昭和三年六月四日早朝、満州を支配していた奉天派の大元帥・張作霖は、北京から奉天への帰路途上、乗車していた列車が爆破炎上して暗殺された。満州事変のきっかけとなったこの事件は、戦後、本人の自白をもとに関東軍の高級参謀河本大作による犯行との説が定着していたが、近年この定説が覆されようとしている。証拠、証言が多数あった河本犯行説は、なぜ破綻したのか。暗躍するソ連特務機関の影。長男・張学良周辺の不穏な動き。発掘された新資料―真犯人はいったい誰なのか?昭和史の大きな謎に迫る。
「なぜこんな難易度の高い爆殺方法を選んだのか?」
張作霖を乗せた車両は20両の特別仕立てで、張作霖の座席は特定できていたとしても「必ずそこを通過するときに座っているとは限らない」からです。それよりも走っている列車(奉天駅に近づいているのでスピードは落ちていたはずですが)をピンポイントで爆破して、そこに座っている(だろう)特定の人間を爆殺するのは非常に難しいはず。
4両目の食堂車が完全破壊。張作霖の第6婦人ら4名が即死。
本書に載っている写真から、食堂車の天井裏に爆弾は仕掛けられていたことがわかる。
線路に損傷はないことから。
正論 2016年5月号 緊急寄稿 張作霖爆殺ソ連犯行説 見逃された重要証言
青山学院大学教授 福井 義高
ttp://www.fujisan.co.jp/product/1482/b/1384476/
・・・近年、ソ連の特務機関による犯行説が日本の保守派の間で議論されてきた。ノンフィクション作家の加藤康男氏による『謎解き「張作霖爆殺事件」』(2011年、PHP新書)がその代表で、内外の資料を駆使しながら、ソ連犯行説を詳細に提示した。
残念ながら、ソ連犯行説は、日本では「素人の陰謀論」として、学会主流からは無視されている。ところが、国際的には、通説とまではいえないにしても、研究者の間で有力な説となりつつある。
ソ連政治・軍事研究の泰斗、米インディアナ大学の黒宮広昭教授も、ソ連犯行説を採用するひとりである。
黒宮教授は、今年、新たに通説の再検討を迫る論文を国際的学術誌に発表した(≪Journal of Slavic Military Studies≫29巻1号)。
そして、ロシア語文献とともに、事件の「最も詳細な分析」(the most detailed analysis)として加藤氏の『謎解き』が
明記されている。さらに、黒宮教授は、加藤氏も含めて、これまで日本では見逃されてきた、ソ連犯行説に関する重要な証言にも触れている。
それは、ドミトリー・ヴォルコゴーノフの『トロツキー その政治的肖像』(1992年)にある、レフ・トロツキー暗殺犯の
ナウム・エイチンゴンに関する一節である。以下邦訳(生田真司訳、1994年、下巻417頁)とロシア語原文(・・・
ソ連時代末期には国防省軍事史研究所の所長、ソ連崩壊後はボリス・エリツィン大統領の顧問を務めたヴォルコゴーノフ大将が、職務上、特別にアクセスできる機密文書に基づいて書いたトロツキー伝の記述の信憑性は高い。しかも、トロツキー暗殺と直接関係ないにもかかわらず、あえて「『張作霖』事件」に触れたことの重みは、これまでの「孫引き」資料とは比較にならない。
月刊正論2017年2月号
世界の歴史最前線 プーチン的思考の源流? 青山学院大学教授 福井義高
http://seiron-sankei.com/recent
トロッキー暗殺と無関係な箇所で、ヴォルコゴーノフ対象があえて張作霖事件に触れた背景には、ここで記された以上の何かが存在することを示唆する。ロシアの歴史家ドミトリー・プロホロフ氏は本誌インタビュー(2006年4月号)で、
(ヴォルコゴーノフ氏は…トロッキー…の死因を調べている際に、偶然、張作霖がソ連軍諜報局によって暗殺されたことを示す資料を見つけた」と発言している。
プーチン政権になってから、旧ソ連機密文書へのアクセスは大幅に制限され、それまでに公開されたものを除き、ソ連スパイ活動に関して、新たな証拠が近い将来に出て来る可能性は低い。
特別対談 ドミトリー プロホロフ 元谷外志雄| 1928年の張作霖の爆殺事件はソ連の特務機関の犯行だ
http://apa-appletown.com/bigtalk/1439
2007年に公開されたイギリスの外交文書
【イギリス公文書館所蔵 ファイルNo.F4598/7/10】
1928年7月3日付 北京駐在公使ランプソンのオースティン・チェンバレン外相宛公電「(殺意を抱く者は)ソヴィエトのエージェント、
蒋介石の国民党軍、張作霖の背信的な部下など多岐にわたる。
日本軍を含めた少なくとも4つの可能性がある。
どの説にも支持者がいて、自分たちの説の正しさを論証しようとしている。」(同上書 p.149)
【イギリス公文書館所蔵 ファイルNo.WO106/5750】
張作霖の死に関するメモ
「a. ソ連は日本に劣らない満州進出・開拓計画を持っていた。
b. 1927年4月の在北京ソ連大使館襲撃以来、張作霖は万里の長城の内側でも外側でも、自らの支配地でソ連に最も強硬に反抗してきた。
c. ソ連は張作霖と日本を反目させ、間接的にソ連自身の計画を進展させたいと願った上でのことだった。
d. 満州で張り合うソ連と日本の野望は、張作霖がある程度両国を争わせるようにした側面がある。
ソ連も日本も権益保護のため開戦する覚悟は今のところないが、
必然的に中国を犠牲にして何らかの暫定協定を結ぶことを望んでいる。
したがって張作霖の強い個性と中国での権利を守ろうとする決意は、
ソ連が満州での野望を実現する上での一番の障害であった。
そのため張作霖の排除と、それに代わる扱いにくくない指導者への置き換えは、
ソ連にとって魅力的な選択肢であったと思える。」(同上書 p.151-152)
「もっともあり得るシナリオは、ソ連がこの不法行為のお膳立てをし、
日本に疑いが向くような場所を選び、張作霖に敵意を持つような人物を使った、ということだろう。」(同上書 p.155)
【イギリス公文書館所蔵 1928年12月15日付外交文書】
「調査で爆弾は張作霖の車両の上部または中に仕掛けられていたという結論に至った。
ゆっくり作動する起爆装置、ないしは電気仕掛けで点火されたと推測される
----加藤康男氏結論
「ソ連の工作による利点は、日本が自動的に疑われ、無実であるとの証明がはなはだ難しいことだった。
なぜなら、張作霖を排除したいと考えていた日本人を、奉天界隈で見つけることは、極めてたやすい作業だったからだ。
そのうえソ連にとっては幸運なことに、日本は自らの無実の証明をまったく試みなかった、とも付け加えている。
イギリスの機密文書からは、少なくともイギリス自身が日本軍主犯説に首をかしげる様子が浮かび上がってくる。
こうしてみると、巧妙に仕掛けられたソ連の工作の可能性を見抜けず、
早々と日本軍独自の犯行と言う結論で幕引きを図った日本側の対応ぶりには疑問を持たざるを得ない。」
では、当時のわが国は、なぜ関東軍が実行したと考えたのだろうか。
当時から関東軍がやったという噂があり、関東軍の大佐であった河本大作(上画像)自身が殺害計画があったことを認める発言を何ヶ所で残していたようなのだ。
河本本人は手記を残していないのだが、河本の義弟で作家の平野零児が『文芸春秋』昭和29年12月号に、
河本の一人称を使って「私が張作霖を爆殺した」という手記のようなものを書いている。全文が次のURLで読める。
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/koumotodaisaku.html
この「手記」が文芸春秋に掲載された時点では、河本大佐は中国共産党軍に逮捕監禁された後に獄死(昭和28年8月25日)していたのだ。
この「手記」が河本大佐の口述筆記によるものという平野零児の説明を鵜呑みにすることは危険だと思うのだが、どういうわけか今では河本大佐を実行犯とする説が定説になっている。
当時のイギリス情報部の外交文書の表現を借りると、河本大佐はコミンテルンと共謀した日本人の一人ではなかったのだろうか。またわが国や満州で、
関東軍が張作霖を爆殺したとの噂をバラ撒いたのはコミンテルンによる情報工作によるものではなかったか。
そもそも張作霖爆殺事件については関東軍がやったという確実な証拠はなく、ほとんどすべてが噂や伝聞によるものと考えて良い。
関東軍謀略説を主張する論者は、平野零児の書いた「河本大佐の手記」と、東京裁判における田中隆吉の証言を重視しているようだが、
平野零児は戦前に治安維持法で何度か捕まった人物だとされる。田中隆吉証言も伝聞に過ぎず、彼はゾルゲや尾崎秀実とも親交があり、コミンテルンにつながる人物であったと言われているのだ。
また、東京裁判で田中隆吉が証言台に立った時には主犯とされていた河本大佐は中国に生存していた。
本来ならば、河本本人が証言すべきであったのだが、なぜ連合軍は当事者でない田中を証言台に立たせたのだろうか。
加藤康男氏の著書によると、当時の関東軍参謀長の斉藤恒(ひさし)は現場を検証し関東軍による実行とは考えられないことを論証する報告をしたのだが、
なぜか軍上層部が斉藤の報告を無視し、いち早く罷免しているのだそうだ。
1926年7月からソ連の莫大な援助をもとに、蒋介石が張作霖の打倒を目指し北伐を開始しました。
そして、3月の南京占領の際、支那兵は突然、日本領事館を襲いました。
館内には領事夫妻を始め領事館員の家族や武官、南京市内に住む日本人が避難していました。
金庫はハンマーで叩き壊され、女性は服を剥ぎ取られ裸にされ金目のものを持っていないか確認され、子供たちは泣き叫び、地獄絵図となりました。
領事夫人は27人に輪姦され、30数人いた日本人婦人は少女に至るまで陵辱されました。
その際、日本領事館員も日本軍人も、避難してきた日本人居留民も、まったく抵抗しませんでした。
海軍陸戦隊は武器も持たずに領事館にいたのです。
荒木大尉一行は武器を持っていなかったため、茫然と見ているしかなく、後に荒木大尉はそれを恥じ、「申し訳ない」として自決することになります。
これが「南京事件」です。これこそが「南京事件」です。ちかごろはインチキウソ話の
「南京大虐殺」ばかりが取り上げられるようですが、それ以前に、南京攻略まで至る様々な出来事があったのです。
死者だけは出なかったので幸いでしたが、英、仏、米の領事館、民間人には死者が出ました。
そのため、揚子江のイギリス軍艦は南京城内へ砲撃しています。しかし日本の軍艦 は何もしませんでした。
なぜなら当時の幣原外交は弱腰で「支那を刺激しないように」という訓令があったためです。
日本の外務省は事を荒立てないため、広報に「わが在住婦女にして陵辱を受けたるもの一名もなし」とまったくの嘘を書きました。
退去令が出され、揚子江流域からは日本人は全員着の身着のまま財産を放り捨てて内地に引き揚げざるをえませんでした。幣原外交は「日支友好」「不干渉主義」でした。こうした外交は支那の対日政策を増長させていき「ちょっと暴れれば日本は逃げていく」と思われ、暴力はエスカレートしていったのです。
日本は反応が遅い、それで事態を悪化させる。これも一緒にやらないかとイギリスに誘われたのに断っていい子ぶりっこ
けっきょく、日本人殺されまくって軍隊投入 泥沼…
幣原外交 → 鳩山、キチガイ孫崎、朝日、九条の会、バカ左翼、日本共産党、朝鮮宗教、田原総一朗、
「平和主義者が戦争を起こす」(チャーチル)
歴史は繰り返す…
気息奄々たる上海の邦人工場 窮状を語る操業率 大阪朝日新聞 昭和6.11.15(1931)
上海にある各種工場は日貨排斥により、今や重大な危機に当面しつゝあるが、
二十四日上海駐在加藤商務参与官代理から外務省への入電によると、
何れも事業休止或は極度の縮小を余儀なくされ、この先排日貨が継続すれば
各工場軒並に休業するものと憂慮されている、
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?
ミンジョクのDNAは変わらない ↑これの6年後、日本は第2次上海事変突入 死傷者5万人!! 名古屋第3師団壊滅の被害!!!!
12月 あの南京攻略戦へ拡大
連中と距離をおいて重武装することが平和への近道
現時点で10万人の日本人がシナ大陸にいるとのこと。
恐ろしい…
昔みたいに軍隊だして邦人救出できないから、この人たちは見殺しになる。
一刻も早く、一人でも多く帰って来ることを願うばかりだ。
クリントン大統領は中国と協力して日本を経済的な二流国家におとしめようと考えた。
(世界に「工場」は二つ要らない)
中国の人民元を大幅に切り下げたのはクリントン大統領だった。一九九三年一月に登場してからほぼ一年後、 クリントン大統領は中国政府の強い要望を入れて、それまで一ドル五.・七二人民元であった交換レートを一挙に 六〇パーセント切り下げた。一ドルを八・七二元にしてしまったのである。
こうしたクリントン大統領の暴挙に近い切り下げは、明らかに日本に対する悪意に基づいていた。
クリントン大統領は日本が嫌いで中国が好きだったことで知られている。彼は中国と協力して日本を 経済的な二流国家におとしめようと考えた。そこで中国の経済力を拡大し、輸出を増やすためちがうに人民元を一挙に切り下げたのである。
この頃日本国内では、中国人民元のレートにまで関心を持つ人はあまりいなかった。
マスコミもほとんど注目しなかったが、人民元が六〇パーセントも切り下げられたので、中国は貿易上きわめて有利な立場に立った。
↑しかしそもそも、現代中国が急激に豊かになったのはこれが原因。アメリカ民主党・反日ユダヤの反日政策。
しかし、シナ人がわからないのはここからだ。豊かになったのだから、豊かにしてくれたアメリカと協調するべきなのに、AIIB作って反・アメリカの旗幟を鮮明にし始めた。トランプはもちろん警戒。制裁開始。いま、反日ユダヤ民主党だからこんなもんで収まってるが、トランプが大統領に返り咲いたら、「シナ、ベネズエラ化」の動きが加速する。
<<AIIB 一帯一路参加支持派 まとめ>>
二階俊博(自民党) - なるべく早いほうがいい
福田康夫(旧首相) - 反対する理由なくなった
河野洋平(旧自民党) - 中国の李首相とAIIB参加について会談
石原伸晃(自民党) - 最初から入った方が得だ @@@@@@@@@@@@@@
辻元清美(民主党) - 最終的には参加すべきだ
藤井裕久(旧財務省) - 日本のインフラ産業にプラス、産業界は期待している
岡田克也(民主党代表) - G7の歩調が乱れた
蓮舫 (民主党) - 日本は努力していない @@@@@@@@@@@@
江田憲司(維新の党) - 今からでも遅くない
小沢鋭仁(維新の党) - ADBと補完関係でやっていくのは悪いことではない
志位和夫(共産党委員長) - 今からでも参加すべき @@@@@@@@@
孫崎享 (外交官、評論家) - 愚かにもチャンスを逃した、最終的には参加すべき
天木直人(外交評論家) - いまごろ議論するこの国の救い難さ
田中均 (旧外務審議官) - 早く参加し透明性ある銀行に
姫田小夏(中国情勢ジャーナリスト) - したたかに加わるべきだった
瀬口清之(キャノングローバル戦略研究所 主幹) - 日本経済にもプラス
古賀茂明(旧通産官僚) - AIIB騒動で負け惜しみを言うだけの政府
莫邦富 (中国人ジャーナリスト) - 日本は流れを読み間違えた
↑こいつら、まとめてゴミ箱にポイできねえかな…
まあ、おれに言わせれば「愚か者一覧」だわな。こういう先が読めない人間どもを議員にしておくのは日本の損失!!