絶望の精神史 体験した「明治百年」の悲惨と残酷 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ) 1996/金子 光晴 (著) 詩人/人間の悲劇 ――金子光晴自伝的作品集 (ちくま文庫 か-47-4) 2023/8/9
詩人・金子光晴の散文が好きである。
とくに終戦直後に書かれたこの2著がいい。
金子光晴は凄い。
右でも左でもない、本当の自由人だ。
明治をヒゲの時代だとするところもいい。
とりわけ私が感動するのは、気管支喘息の息子のために、徴兵検査をボイコットして、戦争中、山中湖に移住して、なかば世捨て人として生きるところだ。
と、ここまで書いてみたが気になることがあって調べてみたら、ツボにはまってしまった。
息子さんが一人いて、どうやらこの息子さん、典型的な「兵役忌避者」だったようだ。
貧しい空寺の番人で絶望の生涯を終えた金子光晴の実父。恋愛神聖論の後、自殺した北村透谷。才能の不足を嘆じて自分の指を断ち切り芸術への野心を捨てた友人の彫刻家。時代の奥の真裸の人間を凝視する明治生まれの詩人が近代100年の夢に挫折した日本人の原体験をたどり日本人であるがゆえの背負わされた宿命の根源を衝く。近代史の歪みを痛烈に批判する自伝的歴史エッセイ。
金子/光晴
明治28年(1895)、愛知県に生まれる。早大、東京美術学校、慶大をいずれも中退。大正8年、『赤土の家』を出版後渡欧、ボードレール、ヴェルハーレンに親しむ。大正12年、『こがね虫』で詩壇に認められたが、昭和3年、作家である夫人森三千代とともにふたたび日本を脱出、中国、ヨーロッパ、東南アジアを放浪。昭和10年、詩「鮫」を発表以来、多くの抵抗詩を書く。昭和50年6月没
いろいろ調べていたら経営コンサルタントの立花 聡 (Satoshi Tachibana)のサイトがズバリ、金子光晴の息子の件について書いている。
ここで紹介したい。
https://www.tachibana.asia/?s=%E9%87%91%E5%AD%90%E5%85%89%E6%99%B4
立花 聡 (Satoshi Tachibana)
経営コンサルタント・哲学研究者。法学博士・上級経営学修士(EMBA)。1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。現在マレーシア・クアラルンプール在住、中国、ベトナムと東南アジアで活躍中。
1944年11月、長男に徴兵召集令状が送られてくる。金子は息子を戦場に送り、無駄死にさせたくなかった。そこで、仮病に仕立て上げることにした。長男を応接間に閉じ込めて、生松葉を燃やし、モウモウと噴き上げる煙で燻いぶして肺や気管を痛めたり、雨の夜に、素っ裸にした長男を長時間、外に立たせて風邪を引かせたり、本を詰め込んだ重いリュックを背負わせて、夜中に坂道を何度も登り下りさせて体力を損なうという鬼のような荒行を課したのである。その「成果」があってか、長男は気管支喘息の症状が加重し、ついに「召集猶予」の判断が下される。
1945年3月、2度目の召集令状が届く。当時、長男は親から発症させられた気管支喘息がまだ十分治っていなかったが、金子夫妻はさらにその症状を悪化させるために、まだ寒い季節だというのに、長時間、長男を冷たい水風呂に入れる。見事に症状が悪化し、前回と同様、召集の一時回避を勝ち取るのである。そのような執念の時間稼ぎのなかで終戦となったため、結局、長男は徴兵から逃れた(ジョーナリスト福永勝也『反骨,離群,そして抵抗の詩人,金子光晴のパリ彷徨と「ねむれ巴里」』より抜粋引用)。
↑ジョーナリスト福永勝也『反骨,離群,そして抵抗の詩人,金子光晴のパリ彷徨と「ねむれ巴里」』より抜粋引用)。
この本はとうとう見つけられなかった。
パリ時代も犯罪者すれすれの無軌道な生き方をしていたようだ。
立花さんの金子光晴に対する見方は非常に厳しい。
私も初めて知ることばかりで、オロオロしてしまっている。
タイトルに挙げた2冊の文庫本に金子光晴の詳細な年表があるが、肝心の1945年の息子さんの件はぼかして書いてある。
これでは、徴兵忌避者だとわからない。
徴兵忌避者といえば、私にとっては丸谷才一の小説・笹まくらである。
当時、全国で2万人ほどは「逃亡者」が存在したという。
笹まくら (新潮文庫) 1974/丸谷 才一 (著)
笹まくら…旅寝…かさかさする音が不安な感じ…やりきれない不安な旅。
戦争中、徴兵を忌避して日本全国に逃避の旅をつづけた杉浦健次こと浜田庄吉。
20年後、大学職員として学内政治の波動のまにまに浮き沈みする彼。
過去と現在を自在に往きかう変化に富む筆致を駆使して、徴兵忌避者のスリリングな内面と、現在の日常に投じるその影をみごとに描いて、戦争と戦後の意味を問う秀作。
日本文学史上、安部公房の「砂の女」と並ぶ最高傑作と信じてる。
徴兵忌避者のスリリングな内面と、現在の日常に投じるその影をみごとに描いて、戦争と戦後の意味を問う秀作。
抜群の着想、あの孤絶、あの哀感、あのスリル、すべてにおいて優れた小説である。
丸谷才一氏の著書、「徴兵忌避者としての夏目漱石」(丸谷才一全集 第9巻所収)で、そのことについて書いている。
北海道に住所を移していたのも 徴兵拒否のためだとか言われている。
小説「こころ」の主人公が自殺するのは、徴兵逃れをしたことに対する漱石の良心の呵責が表現されたものだという説がある。
まず初めに、「徴兵忌避者としての夏目漱石」という事実があって、丸谷才一の脳裏に深く沈潜し、やがてそれが大傑作・笹まくらに結実したんだなというところがわかって興味深い。
夏目漱石… 坊ちゃんと吾輩は猫である、は凄まじくおもしろかったが、それ以外がクソつまらないという感想。
この説の真偽はわからないが、たしかに戦前の作家には、徴兵という心配事が人生につきまとったのだ。
作家という観点で、いろいろ分析しているが本当のところは本人じゃなきゃわからない。
ついでに、裸の大将で知られる山下清も放浪は「徴兵からの脱走」だったのです。実際徴兵検査に落ちたんですが。
おしまいに、金子光晴のこの件についての詩とおぼしきもの引用して終わりたい。
詩のかたちで書かれた一つの物語
父と子が二人で
一枚の猿股しか持っていないので
かわりばんこに、はいて外出する
この貧乏は東洋風だ
貧乏に吸い取られて
ひょろめく人間。
貧乏とはつまり骨と皮だけで
血と肉とに乏しいということだ。
父が死んだので、子は
前よりもゆたかになった。
二人で一つの猿股が
一人の所有になったからだ。
だが、子供が水浴びしていたとき
蟹が猿股をひいていったので
子は誰よりも貧乏な
無一物になりはてた。
併せて読みたい
マレー蘭印紀行 (中公文庫) Kindle版 金子光晴 (著) 1978/1/1
昭和初年、夫人三千代とともに流浪する詩人の旅はいつ果てるともなくつづく。東南アジアの自然の色彩と生きるものの営為を描く。
どくろ杯 (中公文庫) Kindle版 金子光晴 (著) 2004/8/1
『こがね蟲』で詩壇に登場した詩人は、その輝きを残し、夫人と中国に渡る。長い放浪の旅が始まった――青春と詩を描く自伝。