検閲官~発見されたGHQ名簿 (新潮新書) 2021/山本 武利 (著) 沈黙は破られた――敗戦後の日本で、手紙、電話等あらゆる言論を監視した日本人エリートらの証言を、徹底的に検証。第一級史料。

戦後、日本が占領下にあった時、検閲官という職業があった。
大卒公務員初任給が300円であった時、月給は700円であった。
能力が高ければ高給を与えられる。
9000円以上になる者もいた。
何を仕事ととしたのか?


通信検閲、つまり手紙や電報、電話を盗み取ること。戦後四年間で郵便二億通、電報一億三千六百万通開封し、電話は八十万回盗聴した。
本書は、主に郵便検閲に携わった人々からの聞き取りを基にしている。
元検閲官に接触したり、自費出版書や同窓会誌などを丹念に当たって個々の証言をまとめたのがこの本だ。

 

本書によれば、1949/10/31の解散時には、全国で5,359人の日本人が働いており、通期での総人数は1万とも2万人とも推測されている。
給与は全て賠償金として日本政府が肩代わりしており、その高額ぶりに驚かされる。
本書の中での1番の高額給与は閉鎖時の1949秋の時点で8,010円で、現在価値に直せば約63,000円となる。
さらに退職金も学生だった人は75,000円も貰っている。同じく現在価値で60万円弱となる。
うどん一杯が150円、小学校教師の初任給が4,000円程度だったことを考えると、一面焼け野原になり、他に職もなく食うに困る混乱期には破格の仕事だったことがわかる。

 

新聞や映画ばかりではなく、手紙も検閲されていたという話はどこかで読んだことがあった。
てっきりそれは日系アメリカ人か日本語を特訓されたアメリカ人がやっているものだと考えていたが、実は末端は普通の日本人だったという話である。
「このCCDの存在は当時も日本人にほとんど知られていなかった」

 

GHQは日本国民の膨大な私信から十通に一通を無差別に抽出し、日本人の動向を探っていた。
日本人または日系二世の検閲官がこれを検閲し、検閲要項に抵触するものは片っ端から翻訳、危険人物と思われる者はブラック・リストに載せ、あるいは逮捕し、場合によっては手紙そのものが没収となった。

 

これは言論および思想の自由を謳ったポツダム宣言に違反する措置であり、GHQ自身の手に成る新憲法にも抵触するような検閲が、憲法公布後もなお数年間にわたって実施されていたのである。民間検閲局こそがこの違法行為の実行者であった。

 

江藤淳は1989年に出した『閉ざされた言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』で「1万人以上の日本人が検閲官として働いていたにもかかわらず、誰一人として経歴にCCD勤務を記載していないと嘆いている」。
この本の筆者は2013年に国会図書館のCCD資料から東京地区の1万4千人のローマ字の名簿を発見する。

 

実名で登場している48名の検閲官のなかには、元衆院議員の楢崎弥之助、元参院議員の久保田真苗、作家の鮎川哲也、妹尾アキ夫、工藤幸雄、原百代、歌人の岡野直士郎(元翼賛会幹部の経歴もある)、学者の甲斐弦、梅崎光生、のちに会社経営者となった児島英一、池田早苗、川田隆など。
著者が厳しく追求したのが死ぬまで口外しなかった劇作家の木下順二である(16ページも費やしている)。

 

木下 順二(きのした じゅんじ、1914年(大正3年)8月2日 - 2006年(平成18年)10月30日)は、日本の劇作家、評論家。代表作に『夕鶴』がある。
日本劇作家協会顧問。伯父は佐々醒雪(俳人、国文学者)。著名な進歩的文化人であった。

東京のCCDは今の東京駅南口の東京中央郵便局にあった。この本にはその1、3、4、5階のどこをどの部署が占めていたかの図面まである。
1枚の郵便検閲の写真には、長机で大量の郵便を前に手を動かす背広ネクタイの男たちに交じり、女性も2、3割いるのがわかる。
元検閲官たちは、その後大企業に勤めたり官僚になったり大学教授になったりしたエリートが多いが、多くはCCDで勤めた経歴を語りたがらなかった。


「同胞の秘密を盗み見る。結果的にはアメリカの制覇を助ける。実に不快な仕事である」「ともかく敗戦後の日本人の思想や動向を占領軍GHQに密告する
言わばスパイみたいな仕事だった」


こうした元検閲官の文章や言葉が並ぶが、印象的なのは劇作家の木下順二の話である。
キノシタ・ジュンジという名前が名簿にあるが本人は公表していない。

監督官としての占領期での行為をアメリカに暴露されれば、彼が戦後築いた、進歩的文化人や作家としての地位や名誉が失われることを恐れて沈黙したのかもしれない。
木下順二のみならず、膨大な数の日本人の一言、一言が占領期の闇を明らかにする。


併せて読みたい
GHQ検閲官 著:甲斐弦 解説:上島嘉郎 経営科学出版2022/1/1
昭和21年(1946年)、占領下の日本であえて米軍検閲官となった英文学者が50年の沈黙を破り、当時の克明な日記をもとに、世相、苦脳と希望、峻烈な米軍検閲の実態などを生々しく描きだした敗戦秘史。

甲斐弦は家族を養うために1946年10月28日から同年12月27日まで(日本国憲法の公布は1946年11月3日)まで福岡のアメリカ軍第三民間検閲局(CCD)に勤務した。本書は、ポツダム宣言を蹂躙したアメリカ軍の検閲に協力した日本人自身がその検閲の実態を戦後生まれの日本国民に伝える貴重かつ稀有の回想録である。