日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか 2016 矢部 宏治 (著) 集英社 ベストセラーになった前作(『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』)を、はるかに上まわる衝撃の事実! 日本の戦後史に、これ以上の謎も闇も、もう存在しない
この本には、日本国民のみなさんが知ったら、卒倒しかねないことがたくさん書かれています。しかし、それらはすべて、公文書にもとづく疑いようのない事実なのです。
なかでも驚かされるのは、1950年6月の朝鮮戦争・勃発以来、アメリカの周到な計画のもとでむすばれた数々の条約や協定が、わたしたち日本人の知らないあいだに、次のような恐るべき密約を成立させていたという事実です。
戦争の脅威が生じたと米軍司令部が判断したときは、すべての日本の軍隊は、アメリカ政府によって任命された最高司令官の指揮のもとに置かれる。
これが本書のテーマである「指揮権密約」という、アメリカがもつ巨大な法的権利の正体であり、日本が負う巨大な法的義務の正体なのです。
↑だそうである。レビューをみると、反響もかなりのものみたいだ。実はこの本、友人にお前読めと貸されたものだ。
朝鮮戦争がアメリカの方針転換の根本であることは著者の認識に同意する。
いわゆる「逆コース」である。
アメリカは軍事的に日本をぎゃふんと言わせることに成功したが、日本を倒してからやっとのこと、共産主義の恐ろしさに気づいた(朝鮮戦争勃発)という笑えない喜劇である。ならばなぜ遡っていわゆる「大東亜戦争」も正しかったという認識に至らないのか不思議で仕方ない。
2/27に取り上げた、「敗戦は罪なのか オランダ判事レーリンクの東京裁判日記 三井 美奈 2021 産経新聞出版 “第2のパル"が見た日本人と「勝者の裁判」」の問題意識である。
レーリング判事が裁判後に語ったこと。
「手続き上にも問題がいくつかあり、不公平な点がありました。一例をあげると、中国における共産主義の脅威があった事を立証する機会を与えてほしい、との求めが被告側から出されました。そうした脅威があった為に、日本は行動を起こしたと立証しようとしたのです。
ドイツの場合は、ヨーロッパ大陸での大国になろうとして戦争に突入していったのですが、日本は、これとは違います。結局、裁判では、立証の機会は認められませんでしたが、アンフェアだったと思っています。」
冒頭、鳩山由紀夫が唐突に出てくる。
「あなたが矢部さんですか。すごい本を書きましたね。後略」
「よく考えてみると、鳩山さんは、ご自身は首相を経験され、しかもスタンフォード大学の博士号を持つという日本のほんとうのトップエリートです」
嫌な予感しかしなかった。
よく調べている。知らないことも多かった。
フランク・コワルスキーの名著も書棚から引っ張り出して再読する機会を与えてくれた。
ただ、もっともっとさかのぼって悪事が隠されていないかという疑問がわいた。
たとえば真珠湾攻撃の際の日本大使館の開戦通告遅れという問題。
誰も言わないが、あの緊迫した時期に日本大使館の三等書記官・寺崎英成(マリコ・テラサキ・ミラーの父親)がブラジルに転勤というところがまずおかしい。
転勤のための送別会がワシントン市内の中華レストランで行われ、大使館員のすべてがそれに参加して開戦通告が遅れたという。
それでは、転勤の辞令を出した人間が一番怪しいと考えないのか不思議である。
そう考えると、吉田茂というのがひとつキモであると思える。スワンソングループで検索
なぜそう言えるのかというと、開戦通告遅れという日本国、日本国民に対して申し開きのできない不始末をしでかした奥村勝蔵、井口貞夫のご両人がそろって出世しているからである。
出世させたのは吉田茂をはじめとする×××グループ(日本の参戦を喜ばない勢力)だと思う。日本の戦争開始を妨害したかった勢力が確実にいたと思う。
ただ、吉田茂は怪しいと思っているが、岸信介、佐藤栄作と共に、悪役にされていることには納得いかない。
戦争が終わった時点で、朝鮮戦争が始まった時点で、吉田茂の判断は決断は圧倒的に正しい。
「指揮権密約」という、アメリカがもつ巨大な法的権利を認めて、アメリカに居座ってもらうということにしたのだ。
「思いやり予算」も正しい判断だ。
核武装国に囲まれて(最近、韓国も核武装したいとほざいている)、親日じゃない国に囲まれて、この著者は日本をどうしたいのか。
中国は、東京オリンピックをボイコットしたうえで、会期中の10月16日、狙いすましたかのように、同国初の核実験を行った。昭和天皇の開会式辞にきっちり合わせたともいわれる。「政治とスポーツは別だ」と中国は言う。その中国は、平和の祭典であるオリンピックをあざ笑うかのように、東京五輪開催中にあえて核実験に踏み切ったのだ。
アメリカはアメリカ兵捕虜が12名いるのを知って、広島に原爆投下して味方を焼き殺した。 長崎には4名いた。
シナが日本に躊躇するわけがない。
解決方法として、2つあると著者は言う。
1憲法改正によって米軍を完全撤退させた「フィリピン・モデル」
2東西統一とEUの拡大によって国家主権を回復した「ドイツ・モデル」
1番目には大いに笑わせてもらった。と同時に、著者は意外に誠実でないという印象を受けた。
なぜなら、アメリカ軍基地を撤去させることに成功したフィリピンで何が起こったかを著者は知らないはずがないからだ。
敢えて書かない。読んだ方は検索してほしい。フィリピン スービック基地
良い子は騙されてはいけない。
併せて読みたい
「日本再軍備・米軍事顧問団幕僚長の記録」 フランク・コワルスキー 中公文庫
「開戦神話・対米通告はなぜ遅れたのか」 井口武夫 中央公論新社
↑開戦通告遅れという不始末をしでかした日本国大使館員・井口貞夫の息子さんが書いた興味深い本。当時、著者は5歳。当時の雰囲気を感じ取れるのは貴重だが私の疑問には答えられていない。