれず、この山に強烈な愛情をそそぎ、いかにも日本人らしいひとつの感性があらわれているのをはっきりと彼の文学ににみることができるからである。」

山を見たくて、山に囲まれて生きたいと望んで、山を見られない東京から旧制松本高校に進んだ、著者の慧眼であると思う。

 

神のごと
遠く姿をあらわせる
阿寒の山の雪のあけぼの
目になれし山にはあれど
秋くれば
神や住まんとかしこみて見る

 

「山」を「神」であるとする思想の発生は、なにも啄木に始まったものではなかった。
万葉のむかしから、人がことさら目にとめた山は、歌にもはっきり現れている。
ヒマラヤやアルプスのように、連峰をなしていない場合、山の存在は、孤高なそしてある不動の存在を感じさせると美学者は言ったが、山は尊大にして、語らざるある未知なもの、人間を超越して、沈黙の睥睨をつづける神秘な存在ともなることがある。
たとえば、それは富士山に対する日本人の過去の感覚をみても、はっきりとわかることである。
しかし、たとえば古代ギリシャのように、神が人間の姿をしている宗教もある。
西洋では、はじめから神とは、人間の精神と理性を備えた最高の存在というかたちで偶像視されたのがその特色である。

 

ふるさとの山に向かいて
言うことなし
ふるさとの山はありがたきかな

 

山はたんに、孤高を保ち、雲上にそびえ、人間の世界を超越している偉大なものというだけではなく、山は嵐や風をうけてもなお、不動の沈黙をつづけている畏敬すべき存在と考えられたのである。
啄木にとっては、他の多くの日本人がキリストという神を必要としないように、淋しいとき、失意のとき、満たされざる生活を送るとき、啄木は神という特定の存在にすがる気持ちはなかった、彼はそのとき、あのコニーデの岩手山のすがたを思い浮かべた。
「ふるさとの山に向かいて言うことなし、ふるさとの山はありがたきかな」の気持ちは、まさに啄木の宗教観そのものである。

 

併せて読みたい
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ヤマケイ文庫 定本 日本の秘境 岡田 喜秋 2014/2/28
↑正に、土地に、人に、歴史あり。どれを読んでも素晴らしい。手元に置いて繰り返したい本である。