「民間が所有する中央銀行(主権を奪われた国家アメリカの悲劇)」(ユースマス・マリンズ)秀麗社 (1995/7/1) 合衆国の中央銀行の陰謀に包まれた起源を明らかにし、同時に、それは世界的なシオニスト帝国主義とテロリズムの基本的な道具であるという事実を公開する。秘密にされた強力な連邦準備制度について記した唯一の歴史書。

今回は「陰謀論」について取り上げたい。
もちろん私の立場は、それは歴然とある。まずはこの本を読みなさいというものだ。
「日本の読者の皆様へ」とのまえがきがすべてを語る。

 

エズラ・パウンドは第2次世界大戦中にラジオ放送を通じて告発を行ったがゆえに、合衆国に対する「反逆罪」の嫌疑をを受けたのです。
アメリカ国民は日本国民にまったく不満はない。
日本と戦争しているのは、アメリカ国民がユダヤ帝国主義の道具として知らないうちに使われているためである。とパウンドはラジオを通じてアメリカ国民に訴えたのである。ユダヤの経済帝国主義がドイツと日本という自由な国家の挑戦を受けたとき、合衆国国民はだまされてユダヤ世界帝国主義のお先棒としてドイツと日本を攻撃し侵略したのである。」

「捕縛者たちが定める「政治犯」を訪問する許可を受けるための「嫌疑を晴らした」のちに、私はエズラ・パウンドを初めて訪問しました。
そのときパウンドは、連邦準備制度を調べるために議会図書館に行くよう私に依頼したのです。
連邦準備制度とは、私がそれまでにまったく聞いたことのない秘密裡に運営されてきた銀行でした。銀行業はもっとも退屈な専門的職業とみなされています。そして私は、銀行口座をもったことのない一文無しの芸術専攻の学生でした。
しかしながら私は、調査のまさに初っ端に、連邦準備制度は世界で最も金持ちの銀行家たちがジョージア州のジキル島の隠れ家である辺鄙なクラブに集まり陰謀的な会合を開いたことに端を発することを発見したのです。」

 

エズラ・パウンドウィキペディアをみると、この資料も役立たずなのがよくわかる。
肝心なことが書かれていないのだ。
エズラ・ウェストン・ルーミス・パウンド(Ezra Weston Loomis Pound、1885年10月30日 - 1972年11月1日)は、詩人、音楽家、批評家であり、T・S・エリオットと並んで、20世紀初頭の詩におけるモダニズム運動の中心的人物の一人だった。
戦争終結間近、パウンドはピサ郊外のアメリカ合衆国陸軍拘留キャンプに投獄され、25日間にわたり開放獄舎に留置された後、テントを与えられた。
ここで彼は精神衰弱であったとみなされた。
戦後、パウンドは、アメリカに送還され、反逆罪による告発を受けた。彼は、精神障害を理由にして裁判を受けるのに適さないと判断されて、ワシントンD.C. のセント・エリザベス病院 (St. Elizabeths Hospital) に収容させられた。彼は、1946年から1958年までの12年間を、この病院で過ごした。

 

「彼は私が議会図書館で入手した資料を編集し、まもなく私たちは一冊の完成した本を作りました。アメリカのどの出版社も、銀行家たちによる報復の恐怖のために、その本を出版しようとはしませんでした。
1953年に私たちは少額のお金を工面し、ニューヨークで2000部の普及版を印刷しましたが、それは直ちに売り切れました。
以来、どこにも批評されず、広告されず、ほとんどの本屋が取り扱わなかったにもかかわらず、これまでに印刷して売れた部数は100万部以上に上ります。」
1995年3月9日 ユースタス・マリンズ

 

ものすごい労作、力作で、いわゆる「血で書かれた本」です。この本が書かれた経緯がスゴイです。「中央銀行」と聞けば誰しもが公的機関と思いがちであるが、タイトルにあるように実態は民間が所有していおり、如何にしてそのようなことが
可能となったのか、またそれが実現したことによってどのようなことが行われているか、について詳細に述べられている本である。
やはり、ケネディ大統領暗殺は、「通貨発行権」をFRBから政府に取り戻そうとして、暗殺された説が有力だと思います。

 

併せて読みたい 国防長官はなぜ死んだのか -フォレスタル怪死と戦後体制の大虚構- (発掘!アメリカの嘘)  2005/11/24 成甲書房
 コーネル・シンプソン (著), 太田 龍 (著), 佐々木 槙 (翻訳)
1949年5月22日、ジェームズ・フォレスタル初代国防長官がベセスダ海軍病院の16階の窓から落ちて死亡した。彼の死は「自殺」と発表された。1957年5月2日、ジョセフ・R・マッカーシー上院議員がベセスダ海軍病院に短期間入院したあとで、通常は死に至らない病気により死亡した。1963年11月22日、ダラスを車列でパレードしていたケネディ大統領はリー・ハーヴェイ・オズワルドに銃撃され死亡した。フォレスタル、マッカーシーケネディの生涯と突然の死には、数多くの偶然の一致と皮肉がある。
フォレスタル国防長官の自殺事件を執念の取材で追い、ついに本書を書き上げたが、その衝撃的な内容のため完成後17年間刊行することができなかった。