朝鮮戦争論――忘れられたジェノサイド (世界歴史叢書) 2014/ブルース・カミングス (著), 栗原泉 (翻訳), 山岡由美 (翻訳)明石書店 「迫りくる難民7500万人発生の恐怖…」

アメリカによる第二次世界大戦後の武力干渉のなかで、「最も」破壊的であった朝鮮戦争。この戦争はアメリカが世界の警察官へと変貌するきっかけとなった。アメリカ政界の事情や朝鮮半島の政治状況の経緯を凝縮して語り、「忘れられた戦争」の真実を抉り出す。

 

普段なら読まないで通り過ぎていく本だ。アメリカの反日バカサヨクとして著名なシカゴ大学のブルース・カミングスの著作である。
相も変わらず、「従軍慰安婦」とか性奴隷とかいうおぞましい言葉遣いが見られる、まあとにかく精神衛生上、日本人は読まなくていい類の本である。
「謝辞」をみると、日本人ではひとりだけ、和田春樹が載っている。こいつは本格的にダメや(笑)。

 

一例だけ、コピペで反論してみると、「それはまさにこの植民地の歴史上、最も耐え難い圧政が行われた時代であった。朝鮮人朝鮮語を話さないようにと命じられ、改名を強いられ、数百万の朝鮮人が使い捨てにされたのだ」

 

↑はい、大嘘確定 

 

奥野 誠亮(おくの せいすけ、1913年(大正2年)7月12日 - )は、日本の内務官僚、政治家。 「おくの せいりょう」と呼ばれることもある。 

かつて自民党総務会で、野中広務が「創氏改名朝鮮人が望んだ」と発言した麻生太郎を糾弾したことがある。 
そのとき奥野が「野中君、君は若いから知らないかもしれないが、麻生君が言うことは100%正解だよ。朝鮮名のままだと商売がやりにくかった。そういう訴えが多かったので、創氏改名に踏み切った。判子をついたのは内務官僚、この私なんだ」と言ったら、野中はそこで中座して出ていってしまった。 
横で聞いていた野呂田芳成は「いや、奥野先生、今日はホントにいい話を聞かせていただきました」と感激していた。 
ソース:「別冊正論」 第一号 http://www.sankei.co.jp/seiron/etra/no01/ex01.html 
〈覆面座談会〉全国紙政治部記者・月刊誌編集者・週刊誌記者 

 

「数百万の朝鮮人が使い捨てにされたのだ」

 

↑呆れたことにこれも大噓確定  こんなに短いセンテンスに2つも大嘘があるってどういことよ、こいつ、終わってる…

 

https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/06/07/022212?_gl=1*3ehwez*_gcl_au*ODYwMTM3NzQwLjE2ODQ4Mzc0MjQ.&_ga=2.4335539.1225186090.1677058418-1518550015.1677058418
2023-06-07
検証 日本統治下朝鮮の戦時動員1937-1945 2014/ブランドン パーマー (著), Brandon Palmer (原名), 塩谷 紘 (翻訳)草思社  韓国近代史の空白領域に挑む少壮のアメリカ人学者の勇気 強制連行ではなく日本統治下の戦時動員は「志願制」だったという客観的事実

 

ではなぜ、この本を取り上げたかといえば、アチソンとジョージ・ケナンを比較して論じているところが目についたから。
あとひとつは、サブタイトルに書いた「迫りくる難民7500万人発生の恐怖…」がいよいよ近づいてきたと感じるからである。

 

ジョージ・フロスト・ケナン(英: George Frost Kennan、1904年2月16日 - 2005年3月17日)は、私が最も尊敬するアメリカ合衆国の外交官、政治学者、歴史家、現実主義者の知識人である。「対ソ封じ込め」を計画立案した日本でいえば、石原莞爾のようなすごい人である。

 

アメリカは戦う相手を間違えていた■  

ソ連第2次大戦中の日本敵視政策のままであったのに対し、 
アメリカは明らかに対日認識を変えていたのである。1949年12月に蒋介石は台湾に逃れ、中国大陸は共産主義の手に落ちた。

1950年6月には、北朝鮮の侵攻により朝鮮戦争が始まり、 
10月には中国が加担して、アメリカを中心とする国連軍と激しい戦闘を繰り広げた。 

 この頃、(朝鮮戦争時)アメリカでは、"We fought the wrong enemy." 
(我々は戦う相手を間違えていた)という言葉が人口に膾炙していた。 
日本と戦ったのは誤っていた、という認識である。 
日本を大陸から駆逐したものの、アメリカは共産主義勢力に中国大陸を奪われ、 
さらに朝鮮では自ら血を流して戦わなければならない羽目に追い込まれた。 

 

戦後、米国国務省の要職についたジョージ・ケナンはこう主張して、 
ルーズベルト政権がとった「ソ連と協力し、日独を叩く」という政策を根本的に批判した。
日本が戦前果たしてきた共産主義の防波堤という役割を、日本を駆逐したために、 
アメリカが自ら担わなければならなくなった、という反省である。 

 

2013/12/27【政治】バカオバマ民主党政権、安倍首相に靖国参拝見送りを要請していた★2 ← 国賓として異例 ミッシェル夫人来日せず ←アメリカのバカリベラル

 

「今日われわれは、日本人が韓満(朝鮮、満洲)地域で半世紀にわたって 
直面し背負ってきた問題と責任を自ら背負い込むことになったわけであります。 
他人が背負っている時には、われわれが軽蔑していた、 
この重荷に感じるわれわれの苦痛は、当然の罰であります。」 ジョージ・ケナン

 

2013/12/27【政治】オバマ米政権、安倍首相に靖国参拝見送りを要請していた★2←ミッシェル夫人国賓として異例・来日せず←恩知らずのニガーはこなくていい!!!

 

アメリカの単細胞がすべてわるい…

 

日本の満洲国建設を、アメリカも後押しすればよかったのに、それがボタンの掛け違いでアメリカが邪魔したものだからそこからすべての混乱が発生している。日米の反日バカサヨクどもが忘れていることだ。

 

また韓国が経済混乱に陥り、100兆円のスワップが再開されると聞く。
これが何を意味しているかといえば、韓国という国は経済的に自立できない国だということだ。


 レコードチャイナ 2017年 11/8 
国籍を捨てる韓国人が急増、移民先は米国や日本が人気  =韓国ネット「当然だよ」「韓国が最高の国なのに…」 

7日、韓国・ヘラルド経済は「ヘル朝鮮を脱出する人が増加していることが統計でも確認された」と伝えた。 
 韓国の移民政策研究院が7日に発表した資料によると、  過去10年間で韓国国籍を離脱した人の数は22万3611人に上る。 

 韓国国籍離脱者数 2007年 2万3528人 
・・・ 
2015年 1万7529人(?減少傾向) 2016年 3万6404人(?2倍に増加) 


山本れいわりっけんそうかきょうさん信者よ、わが日本をこんなふうにしたいんか??  ええ??

韓国の絶望社会。苦しみもがいて経済地獄に堕ちて行くだけ @DARKNESS2013年8月8日木曜日  http://www.bllackz.com/2013/08/blog-post_8.html 
大学を卒業して、就職できるのがそのうちの51%だけだとしたら、それは正しく機能している社会と言えるだろうか。 
いや、これはかなり不幸な社会であると多くの人が見なすだろう。韓国は今、そのような社会となっている。 
 韓国の大学進学率は84%で非常に高いのだが、必死になって大学で勉強しても卒業したら働けない。働く場所がない。 
 社会に出た瞬間、半数の若者が生きていけない。それが、韓国という国の実情である。 では、就職できた人々はきちんとした賃金を得ているのか。いや、韓国の労働者のうち、半数近くが最低賃金以下の給料で働かされているという。 韓国の物価は、日本とほぼ同じであると言われている。しかし、大学卒業して就職できた人たちの
ほぼ半数が6万5000円程度の給料しかもらっていない。しかも、韓国ではそのなけなしの賃金ですらも、未払いに遭ったり、
いきなり削減されたりするケースが相次いでいると言われている。 

 

■まさに絶望社会と言うしかない韓国の深刻な状況 

では、きちんとした大企業に就職できた者は勝ち組になるのかというと、それがまったくそうではない。 
 土曜日の出勤は当たり前で、中小企業ではボーナスなしのことが多い。さらに、セクハラやパワハラは当たり前の社会風土でもある。過労死も増えている。 
こういった苛酷な状況に耐え抜いても、韓国の多くの企業では、40歳が実質的な定年であると言われている。 
 韓国の企業は法的には55歳で定年だ。しかし、それは表向きの話で、多くの人は40歳になればリストラ対象になり、実際にいろいろな手口で会社から放り出される。 
40歳で実質的な定年なのだから、尋常な社会ではないことが分かるはずだ。韓国人の平均寿命は約80歳だから、まだ人生が半分残っているのに、もう人生の岐路に立たされる。 

 

必ずや、経済破綻国家から、ただの「破綻国家」へ移行していくものとみられる。
「迫りくる難民7500万人発生の恐怖…」というのは大げさではない。


朝鮮戦争と日本の対応 ――山口県を事例として――
http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j8_3_03.pdf
そのようななかで最も重要な事案のひとつが、昭和天皇の御巡幸であった。1947年秋、宮内府から山口県に、同年12月1日から5日間天皇山口県を回られるとの通達がなされた。当時山口県は、後述するように在日朝鮮人
をめぐって治安が悪化しており、かつ反天皇感情から北朝鮮系のグループによる天皇暗殺計画の情報ももたらされていた。
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山口県庁は、「朝鮮情報室」を設置、朝鮮半島の情報収集に尽力していたが、1950(昭和25)年になると、情勢が緊迫しているとの情報分析結果が出た。そのため、危機感を感じた田中知事は、上京を決断、6月21日大磯に吉田茂首相を訪ね、「どうもこのままでは、有利な北朝鮮が侵攻する可能性が高いから、何とかして下さい」と報告したところ、吉田首相は、「3日前に38度線を視察したジョン・フォスター・ダレス特使(のち国務長官)が、帰途日本に立ち寄り、
『米軍の指揮は旺盛で、装備も充実しており、決して心配ない』と言ったばかりだ」と怒り出したのであった(20)。

 

それからほぼ1週間後の1950(昭和25)年6月25日、田中知事の予想通り北朝鮮軍の南進によって、朝鮮戦争が勃発した。
その頃、外務省から、「韓国政府は、6万人の亡命政権山口県に作るということを希望している」との電報が入り、
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それらの施設、宿舎等遺漏なきようにということであった。当時山口県は、県民分の米の配給も、半月以上欠配し、さらに軍人の復員、下関などからの引揚げ者が増えつつあり、6万人分の食料を確保するのは困難であった。そのため、田中知事は、
再度久原を通して、GHQ山口県の実状を伝えさせたりした(24)。しかし、9月16日国連軍が仁川に敵前上陸を敢行した
ことにより、戦局は大きく逆転することになり、亡命政権構想も消えたのであった。

 

反日の顛末、末路 ぜったい、こういうふうになる。防がなければ…
かならず、下関か博多に10万人規模の亡命政権つくらせろっていってくるよ    


朝鮮戦争アメリカは5万人も戦死者を出していながら、韓国を見捨てて逃げる算段もしていた。 
そして逃げるに当たっては韓国人は軍人32万人だけ連れて行って、他は見捨てる計画だった。移転先としてはサモア。(日本に連れて行く気は毛頭なかった) 
ウィキリークスがリークした当時の計画。 

 

また、動乱になって北九州か下関に臨時政府つくらせろと言ってくるよ、それが一番心配。