群馬県伊勢崎署占拠・小林多喜二奪還事件資料集 徴兵忌避の研究 (1977年) 菊池邦作より

2023-05-25
徴兵忌避の研究 (1977年) 菊池邦作 立風書房 不思議……参考文献に「笹まくら」が、ないのは何故?
私にとって、徴兵忌避といえば、「笹まくら」をおいてほかにはない。

 

↑過日、5/25に私はこう書いて、徴兵忌避の研究 (1977年) 菊池邦作を取り上げた。
 あれから、ネットを漁っていて素晴らしいPDFサイトを見つけたので紹介したい。


﹁伊勢崎署占拠・多喜二奪還事件﹂資料集
isesakitakijisai.com
http://www.isesakitakijisai.com › shiryoshu1_2
PDF
菊池邦作﹁著者略歴﹂. ︵. ﹃徴兵忌避の研究﹄所収、. 1977. 年︶. 5. 新資料. 村山知義﹁多喜二の思い出﹂. ︵. ﹁東京芸術劇場公演パンフレット﹂所収、.

 

なかなか感動的なPDFだ。
なにせ、1899年、群馬県伊勢崎市生まれ。1931年、小林多喜二村山知義(傑作、「忍びの者」の作者)らとともに検挙され、同署占拠事件のきっかけとなったというバリバリの筋金入りの共産党員である。

 

日本共産党の起こした騒擾事件一覧のようなもので見たことはあったが、詳しくは知らなかった、群馬県伊勢崎署占拠・小林多喜二奪還事件。
 当時の新聞記事を拾いつつ、解説を加えている。
 こんな事件であったのかという驚きである。

 

小林多喜二奪還事件
1931年9月6日群馬県佐波郡伊勢崎町(現伊勢崎市)で行われた文芸講演会に全日本無産者芸術連盟(ナップ)が講師を派遣し、小林多喜二村山知義中野重治が行ったが、官憲は事前に検束してしまった。民衆が伊勢崎警察署を包囲し、抗議、占拠、乱闘のすえ、両者の交渉がもたれ、検束者全員の釈放が実現し、しかも抗議団に逮捕者はなかった。治安維持法下であり得ない事件として注目を浴びている。


ナップ系文士、奪還で乱闘
伊勢崎署内で警官隊と

双方十数名負傷す

【伊勢崎電話】群馬県伊勢崎市において予定さる無産講演会に出席の途次、伊勢崎署に検挙された小林多喜二村山知義中野重治を奪還するべく、7日午前2時、伊勢崎の無産青年約50人は、途中デモを行いつつ、歓声を挙げて伊勢崎署内に乱入。
かねて待ち構えたる警官40名と、衝突し、殴る蹴るの大乱闘を演じた。


この記事は初めて紹介される記事です。情報源でしょうか、「伊勢崎電話」とあります。不正確な表現もありますが、「大乱闘」を「伊勢崎署内」として、 「石に交って帽子、下駄が乱れ飛び、なぐる蹴る」と修飾されています。不正確な表現もありますが、全体を講師の「奪還」と規定しています。
また、国際無産青年デーと関連付けているのも興味深い点です。
おそらく、本事件をを県外に伝えた最初の記事でしょう。

 


2  菊池邦作「伊勢崎署占領事件」 ( 『随筆柿』所収、1967) 蚕糸絹情報社
伊勢崎署占拠事件
ーー小林多喜二の思い出ーー

 

蚕糸絹情報社というのは菊池邦作氏が当時経営していた、蚕糸絹情報の業界紙

実に事件の36年後に自分の経営している業界紙の隅でチョコっと触れているというのが

何とも感動的で、皆さんにも紹介したかった次第。

 

「私は毎年、3月15日記念日が近づくと必ず小林多喜二のことを思い出し、伊勢崎署占拠事件を回想する。
(3月15日記念日とは、特高の拷問で亡くなった小林多喜二築地小劇場での労農葬のこと?)

私は小林多喜二とは一度しか会っていない。
だからいま、仮に多喜二が生きているとしても、私の顔も名前も覚えてはいないだろう。

しかし多喜二もあの事件だけは忘れてはいないだろう。
それは、私たち古い仲間の間で、「伊勢崎署占拠事件」と呼んでいる、戦争前としては常識上ちょっと想像もできないような珍しい事件だからである。
なにしろ、警察の不当弾圧に激昂した民衆が、警察署を占領し、座り込み、一時は署長以下全署員を警察の建物外に追い出してしまったという事件である。」

 

 

小林多喜二の場合、蟹工船より、「党生活者」を推したい。
きびきびした短い歯切れのいい文体。日本のハードボイルド小説の嚆矢、完成形として小林多喜二を読んだ。


ここで終われば、むかしいろんなことがあったね、
幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました  中原中也
というところであろう。


ヨーロッパではすでに滅んで名前を変えて細々と生きているのに、日本では凋落したとはいえ、痴ほう議員もたくさんおり、おまけに国壊議員も10人もいて、
反日テロ集団が白昼堂々と活動している。

共産党は国会議員の数以上に日本社会に隠然たる力を持っている。

 

反ダム、脱ダムサヨク。反原発サヨク
自治基本条例から男女共同参画:予算9兆円!!外国人参政権夫婦別姓
ヘイトスピーチ規制法、アイヌ噓ポイ、女系天皇
生活保護の口利き。
日本学術会議
一番許せないのは、質が悪いのは、議員会館に隣国の従軍慰安婦を呼んできて、内外のマスゴミを招集、ばばあどもの言い分を一方的に聞いてさも大日本帝国に非があったかのような行動を行っていることだ。
こういうのは、誰か辞めさせないといけないと強く思う。

 

↑どれもこれも日本を破壊しようとするものばかりだ。とても正気とは思えない。


日本共産党の研究 (2) (講談社文庫)/立花 隆より、

蟹工船の時代
 ベールに包まれていた宮本の暮らしが明らかになったのはこの後である。
権力を掴んだ宮本は共産党内で完全な独裁者となっていたが、その生活もまた
独裁者のそれであり、衣食住の全てに及んでいたことが判明した。

 まずは衣であるが、これは宮本の着ているもののブランド志向である。
ネクタイはイタリア製、靴はフランス製の特定ブランドのみと定められ、
その購入のためだけに党員がヨーロッパに派遣された。
その当時、赤旗新聞は日本人の過剰なブランド志向に警鐘を鳴らす記事を
載せていたが、自分のところのトップのことは何も触れなかった。

 食についても同様で、好物のウナギは常に銀座の特定の店のみ。
間違えてもサラリーマンが昼食に気軽に入れるようなものではない高級店である。

 また、宮本を訪問する際に手ぶらで行くことは許されなかったが、その手みやげは
宮内庁御用達以外は門前払いされた。そして、皇室が好んで食しているとされる食事を
用意することが宮本をもてなす絶対条件となっていた。

宮本の食については他にも逸話が残っている。
 共産党の党大会は伊豆で開かれることが多く、そこにある共産党の施設には
食堂も宿泊機能もついている。
 そこは共産党内の身分において明白に差別化されていた。
 出される食事に目を向けても、ヒラの身分で党大会に出る中央委員と比べ、
その一つ上の幹部会員となるとオカズが一品増える。その上の常任幹部会員は
さらに一品追加され、その上に立つ宮本はただ一人鯛の刺身が付いてくる。
その日の朝、熱海の魚屋に出向いて仕入れたその日いちばん大きな鯛で、
宮本が食べる前には宮本のボディーガードが毒味をしてから
 宮本が箸を付けるという仕組みである。
まるで江戸時代の大名のようなことを宮本はやっていた。

 宮本がそのために呼び寄せた帝国ホテルの料理人は、自分が料理人として
やってきた中で、組織の中の身分で出される料理にここまで露骨に差を設けるよう
要求されたのは、日本国内では共産党だけだったと述懐している。

 

そして、住であるが、これもまた独裁者のそれである。
 多摩にある宮本邸は千坪の敷地を誇り、出入り口は常に共産党のガードマンが配備され、「数名の秘書、十数名のボディーガード、専属の医師、看護婦、保健婦に囲まれて
生活(袴田里見『昨日の同志宮本顕治へ』)」していた。

 伊豆に建てた別荘は二棟あり、それぞれ夏用と冬用の別荘として利用された。
 乗用車はトヨタに特注した専用の高級車を愛用した。
 どこへ行くにも自分専用の料理人が同行した。

 

 後に参議院議員に立候補し当選するが、国会に出るのは年に一度のみ。
それで居ながら国会から歳費が支払われ、年金も手にする。その上、共産党からの
給与もかなりの高額であり、推定でも年に3億円以上の収入があった。
しかも、その収入は闇から闇へと移され、税金はほとんど納めることがなかった。
一説によると、宮本が納めた税金は消費税だけであったと言われている。

 これが『庶民の味方』を標榜する共産党トップの暮らしである。
共産党が打倒せよと日々訴える特権階級のそれでもここまではいかない。


かつて私が、共産党批判スレでこれを貼ったら、共産党員?が志位は公団住宅に住んでるという反論があったが、
志位は公団住宅に住んでるかもしれないが、不破はどうなんだと言いたくなる(笑)。


こいつら、言ってることと、やってることがぜんぜん違うってのが問題!!!!  いい気なもんだぜまったく 党員ども、この粗悪生ごみをどうにかしたら(笑)

不破氏が七加子夫人名義でこの土地を購入したのは昭和六十年。 
 広さは三千二百六十五平方メートル(約九百八十八坪)。 
 昭和六十二年には所有権がすべて不破哲三(本名の上田建二郎)氏に移転。 
 広大な土地の上に、四棟の建物が建築され、 
その一つは書庫兼不破氏の趣味である郷土玩具の陳列室として使われている。 

 問題はそのうちの二棟。木造二階建ての居宅および車庫の名義は、共産党の所有となっている。 
 私有の土地の上に、党が建物を建てるという、極めて公私の別がない形になっているのだ。 
この建物に「不破氏の秘書、ボディーガード兼運転手、料理人が常駐していた」(党関係者)という。 

●【悲報】共産党の親玉・不破哲三の自宅が豪邸すぎる件www(家画像あり)
近くの小学校と同じ広さ!!!!
https://twitter.com/manaka933/status/1056475095449759744/photo/1
志位と小池晃の親分の不破哲三相模原市緑区に1000坪の土地にお手伝いさんを 
住まわせ、毎年1000万円の印税収入を得て、かつ敷地内の植栽は代々木本部から 
業者が剪定や除草などの作業に来る。ロボット党員は読みもしないのに不破の分厚い 
著作を買わされて、金を浪費している。こんな赤い労働貴族が日本に存在できるんだ。 
 しかも、いまやってるかわからんが古民具の博物館も併設されてた 博物館付きの豪邸!!!!! 

12: 2016/07/10(日) 23:17:21.45 id:Z6Bha0dH0
格差ハンパねえwwwwwwwww

41: 2016/07/10(日) 23:25:28.72 id:ExpbWoZF0
こんな家に住めるなら専従職員の給料なんとかしてやれよ

77: 2016/07/10(日) 23:34:25.02 id:oprBpGYS0
幹部だけが利益を独占してて待遇がちがうとか暴露本あったな。