GHQ検閲官 甲斐弦 解説:上島嘉郎 経営科学出版2022/1/1 昭和21年(1946年)、占領下の日本であえて米軍検閲官となった英文学者が50年の沈黙を破り、当時の克明な日記をもとに、世相、苦脳と希望、峻烈な米軍検閲の実態などを生々しく描きだした敗戦秘史。

この本は以前取り上げた、
2023-06-04 検閲官~発見されたGHQ名簿 (新潮新書) 2021/山本 武利 (著) 沈黙は破られた――敗戦後の日本で、手紙、電話等あらゆる言論を監視した日本人エリートらの証言を、徹底的に検証。第一級史料。https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/06/04/155133

 

の、「併せて読みたい」、に挙げたのだが、私が読んだのは旧版(葦書房1995/8/1)で、上島嘉郎氏の余りにも素晴らしい解説を読んでいなかったので今回この本を取り上げる。

 

甲斐弦は家族を養うために1946年10月28日から同年12月27日まで(日本国憲法の公布は1946年11月3日)まで福岡のアメリカ軍第三民間検閲局(CCD)に勤務した。本書は、ポツダム宣言を蹂躙したアメリカ軍の検閲に協力した日本人自身がその検閲の実態を戦後生まれの日本国民に伝える貴重かつ稀有の回想録である。

 

戦後、日本が占領下にあった時、検閲官という職業があった。
大卒公務員初任給が300円であった時、月給は700円であった。
能力が高ければ高給を与えられる。
9000円以上になる者もいた。
何を仕事ととしたのか?

 

200ページ足らずの小さな本であるが、前半は帰国後の世間の混乱と、圧倒的な食えなさ、餓死も視野に入れざるを得ない、が描かれる。
そうやって友人たちと故郷・阿蘇山ろくに開墾事業を始めるに至る。
慣れない農作業の過酷さ、日々の焦り。
今読むと、真に貴重な資料になっている。

 

著者が検閲官として勤務してたのはたったの2か月である。
通信の秘密をアメリカの手先となって盗み見ていたことに良心の呵責を感じていたことは、第2章のタイトルが「アメリカの犬」とあることからも重々うかがえる。

 

これは言論および思想の自由を謳ったポツダム宣言に違反する措置であり、GHQ自身の手に成る新憲法にも抵触するような検閲が、憲法公布後もなお数年間にわたって実施されていたのである。民間検閲局こそがこの違法行為の実行者であった。

 

GHQは日本国民の膨大な私信から十通に一通を無差別に抽出し、日本人の動向を探っていた。
日本人または日系二世の検閲官がこれを検閲し、検閲要項に抵触するものは片っ端から翻訳、危険人物と思われる者はブラック・リストに載せ、あるいは逮捕し、場合によっては手紙そのものが没収となった。


「降伏後における米国の初期対日占領方針」に記された、「究極の目的 Ultimate Objectives」には、「日本国が再び米国の脅威となり、また世界の平和および安全の脅威とならざることを確実にする」との1項があり、日本が2度とアメリカに刃向かうことのないように、日本人の精神を改造し、日本という国の徹底した弱体化を企図して実施されたのが検閲と情報統制だった。

 

たとえば、日本の科学学術の発展を阻害するために日本学術会議はつくられた。
これホントのことだから。
日本学術会議(設置1949年昭和24年1月)と日本弁護士連合会(創立1949年昭和24年9月1日)は、GHQ占領時代に作られた。


科学技術と司法を反日運動体で固めて、敵国日本の国力を永久に削ぎ、日本人を奴隷にしておくためにGHQが作った反日組織だ。 


GHQ公職追放の後 空いたポストにGHQ反日学者を配置しそのポストを同じ思想の弟子に継がせ続けてきた結果が、今の日本のアカデミズムだ
それを維持してきたのが、GHQ・きょうさんとうが作った日本学術会議

日本学術会議の日本語wikipediaには、創設者であるGHQのハリー・チャールズ・ケリーが一切載ってない ここ重要!!


「応召するまでの7年間、私は蒙古政府の官吏だった。外地で働いていた日本人を「帝国主義の走狗」とか「侵略者の片割れ」とか呼んで、侮蔑攻撃するのが戦後の風潮となり、そうした、一面的な断罪が今ではほとんど定着している感があるが、私のようにーーいや、私だけではあるまい。外地にいた大部分の青年たちがそうであったーー五族協和の理想をそのままに信じて新しい国づくりに挺身した者にとっては、まことに耐え難い仕打ちである。」

「蒙疆もうきょう(今の中国内蒙古自治区)の北辺で、貧困に苦しむ蒙古人を救うため、「草原のホリシャ(協同組合)の設立に奔走した日本人青年たちのことを私は思い出した。「侵略主義の手先」なものか。現地の人々の幸福のために彼らは身命をなげうって悔いなかった。その多くは故人となった。」


「だがどんなマイナスの仕事にも、プラスの一面もあるものである。私はその2か月の経験によって、アメリカの占領政策の一端を垣間見ることができた。
自由だ、解放だ、と謳歌していたーーそして今も謳歌している。
あの大東亜戦争は、決して1945年8月15日に終わったわけではなく、今もなお続いていることに気づいたのである。」

↑著者がたどり着いた至言であると思う。


併せて読みたい

ケストラー自伝―目に見えぬ文字 1993/アーサー ケストラー (著), Arthur Koestler (原名), 甲斐 弦 (翻訳)彩流社

ユダヤ人とは誰か―第十三支族・カザール王国の謎1990/ アーサー ケストラー (著), Arthur Koestler (著)三交社
1500万ユダヤ人の9割を占める東欧系ユダヤ人は、『聖書』の民、セム系・ユダヤ人ではなかった。『ホロン革命』のケストラーが自らのルーツを探り、世界のタブー=ユダヤ人問題に挑戦。