評伝 小室直樹(上):学問と酒と猫を愛した過激な天才 (下):現実はやがて私に追いつくであろう 2018/村上篤直 (著)ミネルヴァ書房 「××のアホが小室直樹の弟子というのがわからない」

橋爪大三郎編著『小室直樹の世界』から5年。もう一つの日本戦後史がここにある!
小室直樹博士著作目録/略年譜」の筆者・村上篤直が、関係者の証言を元に、学問と酒と猫をこよなく愛した過激な天才の生涯に迫る。
会津士魂に生きた日本伏龍・小室直樹。上巻は征夷大将軍に憧れた柳津国民学校時代を皮切りに、サムエルソン成敗の誓い、社会科学の方法論的統合を目指した情熱と憂国
伝説の「小室ゼミ」の誕生から拡大までを描く。


まず何より著者の文章が分かりやすくていい。
それに文字が大きいのがいい。
私はまだ老眼ではないが、それでも大きな文字の方が読みやすい。
写真も豊富。
小室直樹が育った会津の家など、貴重な写真が多い。

私にとって小室直樹といえば、カッパブックスの一連の新書である。

 

tennkataihei.hatenablog.com

 

↑こんな程度の韓国批判でも出版できない可能性があったとは!!

 

第二章 会津中学校 ―― 敗戦、ケンカ三昧の日々
第三章 会津高校 ―― 俺はノーベル賞をとる
第四章 京都大学 ―― 燃える“ファシスト"小室と“反戦・平和"弁論部
第五章 軍事科学研究会と平泉学派 ―― 烈々たる憂国の真情

第八章 東京大学大学院法学政治学研究科――社会科学の方法論的統合をめざして
第九章 田無寮 ―― 学問と酒と猫と
第一〇章 社会指標の研究 ―― 福祉水準をどう測定するか
第一一章 小室ゼミの誕生と発展 ―― 君は頭がいいなぁ、素晴らしい!
第一二章 一般評論へ ―― 日本一の頭脳、四四歳、独身、六畳一間暮らし
第一三章 小室ゼミの拡大 ―― 橋爪大三郎の奮闘

第一六章 おそるべし,カッパ・ビジネス――俺はマスコミに殺される
第一七章 ‟旧約"の時代と‟新約"の時代――奔走する担当編集者たち
第一八章 田中角栄――検事を殺せッ!
第一九章 対話――危惧、矜持、疑問、痴態、怒号、憧れ、感動
第二〇章 小室ゼミの終焉――最高のティーチャー
第二一章 スナック・ドン――野良でも、血統書つきでも、猫は猫
第二二章 日本近代化と天皇――方法論学者(メソドロジスト)の本領発揮
第二三章 誰も書けなかった韓国――‟新約"編集者たちの活躍
第二四章 昭和天皇――神であり、英雄である


カッパブックスが盛大に売れ始め、小室先生も貧乏生活からおさらば。
しかし、カッパブックス以前から続いていた小室ゼミに、主が現れなくなるという異常事態。
小室先生は超多忙となって編集者によってホテルに缶詰め。
主のいない小室ゼミ、この絶対矛盾。
それでもしばらくは続いていたというから、何と言うか、小室先生の人徳というか、何と言うか…

 

山本七平との「日本教」についての考察。

立川談志師匠との昭和天皇論。

今読んでも面白い。

 

小室先生の著書はほとんど全部読んでいるが、中でも私が特に推したいのがこれ ↓ 南京大虐殺インチキうそ話、全面否定の良書である。
1995年に出版され、2020年にまた復刊された。
やるじゃん、徳間書店
編集者サイドからしても相当な力作との判断があったのであろう。


封印の昭和史 戦後日本に仕組まれた「歴史の罠」の終焉 2020/小室直樹 (著), 渡部昇一 (著) 徳間書店

2人の「知の巨人」が日本人に遺した国民必修の昭和正史。令和の時代に続く、すべての日本の問題はここから始まった。

 

著者について
小室直樹:1932年、東京都生まれ。京都大学理学部数学科卒。大阪大学大学院経済学研究科中退、東京大学大学院法学政治研究科修了。マサチューセッツ工科大学ミシガン大学ハーバード大学に留学。 1972年、東京大学から法学博士号を授与される。2010年没。 著書は『ソビエト帝国の崩壊』『韓国の悲劇』『日本人のための経済原論』『日本人のための宗教原論』『国民のための戦争と平和』他多数。 渡部昇一氏との共著に『自ら国を潰すのか』がある。

 

渡部昇一:1930年、山形県生まれ。上智大学大学院修士課程修了後、独ミュンスター大学、英オックスフォード大学等に留学。Dr.phil.,Dr.phil.h.c.(英語学) 幅広く深い教養に支えられた文明と歴史についての切れ味するどい論評は、広く高く支持されている。2017年没。 著書は『知的生活の方法』『日本の驕慢・韓国の傲慢』(共著)、『日はまだ昇る』『かくて歴史は始まる』『かくて昭和史は甦る』『これだけは知っておきたいほんとうの昭和史』他多数。


「封印の昭和史」 p66-68 小室直樹 渡部昇一 

 さらに根本的なことを言っておきますと、一つは、捕虜というのはたいへんな特権だということです。これはもっとも大切なことであるにもかかわらず、「南京大虐殺」を論ずるとき、日本の国際法の学者も指摘していません。 

捕虜であるかないかということは、最終的には攻撃するほうが決定する。だから、捕虜でないと決定すれば即座に殺してもいいのです。 
 それに、投降さえすれば捕虜になるのかというと、けっしてそうではありません。降参しかけたと見せかけて、ピストルを出してドンとやるかもしれない。そんなことがどこでも起きているわけですから、敵軍の軍司令官が正式に降伏し、 
「はい、受け入れました」と両者で約束ができれば明らかに敵軍は捕虜となることができるわけですが、ついさっきまで戦闘していて目の前で手を上げたから「もう、捕虜なんだ」というようなことは断言できないわけです。 

 

 また、境界領域ということも重要です。境界領域とは、どちらか分からない場合には主権国家に有利に解釈されるという原則を定めたものです。さらに言っておかなければならないのは、 
軍隊は国際法に明確に違反しない限り何をしても合法となるということです。なぜこんなことを言うのかといいますと、殺したと一口に言っても次のように分けて考えなければならないのです。 

① 純然と戦争で殺した場合は合法です。 
② 戦闘員の資格を有しないで違法に戦闘する者を殺すのは合法です。 
③ 捕虜を殺せば、非合法です。 
④ 捕虜であるかどうか分からない者を殺した時には、国際法主権国家に有利なように解釈されます(これは、刑法とは正反対です) 

 

 つまり、明らかに捕虜でないものを殺すのは自由、捕虜であるかどうか分からない者を殺すのも自由、明らかに捕虜だということが明白な場合に、これを殺すことは違法であるということです。 
南京が陥落したときには、さきに該当する「明らかに捕虜である」者など、一人もいなかったのではないでしょうか。 


 日本軍は南京を攻略することに決定、九日には国際法学者とも協議して作成した 
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「攻略要領」に基づき、「和平開城の勧告文[七]」を飛行機で城内に散布した。 
 国際法に則って“無防備都市”つまり「防守都市に非ず」と宣言して開城すれば攻撃しないと中国側に通告したのである (第二次大戦におけるパリがその例で、これによってパリは破壊を免れた)。 

しかし、翌十日午後一時の回答期限に至っても何の回答もなかったので、 
 日本軍は総攻撃に踏み切った。南京城外に中国軍が設けた主要な抵抗陣地で激戦が展開され、  日本軍は十二日までに郊外の要衝(紫金山・雨花台・工兵学校など)を占領、 

その日の午後八時には唐司令官は麾下の軍に退却命令を出すとともに、自らも幕僚とともに脱出した。
(蒋介石は十二月七日早朝、南京を脱出している)。 

このため、中国軍は総崩れとなり、十三日未明、日本軍の一部は城内突入に成功した
(日本軍は形式的には安全区に関する安全区委員会の申し入れを拒否したが、 
 激戦が予想されたにもかかわらず、中山陵などの史跡とともに安全区にも出来るだけ被害が及ばないよう配慮した)。 

 

↑なにもかもチョンコ左翼が悪い


東京裁判で復活した「南京虐殺インチキうそ話」》 原爆投下に見合う虚構の大罪を作り出す必要があった!!

南京インチキばなし肯定派の "大ウソ" が改めて曝される・・・ 

●司令官・松井石根氏は、南京事件に関連した訴因で有罪になっていない・・・!!!
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  http://stomach122.jugem.jp/?eid=283 
  訴因44 1931/9/18~1945/8/2の間における俘虜、一般人従務乗組員虐殺の計画共同謀議の立案・実行の責任者 
  訴因45 1937/12/12以後の南京攻撃による中華民国の一般人及び非武装軍隊の殺害 
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  ■訴因の中で、南京事件に関連したものは上記のみ・・・(´・ω・`) 

●そして、松井岩根氏の罪状は下記のみ・・・(´・ω・`) 

  訴因55 1941/12/7~1945/9/2の間における俘虜及び一般人に対する条約遵守の責任無視による戦争法規違反 
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  http://www.geocities.jp/yu77799/toukyousaiban.html 
  『極東国際軍事裁判判決 第十章 判定』 

  本裁判所は、被告松井を訴因第五十五について有罪、訴因第一・第二十七・第二十九・第三十一
・第三十二・第三十五・  第三十六及び第五十四について無罪と判定する。 
  ======================================================== 

  ■訴因55は、『1941/12/7~1945/9/2』に関してのものだから、南京事件は関係ない・・・

 

シンガポール攻略戦で白人に大恥をかかせた山下中将ともども、どうしても死刑にしたかっただけだよ


761番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (FAX! 39e5-8Xcr)2021/07/26(月) 09:34:59.60ID:motxTJgc0FOX
>>756
> ××のアホが小室直樹の弟子というのがわからない

 

あれは東大の自主ゼミに小室直樹が講師役で招かれて、そこに××が参加して縁が生まれたからじゃなかったっけ。
小室直樹数理経済学に強いけど、社会学もひととおりできる、はみ出し者だが万能選手的な学者。
そして××は小室に感化され、伝統的で保守的な東大社会学の学風からは逸脱していった。
そういう意味で実に直系の弟子なんじゃないですか。

 

↑わかっていないなこの人は  小室直樹先生のエッセンス、思想の核は、憂国愛国である。

 

僭越ながら私と同じだ(笑)。
一読書いたことがあるが、振り返ると、私が育った東京多摩地区の私の家のごく近所に、日の丸、君が代に反対して裁判してる高校教師が住んでいた。
ゴリゴリの日教組の人だった。
人柄も悪くない。
それどころか好人物だった。

「あれ? ×××ちゃん、今帰り? しばらく見ないうちにおおきくなったねえ…」
「昨日も会ったよ」

それが不思議だったのと、すでに幼稚園に通うころから、その人への違和感(日の丸、君が代に反対して裁判してることへの)があったから、私のそういう思想に対する拒否反応は相当根深いものがある(笑)。


著者は東大法学部卒の弁護士ということだが、生前、小室直樹と会ったことがないとのこと。これだけの評伝をまとめ上げた力量、情熱は半端ではない。
あとがきによれば、小室直樹先生の1冊の本を読んで救われたというようなことが書いてある。


さて、ここで皆さんに質問。 ××には誰の名前が入るでしょう?