【長崎事件】清国水兵の暴挙!小戦争と評され日清戦争の原因の一つとなった暴動事件 歴史の物語 

 

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【長崎事件】清国水兵の暴挙!小戦争と評され日清戦争の原因の一つとなった暴動事件
歴史の物語 チャンネル登録者数 2.51万人
17,259 回視聴  2023/12/30 

 

↑素晴らしすぎる!!  是非ともすべての日本人に見て欲しい。

日本の近代はここから始まった。

何度も書いているが、先に殴ってきたのはシナだからな…
あまりにも過少に忘れ去られている。
危険である。

 

尖閣をめぐるシナの言いぐさ、行動にそっくりである。
何度、殴られてもわからない、バカ人種である。

 

この動画に欠けているところを補ってゆきたい。


長崎事件は全く知られていないが、1886年(明治19)その当時、清帝国と呼ばれた中国の北洋艦隊が突如長崎に来襲し、 水兵の大集団が大暴動を起こした侵略事件だ。 

原因があるから結果がある。
日清戦争に関しては、原因は長崎清国水兵争闘事件だ。はっきりしてる。


長崎事件1 

日清戦争前夜、清は旅順に要塞と軍港を作り,北洋艦隊(李鴻章)の根拠地にしていた。 
 1886年8月1日,北洋艦隊の新鋭戦艦「定遠」「鎮遠」と巡洋艦「済遠」「威遠」の4隻が, 日本政府には何ら予告なく,無許可で修理のためと称して突然,長崎に入港 

艦名の「遠」は外国,特に日本をさし、「定遠」「鎮遠」は日本鎮定の意味。 
(ドイツ製で,排水量7,400t,当時世界最大の戦艦だった。ちなみに現在の日本のイージス艦あたご7700t) 

日本海軍はイギリス製の「浪速」と「高千穂」(3000t)の小艦があるだけ。当時の日本海軍は、 中国主力艦『鎮遠』、『定遠』の2装甲艦にまったく立ち向かうことができない実力であり、戦争など思いもよらないことだった。 

 

 8月13日には中国水兵が勝手に上陸開始。兵力は500人以上。 
長崎市内をのし回り,商店に押し入って金品を強奪しました。酒を探して飲み, 
市民の女性を追いかけるなど,散々に暴れ狂った。 

 

長崎事件2 

急報により,日本人巡査が鎮圧に出動したが,多勢に無勢,袋だたきにあう。 
やがて応援の巡査の一隊が駆けつけ,双方抜刀して市街戦になった。 
斬り合いの結果,双方とも八十数人の死傷者を出した(中国水兵4人、巡査2人が死亡)。 

 その後、中国水兵は続々と200人ほども集まり、 
つかまった仲間を助け出そうとして警察署の門前に押しかけた。 
警察署も門を閉ざして警備を厳重にしたため、その日の水兵たちは引き上げた。 

 8月14日、上陸した中国兵の一部は骨董店などで古刀や古武器を購入、 
これを日本に住んでいた中国人に預けて、翌日の騒動に備えていた。 
上陸にあたっては武器の携行が許可されていなかったためだ。 
日本に住んでいた中国人が内通して襲撃に加わったという情報もある 

 

長崎事件3 

8月15日、清国水兵数人が交番の前でわざと放尿した。 
交番の巡査が注意すると、彼らはその巡査を袋叩きにした。 
これを見ていた長崎市民が激昂し、清国水兵に殴りかかった。 
すると、清国水兵の一団が加勢し大乱闘となった。 
そして、止めに入った警察官と清国水兵が斬り合う事態に発展し、それぞれ死傷者を出した。 

 

夜になって、仕返しをしようとして300人ばかりの水兵が数十人ずつ隊をなして上陸、 
馬場町の飲食店にたむろして、一部が通りかかった巡査を侮辱して挑発、 
周辺の飲食店などにたむろしていた刃物や仕込杖で武装する水兵たちが、 
3人の巡査によってたかっての暴行を加えた。 
3人の巡査は、一人がその場で死亡、二人が重傷を負い、 
うち一人がかろうじて囲みを破って、付近の警察署に危急を告げた。 

 

ここから騒ぎはさらに大きくなり、水兵たちは80人ほどが一隊となって 
梅ヶ崎や濱野の警察署へ押し寄せようとし、道すがら通りかかりの住民へも暴行を加えた。 

巡査たちは道路を大八車で遮断し、水兵たちを迎え撃つ。 
道端の家々も門戸を閉ざすと、住民は石を持って屋根に上がり、石や瓦を投げて水兵たちを攻撃した。 
負傷者が続出すると、もともと大半が酩酊している水兵たちは総崩れとなり、 
追い散らされて、一部は逮捕された。 


日清戦争時の総兵力、

日本は24万人に対して清国は98万人。

軍艦は、日本28隻に対して、清国は82隻。

GNPは日本の約10倍!!!

 

日露戦争も似たようなもんだが、こんな巨大な敵を倒してるもんだから、真珠湾攻撃したくなる気持ちもわかるというもの、

 

↑まったく結果をみれば奇跡のような、両国の差である。当時の清国は決して小国ではなかった。

 

 むしろ、この事実を全面に出して子供たちに教えるべきではないだろうか。

 

↑圧倒的なこの戦力差のまま、8年後、日清戦争でシナを打ち負かしてしまうのだから、ただただ、ひたすら凄いというほかない。


中国北洋艦隊といいながら、艦隊顧問はイギリス人、威海衛の軍港建設の指導はドイツ人。 
中国軍といいながら、その実、イギリス、ドイツなど西洋諸国が多数加担。 
日清戦争は,西洋の列強が中国の戦力を利用して行った日本侵略を阻止し、 
さらには朝鮮から南下してくるロシアとの国境線を画定させるための防衛戦争だった。 

 西洋の列強の侵略戦争を勝ち抜くために多くの国民の命が犠牲に。 
もし,日清戦争に負けていれば,今頃は,確実に中国の属国として中国語をしゃべっている。 


福沢諭吉の、「これは文明と野蛮の戦争だ」(『時事新報』1894年7月29日)との卓見。

内村鑑三も「義戦」と位置づけた。
事件の後、日本人はプッツン切れた。あのクリスチャンの内村鑑三でさえ、
 
「文明国として不実のシナに対しては鉄血を以って正義を求めるしかない永久平和の為に戦え」と言ったほど 
 そして日本は軍備増強を行い、8年後、清国を打ち破るのであった。

 

なお、内村と同じように10年後の日露戦争で非戦〔反戦〕の立場をとる田中正造も、対清戦争を支持していた。民間の義勇兵運動の広がり、福沢(献金額第2位)や有力財界人などによる軍資金献納にも現れた。清との戦争は、まさに挙国一致の戦争であった。


日清戦争は完全な自衛戦争
勝てる体制になるまで8年かかってる、臥薪嘗胆の8年だ
忌々しい反日売国バカサヨク歴史観にはこの歴史認識(長崎事件)が抜けてる 
無垢なる中国に一方的に悪いことした… アホか


この長崎事件は当時、日本全国に一大ショックを与え、清国に対する日本人の敵愾心が、烈火のように燃え上がりました。 
この事件の背景には、朝鮮問題を巡る日清両国の紛争がありました。

そこで日本を脅かすため、清国海軍が計画的に長崎に殴り込みをかけたのです。
当時の弱小国、日本は歯噛みしながら、なす術もなかったのです。 

 

艦名の「遠」は外国,特に日本をさし、「定遠」「鎮遠」は日本鎮定の意味。 
(ドイツ製で,排水量7,400t,当時世界最大の戦艦だった。ちなみに現在の日本のイージス艦あたご7700t) 

日本海軍はイギリス製の「浪速」と「高千穂」(3000t)の小艦があるだけ。当時の日本海軍は、中国主力艦『鎮遠』、『定遠』の2装甲艦にまったく立ち向かうことができない実力であり、戦争など思いもよらないことだった。 

 
李鴻章は日本に謝罪するどころか、 日本との戦争も辞さずという強硬な態度を取る。
日本政府はその圧力に屈し、賠償金を払い日本側関係者の処罰まで行う。 

 

事件後、日清両国は長崎においては英仏人弁護士の加わった会弁委員会で、また東京では井上馨外相と徐承祖駐日公使により交渉が行われ、
最終的には英独公使などの斡旋を経て妥結した。
その内容は事件の当事者については所属国の法律により処分、また撫恤料として日本からは52500円、清国から15500円を支出するというものであった。

 

 これは出来レース、はじめから日本に因縁ふっかけるつもりで連中は日本に来ていた。
なぜこのような理不尽な処理をしたかというと、当時の清国の兵力108万4千人に対して日本は7万8千人であり、 
もしこの事件がきっかけで戦争になったら簡単に東京を制圧され、九州を取られていただろうと予測されていた為だ。


2023-06-12
長崎清国水兵争闘事件「再考」 明治19年。 それは、明治の「元寇」だった!

tennkataihei.hatenablog.com

 

↑サブタイトルに「それは、明治の「元寇」だった!」とつけたんだが、「長崎事件」勃発後、福岡県警察署長だった、湯地丈男が職を辞して、「元寇記念碑」設置運動に身を投じたというではないか、やはり、明治の元寇という譬えは当を得たものだったのだ。
定遠」の装甲鉄板だった門扉が太宰府天満宮に残っている。


「北洋艦隊の来航は日本人にとって、清国に対する意識を大転換させるきっかけとなった未曾有の事件であった。
日清戦争開戦への世論が整う条件として、様々なものが考えられるが、少なくともその一つに北洋艦隊の来航が考えられるのではないだろうか。それ程、当時の日本人に大きな衝撃を与える事件であったのである。」
朝井佐智子「清国北洋艦隊来航とその影響」愛知淑徳大学現代社会研究科研究報告4、2009年。


戦争という見世物: 日清戦争祝捷大会潜入記 (叢書・知を究める) 2013/木下 直之 (著) ミネルヴァ書房

 

tennkataihei.hatenablog.com

 


0:00 オープニング
1:40 長崎事件が起こるまでの経緯
3:16 清国水兵の乱暴狼藉
5:05 清国水兵が交番を襲撃
6:03 長崎県知事と清国領事による事後処理
6:34 清国水兵の再上陸
7:36 清国水兵による暴挙。大規模暴動に発展
10:25 長崎の住民が武器を持って駆けつける
11:33 清国領事による虚偽報告
13:55 李鴻章が激怒。波多野領事を尋問
20:37 李鴻章が態度を一変させる
23:06 日本が強硬な態度を取らなかった理由
24:27 長崎事件の事後処理
25:38 長崎事件の事後処理に対する疑問
27:42 エンディング


▼参考文献
https://satomi-rose.ciao.jp/aizu/%E6%...
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/si...
http://www.ironclad.saloon.jp/wardroo...