九州の先住民はアイヌ 新地名学による探究 著者:根中治 葦書房 1983年

とにかく、異色の経歴を持つ著者である。内容も面白い。
明治42年、福岡生まれ。九州電力総合研究所にて、天然ガス地熱発電、地下水、温泉等の研究に長く従事。
その長い探査の結果、九州にアイヌ起源と思われる地名を数多く発見。本書を執筆。
あのカルタゴを書いた服部伸六氏とは畏友だという。

2023-10-20
カルタゴ―消えた商人の帝国 (現代教養文庫) 文庫 1987/服部 伸六 (著)社会思想社と、日米の悲劇―“宿命の対決”の本質 (カッパ・ブックス) 新書1991/小室 直樹 (著) 光文社
https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/10/20/150140

 

学識は相当なものである。
佐賀県旧石器時代の遺跡がこんなにもあるのかと知れたことだけでも今回収穫だった。
初めてみる図だった。佐賀県縄文時代遺跡と並べて載っている。

だから、1万年以上前に、まだ日本列島が大陸とつながっていたころ、アイヌが地続きの大陸からやってきて九州にアイヌ語の地名を残したのではないかという。

 

例えばだが、ウシということばを取り上げる。
ウシとはアイヌ語で水のそばをいう言葉である。北海道に多いのは言うまでもない。
だが、著者はウシが九州にも多いことに・北部九州と鹿児島に特に多い、気が付き、これもまたアイヌ民族が九州にいた証拠ではないかという問題を提起する。

 

この調子で、高い学識を披露しながら、ナウマン象やマオリ族と日本人とのつながりまで広げながら、九州に残ったアイヌ語地名を次々と取り上げる。
やがて著者の説は、朝日新聞にも取り上げられ記事になり、言語学者の意見も聞かれるようになる。
だが結果は、はかばかしくない。
皆一応に否定的である。


理由は、ど素人の私でも分かる。
アイヌ民族が九州に本当にいたか誰にもわからないからだ。
終わりの方に、実に有益な図表がある。
北海道の考古時代を単純にした、わかりやすい図表である。

 

先土器文化時代 紀元前2万年~
縄文文化時代 紀元前5000年頃~
縄文文化時代  この時代の遺物からアイヌが残したものだとする考古学者もいる。
擦文文化時代 西暦600年~
オホーツク文化時代 

 

著者自身が言う。253ページ
アイヌ民族がどのような種族の混合であるか、彼らの移動融合の足跡も詳らかではない。」


北海道においてアイヌ民族が現れたのは存外新しい。
鎌倉時代あたりではないかという人もいる。
墓の形式が、埋葬の方法が確実にアイヌ民族のものだと確信持って言えるのは鎌倉時代あたりだと。
藤本英男「アイヌの墓(日経新書)」、「北の墓(学生社1971)」

だから著者の言い分が正しいとして、九州から追われたアイヌ民族が日本列島を北に向かい、北海道に集結したのかもしれない。
ただ、その際、アイヌは土器を作らなかったから、地名に残る痕跡だけでは判断は難しくなるのではないか。