泥棒に後利益のある神社が千葉県にある。 「泥棒神社・建市神社」(日本民俗学神事編1より・大和書房 昭和51年、中山太郎著)

市原郡に武士村といふあり。彼地に、山高くして舟行の標となるあり。
山上に古神祠あり。土俗相伝、神誓ありて盗賊を護すと。
賊遁れて此山に匿るヽ時は見へず。故に盗神の称ありと。
思ふに、跖が徒を祭れるにてもあらじ。此地、山深く人居稀にして亡命逃竄の徒の巣居となりぬれば、かく汚名を蒙らしめけり。
中村国香(江戸時代中期の儒者)。『房総志料』より

 

ちょうど10年前の4月の寒い日、この泥棒神社こと建市神社へ出かけてみた。
千葉県内房線五井駅から小湊鉄道に乗り換え、上総三又駅で下車。
駅周辺は見渡す限りの水田で、その水田の中の道を東へひたすら歩く。
広い田んぼが広がっている中を2キロほど歩くと武士の集落に出る。
さらに、1キロほど行くと、高さ100メートルほどの小山が見えてきた。
あれがそうだろうとあたりを付けて登りにかかる。ちょうど登り口の交差点付近で農作業をしている男性がいたので、この山が大明神山かと聞くと「そう、この辺りが大明神」という答えが返ってきた。どうやらこの付近の小字名を「大明神」というらしい。それならば間違いないだろうと、山に続く小道へ入っていく。

 

ところがこの小道、人通りが全く無い上に、周囲には木や薮が生い茂っており、非常に不気味な雰囲気なのである。
昼なお暗いというか、本当に山賊でも出そうな雰囲気であった。
幅2メートルくらいの暗い細道を登りきると、平らな空間に出た。
椎の木が鬱蒼と生い茂り、昼なお暗く、本当にすぐ去りたくなった。
ちなみに神社本体は近くの平地に移転したそうで、ホコラの土台だけが残り、石仏のようなものが数点置かれているだけであった。
その向きの人かどうかは分からないが、お参りしたあとがありました。
「房総の古社」(菱沼勇)によれば、元からの祭神は不明とのこと。
私が行った10年前でも山の向こうは産廃置場になってしまってるらしく、遠くからトラックの音が聞こえていた。

 

泥棒でも罪人でもいったんそこへ逃げ込めば手出しができなくなる土地というのが存在した。
アジールなどという。一種の治外法権のような性質を持った土地・地域である。
古代のエジプト、ギリシアヘブライ人にアジール権があったことが知られている。旧約聖書の『民数記』や『申命記』には逃れの町の規定があり、過失による殺人を犯したものは、イスラエル中に6つ指定された逃れの町に避難することができ、この町の中にいる限りは、復讐をまぬかれることができた。

日本でも古くは対馬の天童などがそうである。
江戸時代の縁切寺も同様だろう。
エンガチョなどといって、子供の遊びにも今なお生きている。
こういうのは探せば全国にあるらしい。
民俗学者中山太郎が挙げているのは、岐阜県大野郡大八賀村大字三願寺に「釜の森」という場所があって昔から、この森に入った盗賊はそこから出たことがない。さらに、岡山県御津郡大供村の戸隠神社なども昔、盗人がこの神社へ隠れて、一命を助かったので、土地の者はこの社を盗人宮と言っている。
千葉県の泥棒神社もそのたぐいがおそらく発祥であろう。