偽満州国論 (中公文庫) Kindle版 武田徹 (著) 2010 今こそ、偽満州国論を読もう!

満洲国にはずっと興味がある。
始めに言っておくと、満洲国いいじゃない、なぜ、アメリカ合衆国満洲国に協力できなかったのかというのが私の立場である。

 

満洲国は、日本人にとって益々重要である。
最近、中国の不動産が破綻して2000兆円もの負債を抱え、臭菌平がロサンゼルスでバイデン大統領と久々に会談した際、これは噂レベルだが、1500兆円もの援助を要請したと伝えられた。

北京大学を出ても大部分の学生が就職できず、それどころか、地方財政も破綻し給料が出ず、中国各地でデモ、抗議活動が活発化している。
日本のバブル崩壊、地価下落とは根本的にちがうこの問題の根は深い。

 

地価が永遠に上がると見越して国家そのものが同元になって、中国国民に博打を張らせていたものだから、資本主義だか社会主義だが、よくわからない存在形態も混乱に拍車をかける。

破綻しても回復できないのではないか。
日本のバブル崩壊も地方公務員に給料が出ないところまで追いつめられてはいなかった。
あらゆる兆候、諸表をみるにつけ、これは回復不能だと言い切ってもいいと思う。
ゆっくり、分裂崩壊に向かっているその最中だといえる。


さて、偽満州国論 (中公文庫) は良書である。

当時、ブロック経済で追い詰められた日本が死地に活を求めて考え出した傀儡国家である。
その判断は、間違っていない。
その構想、実現に尽力した石原莞爾を褒めたたえたい。

 

石原 莞爾(いしわら かんじ)、1889年(明治22年)1月18日 - 1949年(昭和24年)8月15日)山形県西田川郡鶴岡(現・鶴岡市)で誕生。は、日本の陸軍軍人、軍事思想家。最終階級は陸軍中将。

帝国陸軍の異端児と呼ばれ、アジア主義日蓮主義の影響を受けた。『世界最終戦論』で知られ、関東軍板垣征四郎らとともに柳条湖事件満洲事変を起こした首謀者。二・二六事件では反乱軍の鎮圧に貢献したが、宇垣内閣組閣は流産に追い込んだ。後に東條英機との対立から予備役に追いやられる。東京裁判では病気や反東條の立場が寄与し、戦犯指定を免れた。


中国共産党は恩知らず…

周恩来も、孫文も、蒋介石も、日本に留学してた 
中国の偉い人は、みんな日本留学組 
中国共産党創立メンバー13人のうち、初代主席の陳独秀以下 
9人が日本留学組。 毛沢東を除く、中共トップは、ほとんどが日本留学組。

孫文孫中山=日本留学時代に中山家が気に入ったから 
孫文が作った中国同盟会は東京で結成 
また、孫文が導入し、以後長らく中国国民の制服となった中山服は、 
日本の学生服のデザインを模倣したもの 
蒋介石 日本陸軍士官学校を卒業し、旧帝国陸軍に2年間、勤務。 
国民党軍の兵服、歩兵装備は、旧陸軍兵士のそれと酷似 
国民党軍は、日本陸軍を模倣して作られたから

 
日清戦争で負けてから大正時代にかけて中国人留学生が1万人以上、日本に留学してた 
連中は日本語でマルクス主義共産主義を学び、資本論を読み、中国に帰ってから、中国共産党を創立した 

日本共産党中国共産党の結党は、ほぼ同時。(1年の差) 
 
シナコロは大言壮語の前にその恥ずかしい国名を何とかしろ!

中華 人民 共和国
    ↑   ↑
   日本語 日本語

 

↑国名の3分の2が日本語!!  

 日 本 な く し て、中 国 な し。 


近年、いろいろなシナ共産党、シナに対する意見をみてるが、私が最も共鳴するのがジャーナリスト・日高義樹氏の対中認識である
中でも素晴らしいのは次の日高氏の言葉。


「中国とその政治権力である中国共産党がもっとも恐ろしいのは、歴史もなく、文化も持ってない野蛮な集団だということだ。中国は文化大革命紅衛兵騒ぎによって、自分たちの文化も文明もすべて壊してしまい、共産主義という宗教も文化もない政治体制を作り上げてしまった。」


最近の北京市の大洪水をみて、この「満洲国弁護論」を想起せざるをない。
端的に言えば、シナ人の為政者はダメである。

 

2023-08-10 https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/08/10/161640
満洲国建国の正当性を弁護する 2016/ジョージ・ブロンソン リー (著), George Bronson Rea (原名), 田中 秀雄 (翻訳)草思社
それは中国の民主化の最初の試みであった。定見なき米国外交、列強が結んだ諸条約の欺瞞を鋭く批判し、驚くべき精度で戦後世界を予測。1935年に書かれた満洲国建国史の最重要資料。


北京市を守るために、上流のダムを複数、突然、住民に通告なく解放したとのこと。
あの流量はただ事ではない。あれはただの豪雨ではない。
私はかつての黄河決壊事件を思い出す。
 

黄河決壊事件
蔣介石が日本軍の通路を防ぐ目的で苦し紛れで黄河の堤防を破壊し、九州に匹敵する面積の地方を水浸しにして中国人民に多大な損失をもたらした。

 

黄河決壊事件(こうがけっかいじけん)は、支那事変(日中戦争)初期の1938年6月に、国民革命軍が日本軍の進撃を食い止める目的で起こした焦土作戦である。漢人蒋介石軍が黄河の堤防を爆破して黄河を氾濫させ犠牲者は数百万人に達し、中国人住民を苦しめた。

1937年の日中戦争開始より日本軍は中国中心部への進軍を急速にすすめ、1938年6月までに中国北部全域を制圧するに至った。6月6日、日本軍は河南省の中心地である開封市を占領、鄭州市が攻略される状況となった。鄭州は交通の動脈である平漢線と隴海線の両鉄道路線の合流点であり、日本軍が同地の攻略に成功することは、中国政府にとって主要都市(武漢西安)の危機に直結することを意味した。

国民革命軍側では劉峠第一戦区副司令官の「黄河の堤防破壊により洪水を起すことによって日本軍の進撃を阻止」する案が程潜司令官に示され、蔣介石の承認を得た。

 

↑復旧は(住民の救出を含めて)、進軍を止めてすべて日本軍が行った。住民を救出中の日本軍にたいして、蔣介石の国民党軍は、機関銃を撃ってきたと(これホントの話)。歴史の闇に飲まれて(反日バカサヨクが大きな顔をして、のし歩いている現代日本では)、知らない人も多いのではないか。名監督、山中貞雄はこのとき泥水を飲んだのが原因となり亡くなっている。

 

↑シナ人と、ちょうせんじんには、これは、これだけはやってはいけないという判断基準がもともとない。自分さえよければ、基本的に、何でもありのミンジョクである。


シナ人とちょうせんじんには、根本的に不信感しかない。
そもそも国家を経営する能力に始めから欠いていると私は思ってる。
だから、ウソ歴史を国民に強いて、騙して、国家を運営してゆくよりほかに手がない。

 

日本の報道機関は報じなかったが、先ごろ、臭菌平がバイデンに呼ばれてアメリカに行って晩さん会で、日本とシナの戦争のこと、アメリカへの感謝を述べたと聞いて、かつて江沢民クリントンとハワイで会談したとき、真珠湾攻撃のことばかり言ってたのを思い出した。
こいつらが、自分の「正統性」に危ういもの感じてるのは間違いない。

 

どうせトランプが返り咲いたら、「シナ、ベネズエラ化」の動きが加速する。
シナの分割統治、共産党の撲滅で世界は平和になる。

 

あと最後に、日本国内の反日バカサヨクの駆除一掃で日本に絶対的な平和がやってくる。

 

「応召するまでの7年間、私は蒙古政府の官吏だった。外地で働いていた日本人を「帝国主義の走狗」とか「侵略者の片割れ」とか呼んで、侮蔑攻撃するのが戦後の風潮となり、そうした、一面的な断罪が今ではほとんど定着している感があるが、私のようにーーいや、私だけではあるまい。外地にいた大部分の青年たちがそうであったーー五族協和の理想をそのままに信じて新しい国づくりに挺身した者にとっては、まことに耐え難い仕打ちである。」

「蒙疆もうきょう(今の中国内蒙古自治区)の北辺で、貧困に苦しむ蒙古人を救うため、「草原のホリシャ(協同組合)の設立に奔走した日本人青年たちのことを私は思い出した。「侵略主義の手先」なものか。現地の人々の幸福のために彼らは身命をなげうって悔いなかった。その多くは故人となった。」

GHQ検閲官 甲斐弦 解説:上島嘉郎 経営科学出版2022/1/1 昭和21年(1946年)、占領下の日本であえて米軍検閲官となった英文学者が50年の沈黙を破り、当時の克明な日記をもとに、世相、苦脳と希望、峻烈な米軍検閲の実態などを生々しく描きだした敗戦秘史。

↑日本人ほど、公平な思いやりのある民族はいない…

 

 

なぜ、アメリカは日本と協調できなかったのか。
対ソ封じ込め外交を立案した尊敬するジョージケナンもそう言ってる。

 

1949年12月に蒋介石は台湾に逃れ、中国大陸は共産主義の手に落ちた。
1950年6月には、北朝鮮の侵攻により朝鮮戦争が始まり、 
10月には中国が加担して、アメリカを中心とする国連軍と激しい戦闘を繰り広げた。 

 

 この頃、(朝鮮戦争時)アメリカでは、"We fought the wrong enemy." 
(我々は戦う相手を間違えていた)という言葉が人口に膾炙していた。 
日本と戦ったのは誤っていた、という認識である。 
日本を大陸から駆逐したものの、アメリカは共産主義勢力に中国大陸を奪われ、 
さらに朝鮮では自ら血を流して戦わなければならない羽目に追い込まれた。 

戦後、米国国務省の要職についたジョージ・ケナンはこう主張して、 
ルーズベルト政権がとった「ソ連と協力し、日独を叩く」という政策を根本的に批判した。
日本が戦前果たしてきた共産主義の防波堤という役割を、日本を駆逐したために、 
アメリカが自ら担わなければならなくなった、という反省である。 

 

「今日われわれは、日本人が韓満(朝鮮、満洲)地域で半世紀にわたって 
直面し背負ってきた問題と責任を自ら背負い込むことになったわけであります。 
他人が背負っている時には、われわれが軽蔑していた、 
この重荷に感じるわれわれの苦痛は、当然の罰であります。」 ジョージ・ケナン


北方領土返還よりだいぶ先の話になるが、歴史はヒトめぐりして、また中国大陸経営に、今度は、列強に期待されて、世界に期待されて、今度はアメリカ、イギリスと協力しながら(笑)、日本が再び乗り出していく未来が見える。


併せて読みたい

 

満洲国: 交錯するナショナリズム (平凡社新書 967)2021/鈴木 貞美 (著)

かつて中国東北部に建てられた日本の傀儡国家・満洲国。その実態は謎が多い。しかし、最新の研究に基づき、中国大陸における漢民族満洲族、そして日本の軍部と政治派閥それぞれの立場、満洲国の存立基盤そのものである経済の実態、満洲国内の新聞・文芸・映画などの活発な活動に光をあてることで、ついに、その詳細な全体像が明らかにされてきた。
異なるナショナリズムの交錯が生んだ国家とは。東アジアに存在した異形の国の実態に迫る。