福沢諭吉の真実 (文春新書) 2004/平山 洋 (著)を批判的に読む 日本の歴史から、「長崎事件」が消えている!!!

日本の文明開化を先導した偉大な思想家福沢諭吉は、アジアを蔑視し中国大陸への侵略を肯定する文章をたくさん残している。それを理由に福沢を全否定しようとする動きも絶えない。確かに現在も刊行されている福沢の全集にはその種の文章が多数収録されている。しかし、それを書いたのは本当に福沢本人なのか。もし、誰かが福沢の作品ではないものを福沢の真筆と偽って全集にもぐりこませていたとしたら…。この巧妙な思想犯罪の犯人は一体誰なのか。

「アジア蔑視主義者」の疑いをかけられた福沢の汚名を、学問的な調査により晴らすというものだ。
読みながら感じたのは、福沢を擁護する姿勢が過剰な余り、石河幹明なる人物が相当な悪者として描かれているということ。
もし、この本が真実でないならば、石河氏こそ、平山氏によって汚名を着せられたことになる。

 

平山洋氏は何もわかっていない。そう断言できる。
反論の書がまたおもしろい!!! 20年も前に、こんな面白いやり取りがあったのか!

福沢諭吉戦争論天皇制論 新たな福沢美化論を批判する 安川寿之輔/著 東京 高文研 2006.7

 

↑一読の感想。平山洋氏を徹底粉砕!!


何気なく手に取ったのは「福沢諭吉の真実」の方が先である。
その後、安川寿之輔氏の反論の書を読んだ。

きわめて胡散臭い「井田メソッド」なるものを持ち出して、これは諭吉が実際に書いたもの、これは怪しいなどと判定していくものであるが、これが極めて胡散臭い代物。

もっとも、素人の私には、この本で述べられていることの真偽は判断できないから、印象批評にならざるを得ないが、読後感は「不自然」といったものだった。なぜなら、誠実に研究した結果こうなったというより、初めに福沢諭吉を徹底して守ろうという先入観があり、それに合わせて資料や読み方を提示していると思われたからだ。

 

本書の著者が頼りにした、論説の真贋を判別する手法である「井田メソッド」とともに、著者の主張は、安川寿之輔『福沢諭吉丸山真男』(2003年)および『福沢諭吉戦争論天皇制論』(2006年)により、完璧に否定されている。要するに、福沢は、たとえ自らが執筆しなくても、『時事新報』の論説の内容に絶大な影響を及ぼしており、書簡など客観的な資料からも、論説の主張は間違いなく福沢の主張そのものなのである。

それに平山洋氏が不可思議なのは、福沢諭吉のちょうせん、ちょうせんじん原体験といったもの全く触れていないことだ。
「脱亜論」で彼はなぜ朝鮮を見限ったのか。

 

《左れば斯る国人に対して如何なる約束を結ぶも、背信違約は彼等の持前にして毫も意に介することなし。
既に従来の国交際上にも屡ば実験したる所なれば、朝鮮人を相手の約束ならば最初より無効のものと覚悟して、事実上に自ら実を収むるの外なきのみ》
(『時事新報』明治三十年十月七日)

 

これは福澤諭吉の言葉であるが、まさに現在の日韓関係の本質を言い当てているではないか。
ただし福澤は決して「嫌韓」論者なのではなかった。

後で引く有名な「脱亜論」もそうである。
彼は西洋列強のアジアへの帝国主義的な侵略にたいして、明治維新によって近代化の道を拓いた日本こそが、中国や朝鮮にたいして力を貸して共に連帯して抗すべきであると考えていた。

また亜細亜という言葉から中国(清朝)と朝鮮を同じく捉えていたのではなく、むしろ朝鮮をアジア同胞として清韓の宗属関係から脱却させ日本のように文明化させることの必要性を説き尽力したのである。
李氏朝鮮の旧体制(血族や門閥による支配)のままでは早晩、清国やロシアの植民地となり、それはそのまま日本の国難になるからだ。

李朝末期のこの腐敗した絶望的な国を変革しようとした開化派を福澤は積極的に支援し、そのリーダーであった金玉均らの青年を個人的にも受け入れ指導教育を惜しまなかった。
また朝鮮に慶應義塾の門下生を派遣する行動を起こし、清朝の体制に取りこまれるのをよしとする朝鮮王朝の「事大主義」の変革をうながした。

清仏戦争が勃発し、清国軍が京城から退却したのを機に開化派がクーデターを企てるが(甲申事件・明治十七年)、それが失敗に帰したことから、朝鮮における清国の影響力は決定的となった。
福澤のなかにあった日本による朝鮮の文明化の期待も潰えた。

 

日本に十年余り亡命した金玉均も明治二十七年上海で朝鮮の刺客に暗殺され、その遺体は無残に切断され国中に晒された。
福澤に「脱亜論」を書かしめたのも、朝鮮の開明派、独立派の人々への必死の支援がことごとくその固陋な中国従属の封建体制によって無に帰したことによるものだ。

福澤の文章の烈しさは、そのまま朝鮮の開化を祈念していた彼の思いの裏返しの憤怒であった。
しかし福澤は「文明化」自体に絶対的な価値を置いていたのではない。
「脱亜論」の冒頭でも「文明は猶麻疹の流行の如し」といい、「有害一偏の流行病にても尚且その勢いには激すべからず」として文明化は利害相伴うものであることも語っている。

むろん福澤はアジアのなかで唯一文明化に成功した日本を正しい選択であったとしている。
大切なのは西洋文明の波がかくも急速に高く押し寄せているときに、旧態依然の「外見の虚飾」を捨てない朝鮮の政体と人民への絶望と苛立ちをはっきりと表明してみせた言論人としての姿勢である。

こんなこと、通りすがりの、専門外の私でも知ってることだ。


福沢諭吉『脱亜論』の現代抄訳

日本の不幸は中国と朝鮮半島だ。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、
同じ古典を共有しているが、もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、
日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、
しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、
道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも
「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
(中略)
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
東アジア共同体」の一員としてその繁栄に
与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。
(明治18年(1885年)3月16日)

『脱亜論』全文
ttp://www.jca.apc.org/kyoukasyo_saiban/datua2.html

 

SAPIO】「約束は無効と覚悟せよ」「亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」…福沢諭吉が見抜いた韓国の本質[04/16] 
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1523843481/ 


朝鮮人の民族性を熟知していた吉田茂はこのようなことを言っていた。

「李承晩が原因となり日本と南鮮はこの先100年はつまらんことでいがみ合い
まともな外交関係を築くのは難しい」「日韓交渉にしても請求権問題、併合当時の
日本人の資産問題、李承晩ラインの問題など下手に南鮮に譲歩したら百年の災厄になる」

■ 1949年に吉田茂首相は連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥に「在日朝鮮人の全員送還を望む」
  と題する朝鮮人送還を求める嘆願書を提出している。 
  嘆願書では台湾人はあまり問題を起こしていないとして朝鮮人のみの送還を強く訴えた。 
  吉田首相は朝鮮人の半数が不法入国者であることを明らかにしたうえで、問題点を指摘した。 

1.日本の食糧事情がひっ迫しており朝鮮人の分まで輸入するのは将来の世代への負債となり公正ではないこと 
2.朝鮮人の大多数は日本経済の再建に貢献していないこと。 
3.朝鮮人は犯罪を犯す割合が高く、日本国の経済法規を破る常習犯であること。 
かなりの数が共産主義者とその同調者であること。投獄者が常に7,000人を越えること。 
朝鮮人の送還費用は日本政府が負担するとして、マッカーサーに送還の承認を嘆願した。 


例えば、一例挙げよう。
ようつべを見ていると嫌韓意識に凝り固まった私(笑)に向けておすすめの動画というのが上がってくる。

韓国人や脱北者日本旅行記といったものだ。
これは危険だと断言できる。
なぜなら、そのまま気に入った日本に侵入して生活保護をもらってやろうという底意が透けて見えるからだ。
お人よしの日本人はこういった動画に評価するをたくさんつけているが、ちょうせんじんのたくらみが見えていない。危険である。

現実に実際に、河本準一事件(2012年5月25日 謝罪会見)というのがあった。


han********さん 2012/5/25 14:44 6回答

河本準一、母親・姉・叔母A・叔母Bが生活保護を需給 総額9792万円 @@@@@@@@@@@@@@
(週刊新潮より)
母親・姉・叔母A・叔母Bが需給
一人17万を4人で月々68万
2000年から先月まで12年間需給で、総額9792万円なり
生活保護不正受給の為に
隣同士全部別々の家に住み
全員が生活保護不正受給十数年継続。


河本準一の親族が簡単に生活保護を受けられたのは彼らが、在日朝鮮人であったからだ。これは間違いない。

 

398 名前:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2012/05/18(金) 07:59:41.77 ID:K/jl+uCp0 [9/9] 
今日のやじうまの数字だと、生活保護費3.7兆円 (河本問題、テレ朝の朝番組で初めて一般論として報道) 
うち在日韓国人特別永住者が1.2兆円 

3分の1が朝鮮人に食われてる。 
片山さつき議員の数字は特別永住者を含んでいない。帰化した「日本人」も入っていない 
在日韓国人生活保護費は、朝鮮人特別永住者を加えると年1兆2000億円になる 
在日外国人と特別永住者は、別集計である。厚労省のキョッポの生活保護費を少なく見せる古い手 

 

2014/06/22 【社会】離婚女性が困窮の果てに生活保護申請するも、断られるケースが増加…「子供は施設に入れたらいい。いくらでも働けるでしょ」★3

 

チョンコのナマポの得意技 「世帯分離」 例:河本一族…

チョンコのナマポの得意技 自己申告の詐病 「突発性難聴」例:河本一族…

 

↑こんな類似のちょうせんじん家族がいまの日本に他にもゴロゴロいるんだぜ、気が遠くなる思いである。
 1300億、ちょうせんじんの生活保護に出しているという誤った情報が流布してる。ちょうせんじんの生活保護費のすべての予測は、1兆2000億円である、どうだ驚いたか(笑)


こういう嫌韓意識は明治の世ではごくごく普通だったのではないか。
知れば知るほど嫌いになる国・韓国(ちょうせんじん)というのは決して大げさではない。↓

 

【国内】「余は支那人朝鮮人に生れなくつて、善かつた」夏目漱石の随筆「韓満所感」が発掘-伊藤博文暗殺など題材[01/07] 
https://awabi.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1357562406 

夏目漱石(1867~1916年)にも『満韓ところどころ』という旅行記があって、韓国のことが出てくる。
満州からの帰路、韓国にはちょっと立ち寄ったという感じではあるが、漱石にも興味をそそられた風がない。 
漱石には「満韓旅行後のインタビュー」というのがあって、そこにはこうある。 

 

「満韓を遊歴して見ると成程(なるほど)日本人は頼もしい国民だと云(い)ふ気持ちが起こります。従って何処(どこ)へ行っても
肩身が広くって 心持ち宜(よ)いです。之に反して支那人朝鮮人を見ると甚だ気の毒になります。
幸ひにして日本人に生まれていて仕合わせ(幸せ)だと 思いました」 


併せて読みたい

 

2023-05-26 https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/05/26/015420
司馬遼太郎歴史観―その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う 2009/中塚 明 (著)高文研  3つの司馬史観批判について。「国民作家」が今まさに、危機にいる!

 

2023-06-12 https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/06/12/025318
長崎清国水兵争闘事件「再考」 明治19年。 それは、明治の「元寇」だった!
2023-05-26
司馬遼太郎歴史観―その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う 2009/中塚 明 (著)高文研  3つの司馬史観批判について。
それから、反日バカ左翼のこのテーマの本、30冊ばかり読んでいるが、一つの重大なポイントに気が付いた。
反日バカ左翼は、いつも日清戦争を取り上げる際、けっして「長崎事件」には触れないということ。
長崎事件は全く知られていないが、1886年(明治19)その当時、清帝国と呼ばれた中国の北洋艦隊が突如長崎に来襲し、 水兵の大集団が大暴動を起こした侵略事件だ。 

 

 ↑……と書いて、「司馬遼太郎歴史観―その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う 2009/中塚 明」を取り上げたわけだが、その後、本論考でも触れた「長崎清国水兵争闘事件」を検索していて、余りにもヒット数が少ないということに衝撃を受けた。


↑安川寿之輔もなあ……。福沢諭吉を批判して、遠く中国にまで講演会に呼ばれて行ってると得意になって書いている。

ただ、「福沢諭吉の真実」平山洋批判は正しいが、いいのはそこだけ、同じ穴の狢である。

反日バカ左翼は、いつも日清戦争を取り上げる際、けっして「長崎事件」には触れない。
長崎事件は全く知られていないが、1886年(明治19)その当時、清帝国と呼ばれた中国の北洋艦隊が突如長崎に来襲し、 水兵の大集団が大暴動を起こした侵略事件だ。 
原因があるから結果がある。
日清戦争に関しては、原因は長崎清国水兵争闘事件だ。はっきりしてる。

この長崎事件は当時、日本全国に一大ショックを与え、清国に対する日本人の敵愾心が、烈火のように燃え上がりました。 
この事件の背景には、朝鮮問題を巡る日清両国の紛争がありました。
そこで日本を脅かすため、清国海軍が計画的に長崎に殴り込みをかけたのです。
当時の弱小国、日本は歯噛みしながら、なす術もなかったのです。 

李鴻章は日本に謝罪するどころか、 日本との戦争も辞さずという強硬な態度を取る。
日本政府はその圧力に屈し、賠償金を払い日本側関係者の処罰まで行う。 

事件後、日清両国は長崎においては英仏人弁護士の加わった会弁委員会で、また東京では井上馨外相と徐承祖駐日公使により交渉が行われ、
最終的には英独公使などの斡旋を経て妥結した。
その内容は事件の当事者については所属国の法律により処分、また撫恤料として日本からは52500円、清国から15500円を支出するというものであった。

これは出来レース、はじめから日本に因縁ふっかけるつもりで連中は日本に来ていた。
なぜこのような理不尽な処理をしたかというと、当時の清国の兵力108万4千人に対して日本は7万8千人であり、 
もしこの事件がきっかけで戦争になったら簡単に東京を制圧され、九州を取られていただろうと予測されていた為だ。

 事件の後、日本人はプッツン切れた。あのクリスチャンの内村鑑三でさえ、
 
「文明国として不実のシナに対しては鉄血を以って正義を求めるしかない永久平和の為に戦え」と言ったほど 
 そして日本は軍備増強を行い、8年後、清国を打ち破るのであった。
 
この長崎事件を契機として、日本人の防衛思想の根底に、大陸を国防の第一線とする考え方が生まれたのです。