近代日本の中国観 石橋湛山・内藤湖南から谷川道雄まで (講談社選書メチエ) 2018/岡本 隆司 (著)
日本は、つねに中国を意識してきた。とくに、明治維新以後、中国研究はきわめて深く、幅広いものとなり、東洋史という歴史分野を生み出した。、「日本人の中国観」の形成と変遷を跡づけると同時に、日中関係を考え直す契機となるのが本書である。石橋湛山の「小日本主義」とはなんだったのか。巨人・内藤湖南の「唐宋変革論」とは? 宮崎市定や谷川道雄など、数多くの論者の中国論にふれ、その歴史を読み直す。
良書である。タメになった。
何より収穫だったのが、第2章に詳しい、忘れ去られた歴史家・矢野仁一である。
満洲国建国に深くかかわり、その反動もあって戦後は倉敷に籠もり、日本人から忘れ去られていったと。
だが、そんな矢野が突然、1966年に「中国人民革命史観」の大作を発表した。
御年95歳のことだという。
「「中国人民革命史観」は中国共産党にきわめて高い評価を与えた著述で、毛沢東の革命を「中国の歴史未曾有の革命、まことに革命の名に値する空前の革命である」と絶賛する。」
↑笑止千万である。
私は未読だが、読みたくはない。
人間は長生きすればいいものではないということがよくわかる事例である。
因みに、忘れ去られた歴史家・矢野仁一は、あの偉大な東洋史学者・京都大学教授、宮崎市定の師匠に当たるというのも今回驚きだった。
石橋湛山の「小日本主義」も面白かった。
石橋湛山といえば、私のいちばん嫌いな姜尚中、いち押しの言論人であある。
2014/06/30【西日本新聞/姜尚中】共存し得ぬ富国と強兵 集団的自衛権や海外派兵は国力の消耗につながる[06/30]
罪日ちょうせんじんと、朝日新聞の逆が常に正論だとの「法則」によって、何となく敬遠していた人だ。
「小日本主義」とは、海外進出を一切やめよという極端な思想である。
ただ詳しく原文を当たってみると、
「残念ながら、シナ人には果たして自国を統治する能力あるやが疑われないでもない。彼らは絶えず無意味な内乱を繰り返している。そして国内の治安を乱しているのである。」(満州事変後に書かれた社説より)
↑新春大笑い! 忘れ去られた右翼の歴史家・矢野仁一と何ら変わりはないのだ。罪日ちょうせんじん・姜尚中の意見をぜひ聞きたいものである(笑)。
日本は、つねに中国を意識してきた。そこまではいい。
学際的に分析することも重要だろう。
しかし、それだけでは本質を掴むことができないのではないだろうか。
学問とは、突き詰めていえば、真理を探究し、日本人を幸福にすることに貢献できなければ何にもならないと考えるからだ。
私が言いたいのは、シナ人とちょうせんじんには根本的に、そもそも国家を経営する能力に始めから欠いているのではないかということだ。
だから、ウソ歴史を国民に強いて、騙して、国家を運営してゆくよりほかに手がない。
私は現在の韓国の歴史教科書の記載について、大いに疑問がある。
ぜんぶおかしいが、とりわけ許せないのが、日本の敗戦についての記述だ。
韓国はことあるごとに自国を「第2次大戦の戦勝国である」と主張し、学校の教科書でも「韓国人は連合軍の一員として日本と戦った」と教えている。
だが、事実は全くその逆である。
大東亜戦争が始まると、特別志願兵募集に朝鮮の若者が殺到した。42年には、採用数4077人に対し、25万4273人が応募している。
適齢期の健康な男子の大半が志願したことになる。朝鮮は儒教国家であり、応募するには父母、親族の許しが必要であった。
大東亜戦争へ対する朝鮮民族全体の圧倒的な支持があったことがうかがわれる数字である。
大東亜戦争で、軍人と軍属合わせて合計24万人あまりの朝鮮人が前線に赴き、アジアの植民地を解放するために日本人と生死をともにしたのだ。
「第2次大戦の戦勝国である」というのは、間違いではないかと、なぜ、韓国人にそれが面と向かって言えないのか不思議で仕方がない。
韓国人が日本に入国する際、このことを質問すべきだ。
韓国人が日本に入国する際、このことを質問すべきだ。
シナ人とちょうせんじんには根本的に、そもそも国家を経営する能力を始めから欠いているのではないか
↑これは、日本が満洲国を建国したあたりに盛んに言われたことだ。
私のいちばん嫌いな姜尚中の大好きな「小日本主義」の石橋湛山も言っていた。
満洲国建国に深くかかわり、忘れ去られた歴史家・矢野仁一がそう言ってたのは無論である。
案外、このことが日本が開国して以来、シナ人、ちょうせんじんと付き合ってみて到達した絶対の真理ではないだろうか。
ここでは、シナ人についての3つの実例と、一人のアメリカ人外交官のことを話したい。
まずは南京攻略戦におけるシナ人。
昭和12年(1937) 8月13日 第二次上海事変勃発(敵はナチスドイツの最新鋭の武器で武装。日本軍死傷5万人)
11/07 中支那方面軍編成(第10軍+上海派遣軍)
12/04 日本軍、南京市郊外まで進軍
12/07 日本軍、南京防衛軍外郭防御陣突破、午後1時攻撃開始
総統蒋介石は南京脱出 ※防御は国民党軍事顧問団ナチス・ドイツのゼークトが指導
→残存する兵士に全く指示を出さずに自分たちだけ逃げたために中国軍・市民大混乱
12/09 日本軍、投降勧告ビラを散布 司令官唐生智へ降伏勧告文の提示
12/10 午前 使者に対し中国側から拒否回答
日本軍、総攻撃開始
12/10 17時 光華門占領 12/12 午前1時 中華門占領
12/12 南京防衛司令官唐生智、杜撰な命令のみで自身は逃亡。中国軍は大混乱
※唐生智は後に中国共産党に復帰
※中国軍は“督戦軍”を置いて脱出しようとする中国兵を大虐殺 ←←!!!!!ここのことだよ
12/13 午前3時 中山門占領 午後16時下関占領
夕刻 完全占領 南京城陥落 以降、日本軍入城により治安回復
昭和13年(1938)3月28日 中華民国維新政府が南京に成立
@@@※中国軍は“督戦軍”を置いて脱出しようとする中国兵を大虐殺 ←←!!!!!ここのことだよ
中山門から入ったらシナ兵の死体がごろごろあった… 日本兵の証言と一致してるよ チャンコロが殺ったんだよ
大虐殺を信じる人たちは捏造資料を疑いもしない。 「信仰」に近い彼らを納得させることは不可能に近い。
百田尚樹 @hyakutanaoki
中国には、「督戦隊」というものがありました。これは戦いを督促する中国人部隊で、背後にいて、戦場から逃げ出す
中国兵を見つけると撃ち殺す兵士たちなのです。逃げる中国兵を撃ち殺す中国兵です。そんな非人間的な部隊が、
中国にはありました。実際に、中国督戦隊に撃ち殺された中国兵たちが多くいました。
NYTのダーディン記者は、南京城壁の北側の門において、高さ1メートル半にも積み重なって小山を形成していた
中国兵の死体を目撃しています。これは日本軍が殺した中国兵ではなく、中国督戦隊に殺された中国兵だったのです。!!!
なぜならダーディン記者は戦後、こう語っています。
「これは、この門から脱出しようとした中国兵の死骸です。中国兵はあちらこちらで城壁によじのぼり、
脱出を試みました。これらの死体の山は、日本軍がここを占領する前にできたように思うのです。
この地域で(日本軍の)戦闘はありませんでした」(1987年8月14日のインタビュー、質問者は笠原十九司、伊原陽子。
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『南京事件資料集 アメリカ関係資料編』P571 青木書店)
つまり、それは中国督戦隊によって殺された中国兵らの死骸だったのです。
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↑チョンコとバカサヨのねつ造連合軍は、督戦隊とか「清野作戦」とか、シナ独自の特異な前提があったことを知った方がいいよ
質問者は笠原十九司 ← こいつ、あった派の首魁
↑戦後、この南京防衛司令官・唐生智はなんと、中国共産党の要職についてる。ホント、わけわからん。
2つ目、3つ目は再三書いてる、
最近の北京市の大洪水をみて、かつての黄河決壊事件を想起せざるをない。
端的に言えば、シナ人の為政者はダメである。
北京市を守るために、上流のダムを複数、突然、住民に通告なく解放したとのこと。
あの流量はただ事ではない。あれはただの豪雨ではない。
私はかつての黄河決壊事件を思い出す。
黄河決壊事件。
蔣介石が日本軍の通路を防ぐ目的で苦し紛れで黄河の堤防を破壊し、九州に匹敵する面積の地方を水浸しにして中国人民に多大な損失をもたらしたこと。
↑復旧は(住民の救出を含めて)、進軍を止めてすべて日本軍が行った。住民を救出中の日本軍にたいして、蔣介石の国民党軍は、機関銃を撃ってきたと(これホントの話)。歴史の闇に飲まれて(反日バカサヨクが大きな顔をして、のし歩いている現代日本では)、知らない人も多いのではないか。名監督、山中貞雄はこのとき泥水を飲んだのが原因となり亡くなっている。
現在の中国共産党は今の政権を手にするため、数千万単位の中国人を殺してきました。その史実を中国国民の目からそらすために、
日本を仮想敵国とし過去の戦争で日本軍が残虐行為をしたなどの偽造をして宣伝を続けているのです。
黄河決壊事件. 2.洪水. 商震将軍は蒋介石から日本軍前衛部隊の背後を突くように堤防爆破を命じられたが、国民党軍の ... 水没した範囲は11都市と4000の村におよび、3省の農地は農作物ごと破壊され、水死者100万人、被害者600万人と言われる ...
恐るべし蒋介石 >我が日本帝国軍人は支那人民を助けたのである 蒋介石の"以水代兵"―黄河決壊事件
黄河が決壊したのは1938年6月7日だった。
河南省の花園堤防が切れて満々たる水が黄河から溢れだし、河南省ばかりか安徽省から江蘇省の平原まで冠水した。
水死者だけで60万人とも百万人とも言われる。
これは蒋介石が命じて堤防を爆破したからで、被災は以後水没地域に干ばつ、飢餓などをもたらし、1943年には大飢饉に繋がる。
ところが、蒋介石の副官だった何応鈞は『八年抗戦之経過』(1938年)のなかで
「日本軍が飛行機で爆撃した」と書いた。『中華年鏡』(1948年)のなかにも「日本軍の砲撃で破壊された」
と嘘が書かれた。
真実はこうだ。
日本軍に追われた蒋介石は水攻めの奇策を思いついた。
黄河花園堤防爆破が国民党の自作自演であったことは、1976年になったから関係者が暴露した。
しかも爆破直後に「これを日本軍の仕業として宣伝する」ことまで事前に決められていた。
6月7日爆破。6月11日からラジオなどを使って『日本軍の暴挙をわめき続けた。
これに疑問をもった外国人記者がいた。パリの「共和報」という新聞が自作自演説を伝え、世界のマスコミが
疑念を抱いた。 こういう真実が明るみに出る。
以徳報恩などと欺瞞的な放言が得意だった蒋介石神話を信じていた人にとって、真実とは驚くほどのことであった
↑シナ人と、ちょうせんじんには、これは、これだけはやってはいけないという判断基準がもともとない。自分さえよければ、基本的に、何でもありのミンジョクである。
★90年以上も前(1933年)に中国人を観察し本を出版したアメリカの外交官がいた。
暗黒大陸中国の真実 ラルフ・タウンゼント 芙蓉書房出版
今こそ、日米国民はラルフ・タウンゼントを読むべきだ。
◎読んだ感想
読み出したらやめられない本です。
大東亜戦争前のシナ大陸の実相を、実体験をもとに記しており、シナに甘い母国のアメリカへの忠告の書なのですが、その内容は、そっくりそのまま、現在の中国に当てはまり、また日本への忠告そのものになっております。
ごく一部に、日本についての錯覚もあるようですが、じつに勉強になります。
また、シナに甘いアメリカ宣教師への痛烈な批判は、現在の日本のマスコミにもそのまま通じます。
この本は1933年の作品でタウンゼントが米国大使館上海副領事として、日々、かの猥雑なペテン師だらけの国で実際に目撃した出来事と、直接体験から考えに考えての中国人論を展開し、日本の経営する満洲こそ、中国人にとって天国ではないかと、その真実を報告しているのである。
「中国人はただ働けて束縛されずに生きられれば、どんな旗がはためこうとまったく気にしない。懐具合が良くて家族が無事でいればあとはどうでも良いのである」(280頁)。
だから「満洲は中国人にとって天国」となった。
事実、日本が経営した満洲の評判を聞いて数十万の漢族が入植した。学校は日本人より中国人のほうが多かった。
元も清も、いや唐でさえ、異民族王朝である。吐番、大月氏、突厥、金と数え上げればきりがない異民族王朝が三百年つづこうとも、漢族は気にしなかった。
著者の中国への学識が方々で生かされていて、しかも64年前の中国人の本質といまのそれとはまことに同一軌道をまわっている事態を、読者は感嘆と同時に体得するだろう。
◎本文の一部3『人類共通の人情がない中国人』
・・・・・
中国人は二人連れで舟旅をする・・・一人旅で病気になると・・・船頭は迷わず病人を川に投げ捨てるからである。
・・・・・
悪いのは迷信であって船頭が悪いのではないかもしれない。が、違う。投げ捨てられそうな人を見て「可哀そう」という人は一人も
いない。逆に、少し助けてやれば病気が治りそうな場合でさえ、誰も全く関心を示さないのである。
車が倒れて人や馬が下敷きになるような事故がよく起こるが、野次馬ばかりで誰一人、助けようとしない。この冷淡さこそが
中国人の典型のようである。
◎本文の一部9『幻影を抱かずに現実に立ち向かった宣教師』
・・・・・
一九二七年から二八年、中国領土にいた八千人に上る外国人宣教師のうち五千人が退去させられている。
どこへ退去したのか。
日本である。
しかし日本に避難したものの、日本人が好きになれない。
可哀相な人間がいないからである。
アメリカ人とは不思議なもので、可哀相だと思えない相手は好きになれない人種である。
宣教師は特にこの傾向が強い。
可哀相な人間を見ると、我が身の危険をも顧みず、救ってあげようという殉教精神がわき上がるのである。
だから中国人は全く有り難い存在なのだ。
ところが日本は、ドイツに似て、規律正しく、町は清潔で落ち着いている。
これでは宣教師の出る幕がない。
だから宣教師に好かれないのである。
◎本文の一部20『日本人と中国人』
・・・・・
中国人と日本人は全く違う人間だが、アメリカ人には違いがわからない。
地理的に近いから性格も似通っていると思っている。
これほど大きな誤解はない。
・・・・・
確かに、日本人と中国人は体つきがよく似ている。
が、似ているのは体型だけで、性格は似ても似つかない。
・・・・・
短い旅行でも違いがわかる。
他人に対する態度が大きく違う。
儲け話になると腰が低くなるのが中国人。
日本は違う。
自然に腰が低くなり、礼をもって接すること自体に喜びを見出している。
例えば、通りを歩いていて、何かを落としたら誰かがサッと拾ってくれる。
中国には、スラム街よりひどく、鵜の目鷹の目の連中が多い。
・・・・・
(しかし日本人は)アメリカ人の手本になるような行動を示してくれるのである。
◎本文の一部21『アメリカ人はなぜ日本人より中国人を好きになるのか』
・・・・・
上流階級の日本人は「武士に二言はない」というサムライである。
サムライとは名誉を重んじ、自らの言動に責任を持つ伝統を重んじる特権階級である。
・・・・・
中国は全く別で、言葉の意味はころころ変わる。昔から嘘つき呼ばわりされても誰も侮辱だと思わない。
そういえば、嘘とか嘘つきという言葉がない。
[中国では嘘という漢字に、日本人が言う「うそ」という意味はありません。むろん中国にも「うそ」に近い用語はたくさんありますが、日本人と決定的に違うのは、「恥ずかしいこと」「悪いこと」といった意味が無いことらしいです]
先ほど、(アメリカ人は)ちょっとだけ付き合うと中国人が好きになる人が多いと言ったが、長らく付き合うと、圧倒的に日本人が好きになる。
・・・・・
(アメリカ人が)ちょっと滞在して中国人が好きになるのは、中国がどん底の国だからである。
アメリカ人は可哀想な人に愛着を持つのである。
もう一つの理由は、日本がアメリカの安全を脅かす存在だからである。
◎本文の一部25『満州国は三千万の中国人には天国である』
それに比べ、日本が支配する満州国はどうであろうか。
・・・・・
あそこに暮らす約三千万人の中国人には満州国は天国である。
中国の領土保全・門戸開放・機会均等等を説いたいわゆる「九カ国条約」が結ばれてから十年、一体全体、誰かの役に立ったか。
◎本文の一部30『中国問題は日本にとって死活問題』
日本経済はアジア大陸にかかっている。
アメリカは広く世界を相手に貿易を行い、その上国内資源が豊富であるから大したことはない。
ところが、日本にとってアジア大陸はまさに命綱である。
こう考えて初めて、日本の怒りが理解できるのである。
・・・・・
日本の主張はこうである。
「列強は『領土保全・門戸開放・機会均等』を厳守するよう日本に迫った。しかるに中国には何も言わない。日本に協力するよう、中国に言わない」と。
アメリカとイギリスの肝いりでできた門戸開放政策のおかげで国土を切り取られなかった中国は、恩を仇で返すことが多すぎる。
◎本文の一部32『アジアの問題児は中国』
結論を述べよう。
アジア問題の本質はなにか。
それは、時代の流れに逆らう中国人の頑迷さである。
問題の本質はここにあるのであるが、「それとてたいした問題ではない」と、中国に居を構えるアメリカ人は言っている。
期待しすぎてはいけない。
現在の権益を保持できればそれで十分である。
・・・・・
誰もが異口同音に『中国人の裁判いかかったら最後、まともな裁きを絶対期待できない』と話していた。
そして、でたらめ裁判の例を山ほど聞かされた。
[このあたりの記述では、南京事件などで中国人がアメリカ人にいかに酷い仕打ちをして生首を並べても、アメリカ宣教師が中国人を弁護すると、宣教師を批判しています。また別の箇所で、酷いことをする中国人を弁護し、紳士的な日本人を嫌うアメリカ宣教師のことが記されています]
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2023-06-14
シナ人とは何か―内田良平の『支那観』を読む 2009/宮崎 正弘 (著), 内田良平研究会 (著)展転社 中国文明の本質を鋭くえぐり、趨勢を見極めた「強攻」外交の提言。現在によみがえる内田良平の国家戦略書。間違っていた日本人の対中理解を正す。
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