なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか (PHP文庫) 文庫 – 2014/8/4日高 義樹 (著)  「戦争を早く終わらせるための原爆投下」は、やはりウソだった。 新たな記録の発掘をもとに、日本人が目を背けてきた真実を明らかにする。

人種偏見、差別の強い白いアメリカで黒人の次に日系米人は強い差別を受けていた。
大正13年5月31日 アメリカ大使館に隣接する空き地で割腹の自刃を遂げた無名の青年がいました。アメリカ国内では「反日機運」が強くなり、その年の4月に「排日移民法」が成立したことに対して、
「生きて永く貴国人に怨みを含むより、死して貴国より伝えられたる博愛の教義を研究し、聖基督の批判を仰ぎ、併せて聖基督により、貴国人民の反省を求め…」と遺書を残しアメリカに抗議しての自決でした。

 

 昭和天皇は戦後の回想(昭和天皇独白録)の中で戦争の遠因として以下のように述べています。
「この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦後の平和条約の内容に伏在している。
日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州(カリフォルニア)移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに十分なものである。又青島還付を強いられたこと亦然りである。
かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がった時に、之を抑へることは容易な業ではない」

ちょうせんじんとバカ左翼にだまされて、いまだに日本政府や日本軍を批判してる低能が多いが、戦争は避けられなかったんだよ。

 

【米国】「日本への原爆投下も国際法違反か」、シリア関連でロイター記者が質問 副報道官は回答避ける★2 [13/08/29]
1945年(昭和20年) 8月9日 - 長崎への原爆投下により、爆心地から至近距離に在った浦上天主堂は ほぼ原形を留めぬまでに破壊。投下当時、8月15日の聖母被昇天の祝日を間近に控えて、ゆるしの秘跡(告解)が 行われていたため多数の信徒が天主堂に来ていたが、原爆による熱線や、崩れてきた瓦礫の下敷きとなり、主任司祭・西田三郎、助任司祭・玉屋房吉を始めとする、天主堂にいた信徒の全員が死亡。 
 その年の10月、一人の復員兵が浦上の廃墟を訪れる。長崎の出身で、北海道の修道院に帰院する途上の  野口神父であった。師が深い祈りをを捧げている時、瓦礫の中から、真っ黒に焼け焦げた顔が、深い悲しみを  たたえて自分をみつめていることに気付く。 天主堂の祭壇に奉られていた聖母マリアのお顔であった。 

 

勝利したのは日本。

ますますアメリカは苦しくなっていく。

被曝のマリアをみたら、 アメリカは呪われた国だとわかる。
これは偶然じゃない、これこそ神の摂理。長崎への原爆投下は「事故」だったんだよ。 

 

横から見た原爆投下作戦 (単行本) 秋吉 美也子 (著) 
長崎原爆の当日、第一目標であった「小倉の天候は悪くなかった」 
 「小倉の工場では煤煙を大量に出して煙幕を張っていた」 
 連日の爆撃でなんとかしようとみんなで古タイヤを燃やしていたらしい 。
 それをB29のパイロットが天気が悪かったと誤認報告 。
 軍事都市・小倉の対空砲火は激しく、都築の基地からも迎撃機が飛び立つ。 
投下をあきらめて左に急旋回、止むをえず捨てたような長崎への投下だったという。 
世間的には天気が悪かったとそのままになってるけど、実際はちがう 。
 
1945年8月9日10時30分
V-77“ボックスカー”、三回の爆撃航程に全て失敗。残燃料に余裕がなくなった上、日本軍の高射砲及び五式戦(陸軍59戦隊)と零戦(海軍203空)の迎撃を受けたため小倉への爆撃を断念。小倉上空を離脱し、第二目標である長崎市へ移動する
1945年8月9日10時50分
V-77“ボックスカー”、レーダーを用い長崎市上空の攻撃始点(IP)に到達。雲の切れ間より市街地が見えたことで、即座に自動操縦に切り替え目視爆撃の実施を決断

 

ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」 [単行本] 高瀬 毅 (著) 出版社: 平凡社 (2009/07)http://www.amazon.co.jp/dp/4582824536
内容(「BOOK」データベースより)
浦上天主堂の廃墟が戦後13年目に取り壊された裏に何があった?長崎原爆の隠された真実に迫る、渾身のノンフィクション。
なぜ、長崎に原爆ドームが無いのか http://t3mi.exblog.jp/13366829
■取り壊された「浦上天主堂」の廃墟 http://laudate.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_9f3b.html
アメリカにとって消さなければいけなかった過去 長崎原爆 浦上天主堂の取り壊し (27)http://plaza.rakuten.co.jp/alex99/diary/200808160000/
↑当時の長崎市長アメリカに懐柔されて取り壊し。お人よし(売国サヨク?)って何をやらせてもダメだなあ… ため息

 

「2014年2月28日、ロシアのプーチン大統領ウクライナに対する侵略を始めたが、ウクライナが1994年、ブダペスト条約によって冷戦時代の核兵器をロシアに引き渡さなければ、ロシアのプーチン大統領ウクライナからの核による報復を恐れ、侵略を思いとどまっただろうとウクライナの人々は考えている。
この1994年のウクライナのロシアに対する核兵器引き渡し協定は、アメリカのクリントン政権が強く推し進めたものであった。」
(文庫版まえがきより)

 

アメリカに対して厳しいことを書いてきたが、アメリカ人は嫌いではない。
むしろ、話せる連中だと思っている。
私が嫌いなのは、反日ユダヤ人のアメリカ民主党の輩である。
ホント、許せない。
無警告で人口密集地に2発も原爆落として、反省するでもなく、原爆の効果みて、あまりの被害に恐らくショック受けて、開き直って、それから「南京大虐殺」とか作り出して東京裁判で松井大将処刑しやがった。
もっと腹が立つのはそういうのを知らずに「南京大虐殺」とかのお先棒担ぐ日本人が存在すること。
嗚呼、情けない。
今後、日米関係が悪化したとき、話せるのは共和党系の保守的なアメリカンだけだと私は信じてる。

 

アメリカはアメリカ兵捕虜が12名いるのを知って、広島に原爆投下して味方を焼き殺した。 長崎には4名いた。 
シナが日本に躊躇するわけがない。 

 

併せて読みたい
排日の歴史―アメリカにおける日本人移民 (1972年)若槻 泰雄 (著) (中公新書

排日移民法の軌跡 : 21世紀の日米関係の原点 吉田忠雄 著 経済往来社 1990
アメリカの人種的偏見;日系米人の悲劇 (1970年)ケアリー・マックウィリアムス/新泉社
アメリカの強制収容所 : 戦時下日系米人の悲劇 / A.ボズワース 著 ; 森田幸夫 訳1983.5, 新版 東京 : 新泉社