京都の歴史を足元からさぐる 洛北・上京・山科の巻 2019/1/31森 浩一 (著)学生社 「森浩一、賛江……」

日本の都として千年余の歴史を誇る古都・京都に秘められた歴史遺産の数々!洛北・上京・山科一帯に隠された歴史の跡を実地に歩きエピソードを綴る!有名な神社・寺院はもちろん、地元の人でも知らない歴史スポットにも光を当てた、森史学の集大成!

 

私が森浩一を知ったのは、関西人なのに、邪馬台国九州説を贔屓してるような数々の著書からの発言である。
おや? この人は珍しいな、関西人なのに、九州説派なのか、といったくだらない視点である。

 

この、「京都の歴史を足元からさぐる」は確か森浩一氏の遺作であって、古本屋でもお目にかからない「希書」である。
今回、通読してみて改めて森浩一先生の凄さ、偉大さを感じた。
あっという間の6冊であった。

京都は歴史の深いところとは知っていたが、よもやこれまでとは、と思う関東人であった。
森浩一先生の素晴らしいところは、透析治療を続けながら、歴史書を読み、かならず現地に行って自分の経験として書き残していることである。


ヤマトという地名も北部九州から移った

考古学者・森浩一、最後のインタビュー(足立倫行「倭人伝、古事記の正体」2012)

伊都国の平原古墓は、すべての銅鏡が破砕して墓に埋納されていたことで有名ですが
奈良県桜井市の前期の外山茶臼山古墳でも、2009年の再調査で、実に81面の
銅鏡が埋納され、ことごとく破片だったことがわかりました、2つの墓は
100年ほど年代が隔たっていますが、弥生時代の近畿には墓へ銅鏡を入れる風習も、
その銅鏡を割る風習もなかったことを考えると、北部九州の強い影響は明らかです。

また「魏志倭人伝」では、中国人が倭地の朱や丹に関心を持っていたことが記されていますが、
伊都国の平原古墓や井原鑓溝古墓では棺の中に大量の朱が使われました
近畿でも、前期の前方後円墳では遺骸の周囲に朱を撒くことが知られており、
奈良天理市の大和天神山古墳では約40キロもの朱がキビツに埋納されていた
これなども、北部九州からの風習の伝播でしょうね。
そもそも、ヤマトという地域名、いずれ国名になる名称自体が北部九州からの東遷の結果です。

↑関西人なのに、この認識! ただただ、立派というほかない。


考古学者 森浩一氏
ヤマタイ国奈良説をとなえる人が知らぬ顔をしている問題がある。(中略) 
倭人伝では、”養蚕をおこない、糸をつむぎ、細やかな(けん)や緜(めん)を作っている”。作っていただけでなく、魏へ二度めに派遣された使者が献じた品物のなかに、”倭錦、青、緜衣、帛布”などがある。
(中略) 
 布目氏(布目順郎氏、京都工芸繊維大学名誉教授)の名著に『絹の東伝』(小学館)がある。目次を見ると、
『絹を出した遺跡の分布から邪馬台国の所在地等を探る』の項目がある。 
 簡単に言えば、弥生時代にかぎると、絹の出土しているのは福岡、佐賀、長崎の三県に集中し、前方後円墳の時代、
つまり4世紀とそれ以降になると奈良や京都にも出土しはじめる事実を東伝と表現された。 布目氏の結論はいうまでもなかろう。倭人伝の絹の記事に対応できるのは、北部九州であり、ヤマタイ国もそのなかに求めるべきだということである。この事実は論破しにくいので、つい知らぬ顔になるのだろう。

 

117ページ
ここでも先に注意しておきたいことが一つある。奈良盆地全域を「大和」と表記し、大和政権とか大和の古墳文化などということが当たり前のように使われている。しかし、「大和」の二字の表記も8世中ごろに初めて使われるので、古墳時代、まして弥生時代に「大和」の二字表記できる地名はない。
使用する漢字によって人々に誤解をうえつけるのは、暗黙のうちに大和中心主義に加担していることになる。

学問とは真実の探求のために死に物狂いの努力を続けることである。
黒塚古墳の発掘で三角縁神獣鏡が化粧具ではなく葬具として大量製作されたことが明らかになっても、まだ黒塚古墳の三角縁神獣鏡を「卑弥呼の鏡」というような非歴史的な言葉を使ってよんでいる鏡の専門家なる人がいるのは、もはや茶番を超えている。

 

↑あちゃ~ 手厳しい 邪馬台国畿内説、完全論破完全粉砕(笑)!! 素晴らしい!


かぐや姫竹取物語にかんする論考も興味深い。
かぐや姫の住んでいたところ(筒木の隣にある山本だと)から、子安貝(中国で貨幣として流通していた。日本の海・沖縄辺りでしか取れない)についての考察まで。
竹取物語自体が隼人文化の凝縮ではないかとする。

 

古代探求―森浩一70の疑問(1998年07月、中央公論新社)

↑これなんか思い出してしまった。 
森浩一の70の質問から(農村=集落と考えてよいのか?など)いま明らかにされる、もっとも新しい日本の古代像。歴史家、考古学者、科学者、作家70人が答える。森浩一先生は、新聞記者のような平明な文章を書かれる第一級の文章人でもある。


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