全国日本部落史料 菊池山哉著 1981/八切 止夫 日本シェル出版 八切止夫という作家を知っていますか?

八切止夫という作家を知っていますか。
作家として戦国時代を独自の視点で描いて、けっこう売れたらしい。
その儲けを投入して自分で出版社を築地かどこかへ作り、戦前に出版禁止になったものを次々に自分の独自解説をくっつけて復刻出版していった。
しかも、ここからが大事。その復刻出版された「あぶない」本を希望者に無料進呈するということをやっていた。

1970年代の終わりごろのことである。
私が気づいたときにはその復刻出版されたものが古本屋に並び、値段が高くなりかけていた。

戸上駒之助「日本の民族」、三島敦雄 天孫人種六千年史の研究、木村鷹太郎、とくに天野信景著 「塩尻百巻」は良かった。
江戸時代の異説百科事典のようなもの。
江戸時代の八切 止夫?


とくに部落問題のまったく感じとれない地域に育ち、そんな問題がこの日本にあるのかと知らしめてくれたのも、この復刻書籍の菊池山哉を知ったからだ。
10年後くらいに別の出版社から次々と再発された。


八切 止夫(やぎり とめお、1914年12月22日 - 1987年4月28日)は、日本の小説家。日本シェル出版代表。戦前から戦後まもなくにかけては耶止説夫のペンネームで冒険小説や推理小説を書き、1960年代後半に八切止夫ペンネームでは歴史小説家となる。「八切史観」と呼ばれる独自の歴史観を展開した。

経歴
本名は矢留 節夫(やどめ せつお)。経歴には不明な点が多く、出身地には名古屋市という説と横浜市という説の両方がある。

旧制愛知一中(現在の愛知県立旭丘高等学校)を経て、日本大学専門部文学科で伊藤整に師事。1931年に同校を卒業した後、当時日本の委任統治領だったヤップ島に渡り、先住民相手に雑貨商を経営。帰国後、1939年1月に、オランダ領セレベス島へ海軍報国隊の一員として行き帰国する。『新青年』20巻16号に耶止説夫の筆名で『海洋冒険 珊瑚礁王国』を発表、以後、耶止説夫の筆名で紀行文『南方風物誌』や小説『青春赤道祭』など南方海洋文学を『新青年』誌上に発表するも、大本営により執筆禁止処分を受ける。

奇矯な性格から晩年は出版界から敬遠され、みずから日本シェル出版という出版社を設立して『八切止夫自由全集』を刊行した。同社の本の奥付には「本は読んでもらうためであり金ではない」とあり、送料さえ払えば5万円分の歴史関連の著書を贈呈すると書かれていた。

『サンカ民俗学』『サンカの歴史』などを著し山窩研究家としても知られる。民俗研究者の間では2000年代に入り、八切止夫の再評価があり、絶版となっていた著書の一部が再刊された。

同じく作家で歴史関係の諸説を発表している井沢元彦は「鉄砲の使用には硝石の輸入が不可欠である」と始めに主張したのは八切止夫だと述べるなど、八切の論を一部支持している。


日本の特殊部落発生史 1982/八切 止夫 (著) 日本シェル出版

 

日本古代史入門 Kindle版 八切 止夫 (著) 作品社(インプレス
日本古代史の根本文献である「古事記」「日本書紀」に対する徹底批判から出発し、古代王朝説から渡来系と原住民系の対立まで、これまでの論点をわかりやすく解説した八切版「古代史入門」

 

『明治史学会雑誌 : 日本歴史資料大成』 八切止夫校註(日本シェル出版 1976年)
塩尻百巻史料事典』 天野信景著、八切止夫校註(日本シェル出版 1980年)
旧約聖書日本史』 木村鷹太郎著、八切止夫編(日本シェル出版 1981年)
『日本奴隷史事典 : 庶民日本史料』 阿部弘蔵著、八切止夫校註(日本シェル出版 1980年)
『日本部落史料』 菊池山哉著、八切止夫編(日本シェル出版 1981年)
『海洋渡来日本史』 木村鷹太郎著、八切止夫編(日本シェル出版 1981年)
『明治密偵史 : 明治の新聞雑誌』 宮武外骨著、八切止夫編(日本シェル出版 1981年)
『謎だらけの日本史』 重田定一著、八切止夫校閲・補註(日本シェル出版 1981年)
『藤原王朝前日本歴史 : 七世紀までの歴史と言語よりみたる日本の民族 日本古代史』 戸上駒之助著、八切止夫校閲・補註(日本シェル出版 1981年)
『不可思議な国ジャポネ』 オラロ・ケント著、八切止夫校閲・補註(日本シェル出版 1983年)
脚注


野史辞典―八切日本史字典 2003/八切 止夫 (著) 作品社
八切止夫が16年の歳月を費やした畢生のライフワーク。庶民の側の歴史=野史によって日本史の正史を覆す八切史観のエッセンスがつまった辞典。古代から近代まで厳選された1000項目を詳述。日本シェル出版80年刊の復刊。

 

信長殺し、光秀ではない (八切意外史) 新書 2002/八切 止夫 (著), 末国 善己 (監修), 縄田 一男 作品社

 

徳川家康は二人だった (八切意外史) 新書 – 2002/八切 止夫 (著), 末国 善己 (監修), 縄田 一男 小和田 哲男 作品社
松平元康(徳川家康)は、実は死んでいた? 徳川家では、三河出身者は1万石以下の旗本として冷遇され、他国者だけ大名に立身した謎に、独自の視点で迫る。1972年番町書房刊を底本として復刊。

 

上杉謙信は女だった (八切意外史) 新書 2002/八切 止夫 (著), 末国 善己 (監修), 縄田 一男 寺田 博

 

八切止夫作品集
https://www.rekishi.info/library/yagiri/index.html

↑有志の方が作ってくれたサイト。これは古い。20年前からあるのでは? 今回繋がってちゃんと読めることを確認。


八切が唱えた仮説・異説の数々

 

上杉謙信は女だった(上杉謙信女性説)
織田信長を殺したのは光秀ではない(イエズス会犯人説)
徳川家康は四人いた(徳川家康の影武者説)
天皇アラブ渡来説(戦前のシュメール・バビロニア説のリメイク)
平家の祖先はペルシャ
源氏軍の前線に立った下部兵士は渤海国が滅亡した際に逃げてきた民族
藤原氏の起源は、白村江の戦いに勝って日本に進駐した唐軍2000人で、これによって漢字と仏教がもたらされた
大和朝廷百済
日本の被差別民の発端は、上記の唐・百済系によって奴隷にされた非仏教徒や原住民
信長、秀吉、家康は被差別民出身
仏教の布教には大麻が使われた
キリスト教は、火薬に使われるチリ硝石の販売で武将らを懐柔した(キリシタン大名チリ硝石入手のため)
チリ硝石購入の対価として、日本人奴隷が売られた
奴隷売買を禁止するため、秀吉はキリシタン宣教師追放令を出した
ヨーロッパの世界的侵略の成功はチリ硝石がもたらした
伊達政宗は二人いた(小田原合戦前の片目の猛将は妻(愛姫)のなりすましで、それ以後の文化人、教養人が本物の政宗。眼帯もダテ眼帯で両目があった)
ジェロニモ尾張藩士の森次郎右衛門が逐電、脱藩して渡米した後の姿