注目したのは幼い頃、徳満寺で柳田国男が見て今も残ってるという絵馬のこと。
「その図柄は、産褥の女が鉢巻きを締めて生まれたばかりの嬰児を抑えつけているという悲惨なものであった。障子にその女の影絵が映り、それには角が生えている。 その傍に地蔵様が立って泣いているというその意味を私は子供心に理解し、寒いような気持になったのを今でも覚えている」『故郷七十年』(38P)
柳田国男少年はあまりのことに衝撃を受けのちに農商務省へ入って日本の農村の貧しさを解消したいとの願いを持つきっかけとなった。
農政学者の川島博之氏によれば日本が養えるのは7000万人が限界で、それもよくやっていてすでに大正時代には限界ギリギリまで農地にしてるとのこと。
「ベルツの日記・上巻」(岩波文庫)を眺めていたら、明治の世、すでに3件も、アメリカで反日運動が盛り上がっているとの新聞記事が日本でも出ていた。
食えないから仕方なく移民する。白人と悶着を起こす。
鉄道建設とか請われて行ってやってるのに黄色人種が嫌いなのであろう白人が騒ぎ出す。
日本が戦争を起こした原因について昔から色々な人があれこれ言ってるが結局のところ詰まるところ国内で食えなかったからに尽きると思う。
食わせられないから満洲国とか発案して実行しそれがまた軋轢を生みという展開。
2年位前、バイデン政権下のアメリカで乳児用のミルクが枯渇するという「事件」があって、各国から援助しよう声が上がり、それではウチも何とかしましょうと森永乳業や明治乳業が手を挙げたがどうなるかと見ていたがその後続報がなくなってしまった。
ご存知の方、いらしたら教えてください。
たぶんおそらくだが、日本産のミルクは採用されなかったのではないか。
これも「人種差別」と言ったら言い過ぎか(笑)
柳田国男の故地、布川…。是非とも一度行ってみたい土地である。