天皇の起原―林房雄コレクション〈2〉 2002/林 房雄 (著)夏目書房 大谷翔平の、その「無私性」に注目したい。

天皇は私どもの目の前に現存する大きな謎である。日本の謎であり、世界の謎である。この謎を解くための学問的努力は、戦後にかぎらず、明治時代にも江戸時代にも繰りかえされてきた。さかのぼれば、古事記日本書紀も謎解きの書であったと言える。天皇制の盛衰と変形、その謎めいた存続と発展を語る時には、まず、その「起原」を知ることが必要となろう。

日本人が考えねばならない最後の難問-天皇。著者渾身の書が今ふたたび甦る。昭和63年天山出版刊「天皇の起原」、昭和46年光文社刊「神武天皇実在論」を再構成。島田雅彦富岡幸一郎の対談も収録。

 

光文社刊「神武天皇実在論」はすでに読んでいたが、「天皇の起源」は初めてである。
各ページに名言、箴言となり得る表現が多く、付箋だらけになった。


科学主義と唯物史観には否定の快味がある。
自然と社会の事象全般を公式によって、手っ取り早く割り切り、割り切れぬものはこれを人類の進歩に有害なものとして否定し、破壊しようと試みる。

 

↑すべての反日バカサヨクへ当てはまる。


名著「大東亜戦争肯定論」の中で、著者は、明治維新以来の天皇制は、欧米白人勢力に対抗してやむを得ず、生み出されたもので(著者の言葉でいうところの、武装天皇制)、それ以外の日本の歴史においては、天皇は文字通り、象徴として穏健平和をむしろ代表していたと述べている。

 

400年前、モンテーニュは「随想録」の中で、

「1560年頃、モンテーニュはある航海者に連れられてきた3人のブラジル・インディアンにルーアンで出会った時、「お国の酋長の特権はどんなものか」と尋ねた。自分も酋長であったインディアンの一人が答えて言うには、「それは戦争のときに先頭に立って進むことである」と。モンテーニュはこの高潔な定義に感嘆して、「随想録」の名高い一章の中にその話を詳しく述べている。」

 

400年後、フランスの文化人類学者、レヴィ・ストロウスが著作「悲しき熱帯」の中で、

 

「しかし、あれから4世紀のあと、私もまた、ブラジル・ナムビクワラ族の酋長から同じ返答をされて、驚きと感嘆を久しくしたものだ。文明国は、政治哲学にこれほどの確固不動のものを持ってはいないのではないか!」

 

あとは言うまでもなく、「それは戦争のときに先頭に立って進むことである」ことと、我が国の武装天皇制は同じであるということだ。


ここでちょっと閑話休題、第6章 無私の天皇/111を読んでいて、私に浮かんだのがあの大谷翔平である。

野球に全然興味がない私が、おや? この人はちょっと違うぞ、と感じはじめたのは、大リーグ・オールスターのホームラン競争の賞金を、スタッフに分け与えたというニュースを聞いた時だ。

 

それで今回、ドジャースと契約するにあたり、1000億もの巨額契約金のほとんどを後払いにするとか、6億円を費やして全国の小学校にグローブをプレゼントするとか、かれの「無私性」が際立ってきている。

 

単なる東洋人ではない。シナ人とも、ましてちょうせんじんとも違う属性、「全き無私の日本人」を体現してる。
そこが何より嬉しい。

 

6年間、エンジェルスでプレーしてMVP2回受賞。
30歳を前にして殿堂入りは確実だろう。
凄い野球選手が現れたものである。

 

かつて、マッカーサーが「天皇ひとりに二〇個師団の兵力に相当する」と言ったが、大谷翔平は今後10年、ロサンゼルス・ドジャースで大活躍するだろう。
プレーへの興味もさることながら、彼がどんな「無私性」を出してくるかにも興味がある。

 

無私性は崇高である。
あの七人の侍が世界中に感動を与え続けているのもその無私性である。

 


目次/2
序章 世界の謎―天皇/9
第1章 太古の日本列島/15
第2章 原始信仰と日本民俗学/35
第3章 天皇とシャーマン/45
第4章 呪術・宗教・科学/67
第5章 フレイザーとベネディクト/87
第6章 無私の天皇/111
第7章 神話と歴史/137
第8章 戦後派歴史家の天皇論/159
第9章 三島由紀夫天皇観/191
第10章 天皇大嘗祭の秘儀/241
第11章 天皇と宗教/261
あとがき/295

 


当時、広島市総務課長だった小野勝氏が次のように書いている。
「水を売ったような静けさも御言葉が終わると同時に破れた、ドッと上がった万歳の声、再び飛ぶ帽子、舞うハンカチ、溢れる涙、
こんな国民的感激を、こんな天皇と国民との感情の溶け合いを、何時、何処で、
誰が味わったであろうか」(小野勝「天皇と広島」広島文化社S24年)
 天皇巡幸  全国を巡幸中の昭和天皇被爆地の広島市を訪問した。護国神社跡広場を埋め尽くした7万人の市民は
人間宣言をした象徴天皇を万歳で迎えた。帽子を振って応えるその先は爆心地方向で、原爆ドームが見える。
右は広島県商工経済会ビル=1947(昭和22)年12月7日 https://ironna.jp/article/1303?p=2


昭和天皇 地方ご巡幸 https://www.youtube.com/watch?v=GKJdH_z5qJs 69,677 回視聴 
戦後復興のミラクルはこの御巡幸にあると思う。何もかも焼き尽くされた国土に立つ国民は何を頼りに生くべきか。そんな時代であったと思う。 
昭和天皇にはこの国土を蹂躙したアメリカに憎しみこそ感じても、国民のことを思うと、自身が犠牲になれば国民が救われるならと言うお気持ちで 
マッカーサーに食糧調達を願い出た。
このような元首が他に存在したであろうか。
この国は天皇がおわす国なのだと言う誇りを改めて胸を刺した。


昭和天皇マッカーサーの会見を通訳官が証言 The testimony of the interpreter
512,953 回視聴 chiwassu3923  2009/07/02 に公開
"Emperor Showa and MacArthur"The testimony of the interpreter 1945年9月27日、