土偶を読むを読む 執筆は、望月昭秀、金子昭彦、小久保拓也、佐々木由香、菅豊、白鳥兄弟、松井実、山科哲、山田康弘、吉田泰幸(順不同)。 2023/4/28 文学通信「土偶の正体」は果たして本当に解き明かされたのか? 竹倉史人『土偶を読む』(晶文社)を大検証!

考古学の実証研究とイコノロジー研究を用いて、土偶は「植物」の姿をかたどった植物像という説を打ち出した本書は、NHKの朝の番組で大きく取り上げられ、養老孟司ほか、各界の著名人たちから絶賛の声が次々にあがり、ついに学術書を対象にした第43回サントリー学芸賞をも受賞。

「『専門家』という鎧をまとった人々のいうことは時にあてにならず、『これは〇〇学ではない』と批判する“研究者”ほど、その『○○学』さえ怪しいのが相場である。『専門知』への挑戦も、本書の問題提起の中核をなしている」(佐伯順子)と評された。

しかし、このような世間一般の評価と対照的に、『土偶を読む』は考古学界ではほとんど評価されていない。それは何故なのか。その理由と、『土偶を読む』で主張される「土偶の正体」、それに至る論証をていねいに検証する。


おもしろい!!!
432ページもあって2000円。最近買った本の中では、ベストパフォーマンスの1冊だ。
装丁が素晴らしい。これだけ図表を入れて、しかも本体も読みやすい。

ここで関係ないが、かつて戸田ツトムという装丁家がいて、かれの作った本はホントに読みづらくて難渋させられた。
こいつが装丁してるから本体のほう、読みたくても放棄した本が何冊もあった。


183ページから始まる白鳥兄弟による「土偶とは何かの研究史」が良かった。
土偶研究の実際を通年でわかりやすく列記してる。

これを読んでやはり驚かざるを得ないのが、130年は長いということだ。
130年ものあいだ、ただの一人も気が付かなかったのかという驚きである。

 

土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎 – 2021 竹倉 史人 (著) 晶文社
130年間解かれなかったという縄文土偶の謎を全面的に解き明かすことに著者は成功している。
土偶は食用植物と貝類をかたどっている」

言われてみればそうだ。縄文人たちがそんなに難しいことを考えていたわけはない。
多分おそらくだが、食うことか、生殖に関することしか縄文人の頭に浮かばなかったのではないか。

とすると、これまでの130年は何だったのかということに、外部者からみればそうなる。

 

「私は土偶解読と並行して国立国会図書館に通い、これまでに自分と同じような説を唱えた人がいないか過去の文献をチェックするということをした。
明治期以降に書かれたほぼすべての土偶関連の論考に目を通したが、そのような人は一人も見当たらなかった。
しかし、これはよく考えてみると、とても奇妙なことであった。
たとえば椎塚土偶。ハマグリの形にあれだけそっくりな頭部をもつ土偶が、大量のハマグリが堆積する遺跡から見つかっているのである。誰か一人くらい「あれ? これってハマグリに似てない?」というひとがいてもよさそうなものではないか。」

 
アマゾンレビューに    元科学少年さんの秀逸な感想。
p138では、遮光器土偶が象徴するサトイモの植生と一致しない根拠として、当時(縄文晩期)と現在の気温は同じ程度で、現在のサトイモの北限は岩手県南部であり、よってこの土器制作の中心地である青森県では栽培されなかったとあります。しかし、この気温の根拠は研究紀要(査読なし)だけのようです。実際に調べてみると、当時の気温には諸説あり、当時のサトイモの北限を当時の気温から岩手県南部と断定する論拠としては相当弱いと言わざるを得ません(サトイモの栽培の有無は、遺跡からは判別困難とのこと)。

その代わりなのかどうか、「土偶を読む」を非難する形容詞は多く、はっきり言うとその字句が理解の邪魔になり、読むのに余計な手間と時間がかかって、かなりつらいです。記述にも間違いが散見され、この本の反論に信頼性があるとは思えません。

一例として、p116「縄文晩期に稲作のノウハウが朝鮮半島から伝わり」とあります。しかし、最近のゲノム解析や遺跡の調査によると、日本の水田稲作の開始時期は朝鮮半島より古く、半島にないイネのDNAも発見されているので、日本へは原産地とされる中国からの直接伝来説が有力となっています。これではこの本の信頼性はガタ落ちです。

 

↑冒頭から170ページまでが、竹倉説に対する個別の批判になるが、サトイモの植生に関することでもこうやってすぐ反論できてしまう。
 竹倉氏の写真の選び方にまでクレーム言ってるが、それもどうかなあという気がする。

この竹倉氏の本がなぜ受けたのかといえば、やはり、130年間、誰も言っていなく、しかも本を読んだ人が竹倉氏の言ってることに納得共感できたからという至極単純なことなのだ。

この譬えが気に入って何度も書いてるが(笑)、この「土偶を読む」自体が、散々手紙の行方を探し回ったがどこにもなく、結局部屋の壁にかかった手紙刺しにあったという、まるであのエドガー・アラン・ポーの「盗まれた手紙」みたいではないか!

 

DNA分析の発達により、埋葬時の被葬者の関係なんかがわかりかけてると。山田康弘氏談。
山田康弘(東京都立大学教授)氏の今後の研究成果に期待したい。


人類学者・中沢新一  372ページ
「日本のなかでは、考古学が、茶道や華道のような家元制度とよく似た発展をしているなと思いますね。ひとつひとつの所作にものすごく重大な意味を持たせて分類されていくんだけども、それは閉じられた世界のなかだけで意味を持つことで…」

↑すごく共感する。現状の日本考古学に対する至言ではないか。

 

邪馬台国畿内説なんか、完全に家元制度だ。

 

>これに対して、この数年間に調査のおこなわれてきた大和古墳群での中山大塚、下池山、黒塚などの前期古墳の埋葬はいずれも木棺を壮大な竪穴式石室で囲みこんでいたし、若い日の僕が発掘に加わった櫛山古墳は石棺を竪穴式石室のおさめていた。
今回発掘されたホケノ山古墳では、木棺の外側に木槨と石室との2重の外部施設を備えていて、倭人伝が記している倭人の葬法には合っていない。

森浩一「関東学をひらく」より 2001 朝日新聞

魏志倭人伝」には、倭人の葬式は、 棺あって槨なし。」 と、明記しているのだ。
木槨のなかに木棺があったのでは、「魏志倭人伝」の記述に合っていない。<

 


ではなぜ、「はじめに邪馬台国畿内説」なのか。
それはそのように教育されたからである。京都大学を中心として、その伝統にもとずき、考古学の分野で、そのような徒弟制度ができあがっているからである
その徒弟制度(いや、家元制度かな 笑))からはずれれば、就職も生活も出世も不利となる可能性がある。
こんな連中(邪馬台国畿内説派)に税金を使うのは無駄である。


併せて読みたい

土偶を読む図鑑 竹倉史人 (著) 小学館

考古学から見た邪馬台国大和説 畿内ではありえぬ邪馬台国  2020関川 尚功 (著) 梓書院