「楽天的な余りにも楽天的なユダヤ起源論!」 日本とユダヤ/魂の隠された絆―日本人の霊力を呼び覚ますユダヤ人の叡智! 中丸 薫 , ラビ・マーヴィン トケイヤー Rabbi Marvin Tokayer 2007/1/1 徳間書店

よくあるユダヤ起源論を展開するだがトケイヤー氏だが、秦氏は数が多すぎるのではないか? 日本最古の戸籍 7世紀の時点で九州にうじゃうじゃいる。
常々考えるのだが、渡来人って結局のところ、九州王朝政権の人のことだと思う。
この件に関しては後述。
かつて菊池山哉が唱えた「秦氏原住民説」が大いに気になる。渡来云々が嘘臭い。
歴史学者、考古学者は軽々しく渡来人っていうけどそもそも、渡来人ってそんなにきてない。海があるから渡れないよ。激しく強い対馬海流対馬海峡を渡れない。

 

最新の知見はこう。
水ノ江和同・考古学者「縄文人は海を越えたか?」より 朝日新聞出版 2022 
「まず何と言っても意外であったのは、朝鮮半島における九州由来の考古資料の少なさ、九州における朝鮮半島由来の考古資料の少なさである。」
「しかし、この遺跡の状況を見る限り、縄文人と「交流」を行った痕跡は存在しない。
 むしろ縄文文化の中にあって隔絶していた存在であったとも想定され、この遺跡には
 縄文人がまさに「行き来」していた程度の痕跡しかうかがうことはできない。」

 

保有政という古代ユダヤと日本の関係についての専門家がいる。
かつて私が渡来云々に疑問を投げ、菊池山哉が唱えた「秦氏原住民説」を紹介したら、
新撰姓氏録」ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%92%B0%E5%A7%93%E6%B0%8F%E9%8C%B2
を挙げて、「諸蕃」のなかに渡来人系の氏族で、326氏が挙げられていると反論してきた。
それはまさしく九州王朝政権の人々であると私は考えているのだ。

渡来できたのは、弥生時代後期、古墳時代ふくめてもせいぜい2、3千人てとこだと思う。終戦直後の話だけどエンジン付きの船ですらこう↓
*1996年6月19日生野区中川小学校教職員研修会における金徳煥(キム・トックァン)さんの講演 
さっきの話ですが、済州島にいる人たちを、親戚関係・ムラ社会を通じて、どんどん招ぶわけです。 「日本に来て働かんか。金儲けになるで。」というわけで、たくさんの人たちが日本にやって来ます。ただし、パスポートはありません。いわゆるドンドコ船と言いましたが、1週間、2週間、飲まず食わずで、 漁船の底に潜んで日本に来るのです。日本に来て、親類の人の所へ着けば、 

 

7世紀の遣唐使でさえ約半分が渡れなかった。国家公認の当時精一杯デカい船ですらそう。何万人も何十万人も渡来したなんてファンタジーにすぎない。

 

この本の独特な構成についてアマゾンレビューなどで評判が悪い。
唐突に対談と関係なく、中丸薫が「日月神事」と「竹内文書」に触れ、我が国にもこういうものがあるぞ的に両説を挟み込んでくるのだ。
だが私としては、両説ともに大いに気になるだけにこういう構成は大歓迎だ。
何を言いたいかといえば、古代ユダヤというものの、実質、本流はシュメールでは?というもの。
たとえば、箱舟伝説がある。
アララト山に、ノアの箱舟が行き着いたのが、7月18日とのこと。
四国剣山におみこし(じつは、アーク?)担ぎ上げる祭りがなぜか7月17日。

関係ある?
江戸川乱歩 シュメール語 ← http://www.teikoku-denmo.jp/history/honbun/kojiki.html