日本列島四万年のディープヒストリー 先史考古学からみた現代 (朝日選書) 2021/森先一貴 (著) 「大昔のことだから知能や能力が劣っているはずだとみなす時代遅れの進歩史観など、さっさと捨て去らねばならない」

1979年京都府生まれ。文化庁文化財第二課文化財調査官。東京大学大学院新領域創成科学研究科修了。奈良文化財研究所研究員を経て現職。専門は先史考古学。4万年前、日本列島に渡ったホモ・サピエンスが、旧石器時代から縄文時代にかけて各地で環境適応を進めていく過程を研究中。ロシア極東でも旧石器時代から新石器時代の発掘調査に参加し、周辺大陸から日本列島文化を位置づけたいと考えている


石刃鏃(せきじんぞく)という、四万年から縄文時代初期にかけてロシアのアムール川流域や北海道で出土する石のやじりを知っているだろうか。
教科書にも載っているから見たことがある人も多いだろう。

 

石刃に簡単な加工を施した石鏃。 北海道東部の縄文時代早期には,日本列島のほかの地域にはない特殊な石器をもった人々が生活し,東部の海岸地帯を中心にその遺跡がある。 同様の石器は中国東北部アムール川流域にも多数みられ,石刃鏃以外の石器も共通していることから,日本列島と大陸との交流の具体的な証拠として注目されている。

 

アムール川流域で発生し、それが日本列島に伝わってきたと説明されることが多い。
だが、この本の著者は、アムール川流域に現地調査を行ったうえでそれに異議を唱える。


日本の文化は本当に大陸起源なのか? 「石刃鏃」のルーツが示す事実とは
2019/05/02/ 08:00

dot.asahi.com

 

筆者は日本の旧石器時代から縄文時代を研究している。こんな経験をしようと思ったのは、日本の歴史を、周辺地域の歴史を知った上で見直したいと思ったからだ。かの司馬遼太郎は、大陸文化の無節操にも思える摂取を通じて日本列島の文化がかたちづくられたといったし、第二次大戦後の日本の歴史学界も、日本列島の歴史は大陸からの人や文化の大規模な移入で形作られたと考えた。それがどれほど真実に近いのか、自分の目で確かめたいとも思っていた。

 

日本列島の文化は本当に大陸起源のものばかりなのか。検討すべき対象のひとつに、「石刃鏃」という名の美しい石のやじりを特徴とする北方狩猟民の先史文化がある。約8200年前ごろの縄文時代早期、北海道の北東部オホーツク海に面した地域を中心に、わずかな期間、唐突に現れた謎の文化だ。その唐突さゆえに、ロシア極東のアムール川流域から伝播したとされてきた。

 

しかし、ロシアで実際に発掘に参加し、資料調査を続けてみてわかってきた。大陸には、北海道の石刃鏃と同じ技術や形のものがほとんど見当たらないのだ。アムール川流域、沿海地方など、かつて伝播元とされた地域の同時代の出土資料からは、北海道と同じ道具を携えた先史文化は存在しないといえる、と確信するようになった。

 

 ただひとつ、サハリン島の先史文化には北海道の石刃鏃とほとんど同じものがある。しかもその年代が、北海道よりわずかに古く8500年前に遡る可能性がある。じつは、古気候研究からは、約8200年前に北半球で広く気候の寒冷・乾燥化が起こったことが知られている。現時点のデータは、サハリンに早くに存在していた石刃鏃文化が、気候寒冷化の影響に伴う人の南下で北海道に影響し、両地域に共通する石刃鏃文化を生み出したというシナリオとなる。大陸からの文化の伝播はなかったのだ。

 


何かの書き込みで、日本の世界最古のものを羅列しているものを見た。
もう10年くらい前のことである。

 

世界最古の木造建築、法隆寺とか、函館市垣ノ島遺跡から出土した9000年前の漆塗り装飾品とかいろいろあったが、中でも記憶に残っていたのは静岡県愛鷹山麓に広がる世界最古の、旧石器時代の3万年以上前の落とし穴(日本にしかない)が、ゴロゴロある遺跡があるということだ。

 

以来、調べもせず何となく覚えていた。
ところが今回、本書を読んでいて著者がその落とし穴について触れているのに出会い嬉しくなってしまった。

 

10 時間を管理する能力 123ページ~

世界にも例のない「落とし穴」猟

 

「東京都の多摩ニュータウンの開発に伴う発掘調査などでは、縄文時代の落とし穴が1万基以上も見つかっている。
ところが、1986年、静岡県三島市初音が原A遺跡で、驚くべき発見があった。
伊豆半島の付け根あたり、箱根山ろくの丘陵上で100基以上にのぼるとみられる大きな土坑群が発見されたのである。

発掘された地層は、約3万年前に九州南部で起こった姶良火山の大噴火ではるばる飛んできた火山灰を含む層よりもたしかに下層にある。3万年前をさかのぼることは確実な、旧石器時代の土坑群だ。これほど古い大型土坑群は世界的にみても例はない。」

 

はじめ、墓ではないか、ドングリや何かの貯蔵穴ではないかという研究者がいたが、科学調査の結果、そうした痕跡は何も出なかったという。

 

さいしょに、穴を掘る際には重労働だしいろいろ面倒だが、いったん掘ってしまえば、ほぼ恒久的に獲物が確保できるのだし、何より数日おきに穴を見回ればいいだけだから時間の節約になるし、余った時間で他の様々なことができたに違いない。
なんと、頭のいい民族が東の果ての列島にいたことだろう!


「私たちは、このような計画的な生活手段が早くも、3万年以上前から行われていたことを、大きな驚きをもって受け止めてしまいがちである。しかし、よく考えれば彼らは私たちとまったく同じ現生人類だ。大昔のことだから知能や能力が劣っているはずだとみなす時代遅れの進歩史観など、さっさと捨て去らねばならない。」

 

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まっぷるトラベルガイド編集部 2022年2月8日

静岡最古の古代人は愛鷹山付近にいた!~遺跡からみる静岡最古の人間の生活

県東部、愛鷹(あしたか)山付近の遺跡では、県内最古の人間の生活の跡を確認することができます。
古代人は、いったいどのような生活を送っていたのでしょうか。
静岡県最古の古代人独自の旧石器文化
また、長泉町の富士石遺跡や三島市の初音ケ原(はつねがはら)遺跡、八田原(やつたはら)遺跡などでは、約3万年前の配列された土坑の存在が確認されています。

特に初音ケ原遺跡では、遺跡全体で総数71個の土坑が列状に丘陵地に分布しています。これらは、土坑と土坑の間に垣根のようなものを巡らし、シカ、イノシシなどの動物を穴に落として捕獲する、落とし穴としての役割があったと考えられます。