西郷隆盛紀行 (朝日選書 (280) 1985/橋川 文三 (著) 朝日新聞社

明治維新に興味がある。だからこの本を読んでみた。
特にある期待を込めてこの本を開いた。というのは、橋川文三という人は日本人の知識人の中でも珍しく、唯一の?「黄禍物語 (岩波現代文庫) 2000」という欧米白人勢力との人種差別に的を絞った本を書いている人だからである。

 

尊王攘夷から始まった明治維新であることは皆さんも承知であろう。
攘夷がいつしか消え、鹿鳴館が象徴的だが、白人勢力との融和・おもねり路線へと変化した。

その転換の時期はいつだったのかに興味がある。
若き高杉晋作アヘン戦争直後の上海に行き、イギリス人に顎で使われるシナ人をみて、我が国をこういう風にさせてはいけないと強く誓ったときから、幾星霜。

 

西郷隆盛という人物は明治維新研究において欠かせない人物だ。
明治6年、板垣退助にあてた手紙の中だけで主張されたいわゆる「征韓論」。
そして、明治10年、わずか4年後に西南戦争を引き起こし、自決。

本書は西郷隆盛をめぐる短文の寄せ集めだが、もっとも肝心なことが抜けてるような気がした。
それは何も橋川文三に限らない。日本のすべての知識人に欠けている点。

 

表向きの公式的な歴史では、明治6年に「征韓論」を主張した西郷隆盛に対して、他の明治の重鎮たちが反対し、西南戦争を起こして抗議の姿勢をみせたということになっている。
明治6年の日本に朝鮮半島に攻め込む兵力、軍備があったとはとても思えない。
明治6年の1月に徴兵制度が敷かれ、やっとぼつぼつと徴兵が始まったころである。

 

金もないのに、なんとかやりくりして富国強兵路線を進めた明治新政府
それから13年後、長崎事件発生。

 

2023-06-12 https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/06/12/025318
長崎清国水兵争闘事件「再考」 明治19年。 それは、明治の「元寇」だった!
長崎事件は全く知られていないが、1886年(明治19)その当時、清帝国と呼ばれた中国の北洋艦隊が突如長崎に来襲し、 水兵の大集団が大暴動を起こした侵略事件だ。 
事件後、日清両国は長崎においては英仏人弁護士の加わった会弁委員会で、また東京では井上馨外相と徐承祖駐日公使により交渉が行われ、
最終的には英独公使などの斡旋を経て妥結した。
その内容は事件の当事者については所属国の法律により処分、また撫恤料として日本からは52500円、清国から15500円を支出するというものであった。

なぜこのような理不尽な処理をしたかというと、当時の清国の兵力108万4千人に対して日本は7万8千人であり、 
もしこの事件がきっかけで戦争になったら簡単に東京を制圧され、九州を取られていただろうと予測されていた為だ。

 

↑圧倒的な戦力差のまま、8年後、日清戦争でシナを打ち負かしてしまうのだから、ただただ、ひたすら凄いというほかない。


西郷隆盛否定の外国人の代表として、カナダ人外交官ハーバート・ノーマンをあげる。
この人は、反日サヨクの外人の象徴のような人物でソ連邦のスパイでカイロで自殺している。

GHQマッカーサーの政治顧問付補佐官だったアメリカの外交官、ジョン・エマーソンがノーマンの共産主義者疑惑に関連して米上院国内治安小委員会で証言した記録が含まれており、その中で、GHQの対日工作として行なった「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムWGIP)」(軍国主義者と国民を二分化することで日本国民に戦争に対する贖罪意識を植え付け、アメリカへの戦争責任批判を回避するための戦略)は、中華民国の延安で中国共産党野坂参三共産党議長を通じて日本軍捕虜に行なった思想改造のための心理戦(洗脳)の手法を取り入れたと証言したことが明らかになった。

曰く、日本の右翼ファシズムの原型だとする。男色の趣味があることも西郷嫌悪の理由だという。
橋川文三はいう。
ハーバート・ノーマンという人は、私、微妙な気持ちがするんです。この人がどんなに西郷のことを悪く書いても、私、ちっとも嫌悪感を感じないんです。ところが彼とほぼ同じようなことを書いている日本の左翼史家のある人々に対しては、私はそんな文章を読みたくないという感じがしてならないのです。」

 

橋川文三もダメだなあとこれを読んでがっかりした。こいつ(ハーバート・ノーマン)の祖国・カナダが日本人に対してどういう仕打ちをしたか!!

ある意味、アメリカよりも強硬。カナダに各地に日本人街があったが、徹底殲滅されてる。ナチスと同じ。まことに酷い。

当時のキング首相と自由党のマッケンジーてのが最悪
日系移民追い出して、カナダ全土に散らばいたうえに勝手に財産処分して復員兵にばらまいたと 日系移民追い出して、カナダ全土に散らばいたうえに勝手に財産処分して復員兵にばらまいたと 

2023-03-03
カナダ日系移民の軌跡―移民の歴史から問い直す国家の意味 (人間の科学叢書) 2003 吉田 忠雄 (著) カナダと日本、二つの母国の狭間で翻弄された日系移民の足跡をたどり、国家の名による「小さな」失策が多くの人々の運命を「大きく」狂わせるものであることを警告する。カナダ首相出版賞特別賞を受賞した93年刊の増補版。
https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/03/03/062529


攘夷がいつしか消え、

↑しかしこれは、日本人の美点ではなかろうか。
薩英戦争と四か国包囲戦(山口)を受け、とにかく相手の圧倒的な武力に気づいたということだ。
しかもこれだけではなく、幕末にはこういう恐ろしい事件が次々と起きてる。

 

こういうのを教科書に載せて教えるべき ↓

 

【前編】ロシア軍艦対馬占領事件 文久元年2月3日(1861年3月14日)【ゆっくり解説】41,276 回視聴•2020/10/30
ゆっくり日本の闇【しくじれば日露戦争で負け】 ロシア軍艦対馬占領事件(別名:ポサドニック号事件)
日本海の要衝、対馬列島。その有利な地理を巡って、ロシア、イギリス、日本の思惑が絡まり合う。。。
ロシアに対馬が占領される事件が発生。
ぞくぞくと海軍基地や工場を建設し、居座るロシアに江戸幕府が対処することはできるのか?
明治初期 明治の元勲たちに感謝!! ←原田伊織とかさ 薩長憎し史観でいまでもあれこれ書いてる人いるが明治の元勲たちにはひたすら感謝のほかない
「北海道 ガルトネル開墾条約事件」 
ガルトネル開墾条約事件(ガルトネルかいこんじょうやくじけん)あるいはガルトネル事件(ガルトネルじけん)は、日本の幕末から明治時代最初期にかけ、
函館(当時、箱館)における開墾地租借契約をめぐりプロイセン貿易商との間で発生した外交事件である。
その後、開拓長官となった東久世通禧  (前述の清水谷公考と同様に公家 
 出身者であり、実質的には開拓次官 となった黒田清隆が中心となった) と、ドイツ帝国 ガルトネル商会との厳しい交渉がおこなわれた結果、 
 明治3年(1870年)11月に62,500両の 賠償金を支払うことで契約を解消した
明治初期 明治の元勲たちに感謝!! ←原田伊織とかさ 薩長憎し史観でいまでもあれこれ書いてる人いるが明治の元勲たちにはひたすら感謝のほかない

 

↑幕府の不始末を明治新政府が肩代わりして処理してる。こういうのを教科書に載せてちゃんと教えるべき。いつ日本がなくなってたかもわからなかった。極めて危険な状態に日本が置かれてた。あなたたちが家でくつろいでビールを飲みながらポテトチップスや刺身などゆっくり食えるのも、こういう難局にきちんと交渉してくれた先人がいたればこそ。


親中派ユダヤキッシンジャーの妄言

 ■ 『親中派ユダヤ人 キッシンジャー米国大統領補佐官周恩来極秘会談録』 
1971年10月22日、北京の人民大会堂周恩来と会談(出版公開されてる) 
中国共産党常任理事国になる3日前のこと 

キッシンジャー)  
  率直な日本観を示す。これは米政府全体の見方ではないが、ホワイトハウスの代表的な見解だ。 
  中国と日本を比較した場合、中国は伝統的に世界的な視野を持ち、日本は部族的な視野しか持っていない。 
  米国は日本をこれほど経済的に発展させたことを悔やんでいる 

周)日本はものの見方が偏狭で、全く奇妙だ。島国の国民だ。英国も島国だが。 

 

キ)日本と英国は違う。日本は自国の社会があまりに異質なので、社会を適合させ、国の本質を守ろうとする。 
  日本は突然の大変化も可能で、三カ月で天皇崇拝から民主主義へと移行した。日本人は自己中心で他国に対する感受性に欠ける。日本の経済発展の方式は自身のためで、そこに特性が具体的に示されているという首相の意見に全く同感だ。 日本に対しては何の幻想も抱いていない。 

 

↑いやいやいや、それ日本の美点だから、キッシンジャーに直接言いたい。キッシンジャーの胸ぐらつかんで直接言いたい(笑)。日本の落第生・周恩来なんかと意気投合してんじゃねえ、馬鹿どもが!!

2023-07-21
周恩来『十九歳の東京日記』―1918.1.1~12.23 (小学館文庫) 1999/周 恩来 (著), 矢吹 晋 (編集), 鈴木 博 (翻訳) 「私の極私的・中国共産党論」
https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/07/21/030910


併せて読みたい

 

2023-02-27
世界史のなかの明治維新 (岩波新書 黄版) 芝原 拓自 1977 二百数十年つづいた幕藩体制を一挙にくつがえし、日本の近代国家を産み出した明治維新。この歴史的大変革をひき起したものは何であったか。 19世紀後半の世界とアジア・日本をめぐる国際情勢との密接なかかわりを明らかにしながら、幕府の倒壊、維新政権の樹立から自由民権運動生成期にいたる 歴史過程を描き出す。

世界史のなかの、「奇跡としての」明治維新
わたしの読後感である。
苦労があったとかそういうレベルではない。
四面楚歌? それとも違う。
とにかく何もなかったのだなという印象。おまけに土台自体なくなってるのだから。
明治の最初の10年間が凄すぎる。
https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/02/27/225950