カルタゴ―消えた商人の帝国 (現代教養文庫) 文庫 1987/服部 伸六 (著)社会思想社と、日米の悲劇―“宿命の対決”の本質 (カッパ・ブックス) 新書1991/小室 直樹 (著) 光文社

これは、ロシアがウクライナ戦争に負け・北方領土が返還され、中華人民共和国が分裂した後に起きるかもしれない最後の日米戦争に関する随想である。

 

ローマとカルタゴ……
この2国間の関係を日米関係になぞらえる本が昔から多い。
本書、カルタゴ―消えた商人の帝国 (現代教養文庫)はその中でも頭抜けていると感じ昔から愛読している。

著者は詩人・外交官で、北アフリカ諸国の大使館に長く勤務した。その体験から生まれたのが本書。
カルタゴの歴史と文化が総合的に語られている。国家の建設からローマとの戦い、ハンニバルの活躍、滅亡まで。あまり知られることのない古代国家であり、カルタゴの宗教やハンノの大航海についても触れられている。

 

あと、他の著者がダメで本書が優越している点で肝心なのは、人種間対立、人種差別の視点がある点である。

 

チャーチル首相のエピソード

チャーチル北アフリカを去るにあたって戦線の視察を行った。
そのときのことをチャーチルは著作「第二次世界大戦」のなかで書いているが、「私には、アルジェとチュニスで過ごした8日間ほど、戦争中の楽しい思い出はない」と書き記すにとどめている。ところが、この8日間の視察行のあいだにチャーチルは、じつはチュニスでザマの古戦場に行っているのである。

 

そのときのエピソードを探検家のジャンマゼルというフランス人が、側近から聞いた話ではあるが、と断りながらも記録している。
(ジャンマゼル「フェニキア人とともに」1968)

 

「参謀部はチャーチルのため、戦線視察のプログラムを用意していた。到着したチャーチルは、用意されたプログラムに目を通してから了承を与えたものの、ただ一つだけ、重要な戦場が忘れられていることを指摘した。参謀部のスタッフが、それは何処のことだろうと戸惑っていると、チャーチルは、地図の上を指さして、「俺が行きたいのはここだ」と、チュニス湾を見下ろす丘を示した。
この丘の頂上がフェニキア人の聖なる山だったブー・コルニスに他ならなかった。
この頂上にはかつて太陽神に捧げられた祭壇があったところだったのだ。
この丘と湾との中間に、紀元前201年に戦いが行われたザマの古戦場があったのである。カルタゴがローマの将軍スキピオに敗れた戦場である。

 

この戦場視察のあと、チャーチルは、側近に次のように言った。
「この戦闘は、何といっても西洋の命運がきまった歴史上もっとも重要な戦いの一つだ。
カルタゴは西洋の面前に突き出たオリエントの顔だったのだが、そのときハンニバルはほとんど勝利をおさめていたんだ。
もしスキピオが負けていたらカルタゴ支配下に入ることを意味していた…」


終わりの方で、キッシンジャーの日本人は魚くさい発言を取り上げている。
1960年代末、フランスの週刊誌に載ったという、キッシンジャーニクソン大統領の補佐官だったころの発言だ。
日本人差別主義者のキッシンジャーの言いそうなことであるが、日本にも報じられないフランス語で出た記事を紹介してくれてるのはありがたい。

ところが、後年、ある英語学者から「魚くさい」とは、「いかがわしい」とか「ウサン臭い」との意味があると教えられ驚いたとのこと。
ユダ公がなにを言うか僭越な! お前を斬る、お前は許さない(笑)。


アマゾンレビューから 日米の悲劇―“宿命の対決”の本質1991/小室 直樹 (著)

 大洋をはさんで向かい合う日本とアメリカが、政治や経済で対立するわけを、社会のありかたの違いをキーに分析している。アメリカとの社会の違いを知らない日本人。

そして自国の社会のあり方を知らない日本人が、太平洋戦争を避けられず、勝てたかもしれない戦争に負けることになった。と著者は論じる。
教科書的な太平洋戦争の見方を覆される。日本人について根本から考えた書。
この著者の本はだいたい読みやすく、知的好奇心をくすぐるように書かれているので、興味を引かれたら先ず読むことをすすめる。


潜水艦の使い方を間違てた日本海軍!!
通商破壊戦をとにかくやるべきだった。
立派な潜水艦100隻以上持ってたのに!!

時期は、真珠湾攻撃後の3か月、場所はハワイとアメリカ本土を結ぶ航路に限る。
その航路の物資の補給路が細々としたものだったこと、日本の潜水艦作戦の乏しさを論じるアメリカの軍事評論家の意見もたびたび見かける。

 

いち早く航空機の使い方を洗練させ、機動部隊を組織して真珠湾を攻撃した辺りは良かったが、基本方針はしょせん大艦巨砲主義だった帝国海軍!
超弩級戦艦大和はヤマトホテルと揶揄され、瀬戸内海の柱島にくぎ付けだ。

 

★ハワイの真珠湾アリゾナ記念館に隣接して「ボーフィン公園」 (潜水艦博物館)がある このミュージアムは日本人なら必見の価値がある 見なければいけない場所だ 

 大東亜戦争末期、沖縄から集団疎開の子供たちの乗った対馬丸を沈めた潜水艦が見られるから 
http://www1.ocn.ne.jp/~terakoya/tusimamaru.html 
http://imgur.com/7ynVSxP.jpg
写真はボーフィン潜水艦の船橋に書かれた日章旗 
これを見るとこの潜水艦が日本の軍艦を沈めたのはわずか4隻で、 
 34隻は民間の船舶を沈めた証であり、それを誇っている。この中の1隻が対馬丸である。 

 日本帝国海軍にはこのような戦果を誇る慣習はない。 
http://www1.ocn.ne.jp/~terakoya/image/boufin006.jpg 

 

↑かっこばっかりつけて敵の商船攻撃しなかった帝国海軍 

あれは勝てた戦争だった…  真珠湾後の3か月、無差別商船攻撃やってればなあ… 

アメは見境がないからな 第一次戦のUボートとの通商破壊戦を経験してるから

 

「戦争の反省」にたって、三峡ダムを1発で破壊できる巡航ミサイルを開発しろ 

あとはチョンコとバカサヨの殲滅

 

8月22日、対馬丸国民学校の学童などを乗せて九州に向かっていましたが、 
 鹿児島県の悪石島沖でアメリカ軍の潜水艦に撃沈され、確認されただけでも 
977人の15歳以下の子どもたちを含む1500人近くが犠牲になりました。 
 沖縄では昭和20年3月までの9か月間で、九州や台湾などにおよそ8万人が 
疎開しましたが、延べ187隻の疎開船のうち、撃沈されたのは対馬丸だけでした。 

 

↑日付に注目!  冷酷無残なアメリカ…  早いとこ憲法改正して、スパイ防止法を制定して、核武装して、反日ちょうせんじんと反日帰化人、反日バカ左翼を日本列島からまとめて追い出そう!!