「神風」(1972年) (ハヤカワ・ノンフィクション) ベルナール・ミロー (著), 内藤 一郎 (翻訳)

原書刊行は1970年。タイトルは『叙事詩カミカゼ』。
特攻に思いを馳せたフランス人がいた。

その目の付けどころと精神性の深さが迫ってくる。

 

 第9章「彼らの教えてくれたもの」 
「日本と日本人がアメリカのプラグマティズムと正面衝突をし、そして戦争末期の数ヶ月間にアメリカの圧倒的な物量と技術的優位の前に、決定的な優勢を敵に許してしまったとき、日本人は対抗手段を過去からひき出してきた。すなわち伝統的な国家への殉死、肉弾攻撃法である。 
 このことを、我々西欧人はわらったり、あわれんだりしていいものであろうか。むしろそれは偉大な純粋性の発露ではなかろうか。日本国民はそれをあえて実行したことによって、人生の真の意義、その重大な意義を人間の偉大さに帰納することのできた、世界で最後の国民となった。

 ベルナール・ミロー(フランス ジャーナリスト) 
 1929年パリに生まれる。ジャーナリスト。第二次世界大戦に関する記事には定評がある。 20歳のとき太平洋戦争に関する極めて重要な資料を収集。「太平洋戦争」のタイトルで上梓された二巻 (「日本の進撃」「アメリカの逆襲」共にロベール・ラフォン刊)は、太平洋地域の戦闘に関する権威となっている。 

 

「本書の目的は、そのような皮相的な見方から一歩踏みこんで、西欧から見た神風に、新たな脚光を浴びせることであった。また著者の意図したところは、この日本の自殺攻撃が集団的発狂の興奮の結果などでは断じてなく、国家的心理の論理的延長が到達した点であらわれた現象であり、戦局の重圧がそれをもたらしたものであることを明らかにすることにあった。
日本において2000年間眠りつづけてきたハスの実が、栽培されて開華したことを耳にしたことがある。
その花に著者は神風の精神をなんとなくなぞらえてみたくなった。 

 たしかに日本人の実行したこの突飛な飛躍はむなしい。結果としてのいたましい敗戦に、この行為はあまりにも不合理とも見えよう。そしてこの行為に散華した若者たちの命は、あらゆる戦争におけると同様に無益であった。


たしかに我々西欧人は戦術的自殺行動などという観念を容認することができない。しかしまた、日本のこれら特攻志願者の人間に、無感動のままでいることも到底できないのである。

これら日本の英雄達は、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られてしまったことの使命を、 とり出して見せつけてくれたのである。
彼らを活気づけていた論理がどうあれ、彼らの勇気、決意、、自己犠牲には、感嘆を禁じ得ないし、また禁ずべきではない。

彼らは人間というものがそのようであり得ることの可能なことを、はっきりと我々に示してくれているのである。」 
 
2014/03/06 【中国メディア】日本の“神風特攻隊”の遺産申請、欧州メディアが「ユネスコの趣旨に反する」と疑問視