岸和田藩主、岡部家の当主の肩に、代々の肩に、(狼にかまれた)とおぼしき、噛み跡が残っている

民俗学者・大林太良の名著・邪馬台国 入墨とポンチョと卑弥呼中公新書 1977)を読んでいて、倭人は文身をしていたとの記述から広がって、いろいろな例をあげているところ。

 

水中の動物から身を守るために竜の文身をする習俗は、このほかにもたくさんある。
ところで、竜の文身の伝統はラオスでは現代まで続いていたが、じつは中国や日本でも、後世までいろいろな形で続いていた。

 

北九州や瀬戸内海西部の海部の英雄たちで、その祖が竜蛇神と交わったため、尾やうろこの形を身に着けていた、という話はたくさんある。
豊後の緒方(尾形)や、伊予の河野はみな竜神の子孫である。
「塵添挨嚢抄 じんてんあいのうしょう」(室町末)に、応神天皇に竜尾があったのも、神武天皇の祖母が竜神だから当然だと、著者は言っている。


これを読んで、岸和田市産婦人科医をやりながら、物質民俗学を極めたと言っていい業績をあげたこの人の、この貴重な対談を思い出した。

 

物質民俗学の視点 (1) (若尾民俗叢書) 1989/1/1若尾 五雄 (著) 現代創造社

第3章「岸和田狼王と水の神」より

 

岸和田藩主岡部家の当主の肩に、代々の肩に、(狼にかまれた)とおぼしき、噛み跡が残っているというのである。
にわかに信じられない話だが、民俗学者・若尾 五雄がじかに当主にインタビューして確かめた貴重な対談である。
嚙み跡は、確かにあるという。

対談時・昭和34年7月1959年

 

岸和田藩主岡部家の当主の肩に、代々の肩に、

 

↑この部分が、医療的にみてどうなのか、興味をそそる。


岡部家について 
 岸和田藩主岡部家は、もともとは今川家の家臣であり岡部元信らが有名ですが、藩祖の岡部長盛徳川家康の家臣として大名となり、その子宣勝は岸和田藩主となりました。この宣勝の孫が3代藩主の長泰で、岸和田城三の丸にて五穀豊穣を祈願する稲荷祭りを行い、これが岸和田だんじり祭りの起源とされています。

※ちなみに、だんじり発祥の地は岸和田ではなく、天満や鳳や和泉府中などが発祥の地と言われており、諸説あって確定的ではありません。


岡部家は明治維新後に子爵となり、華族として活躍していて、具体的には、最後の藩主長職と長景の父子は大臣を務め、長景の末弟の長章は昭和天皇の侍従を務め、三菱の岩崎輝弥の娘と結婚しています。また、長職三男の長挙は朝日新聞社初代社主の村山龍平の長女と結婚し、村山家の婿養子となって朝日新聞社の社長となっています。 


◆岡部長景
 1884年 誕生
 1909年 外務省入省(-1930年)
 1926年 子爵襲爵
 1930年 貴族院議員(-1946年)
 1935年 陸軍政務次官(-1936年)
 1943年 文部大臣(-1944年)
 1944年 大日本育英会会長
 1945年 逮捕(戦犯容疑)
 1946年 公職追放(-1952年)
 1947年 釈放
 1952年 国立近代美術館館長(-1960年)
 1970年 死去
  父:岡部長職
  母:
  妻:加藤悦子(内閣総理大臣 加藤高明の長女)
    長男:岡部長衡

◆岡部長衡
 1913年 誕生
 防衛庁
 トモエ・ユニット社長
  父:岡部長景
  母:加藤悦子(内閣総理大臣 加藤高明の長女)
  妻:毛利綾子(子爵 毛利元雄の二女)
    長男:岡部長忠
    二男:岡部長義

◆岡部長忠
 1941年 誕生
 日本中央競馬会
  父:岡部長衡
  母:毛利綾子(子爵 毛利元雄の二女)
  妻:北沢貴美子(北沢仁の長女)
    長男:岡部長智
    二男:岡部長親


対談時 昭和34年 7月 1959年 残念なことに、この3人のうち、どなたかは特定できなかった…

 

狼がくわえてきた子ども 更新日:2018年10月08日
(写真)35okami.jpg
いまから千年も昔のこと。京都の加茂川の堤に藤原兼輔という貴族が住んでいました。兼輔は、中納言という役に就いたことから、堤中納言とも呼ばれていました。この堤中納言が朝比奈川のほとりに一人で仮り住まいをしていたことがありました。

ある夏の宵のことです。中納言は読書に飽き、川のほとりに散歩に出かけました。田んぼで働いていた農民たちが、川で足を洗ったり、着物を洗ったりしています。

すると、「お父、はやく帰ろう」と、子どもたちが迎えに来ました。

その様子をずっと見ていた中納言は、自分にも子どもがいたら、ああして迎えに来てもらえるのにな、と思うとたまらなく寂しくなってきました。

中納言はたいそう丁寧に八幡宮でお祈りをしました。

中納言が小坂まで帰ってきたそのときです。突然、目の前に何かが飛び出してきました。

「あ、狼だ」

と叫んだときには、もう姿が見えません。その場には、狼が口にくわえてきた包みが一つ置かれていました。

「なんだろう」

中納言がのぞいてみると、

「おお、子どもだ」

見れば錦の着物を着た赤子が寝ています。

「これはきっと八幡さまがお授けくださったにちがいない」

抱き上げると、赤ちゃんは大きな目をぱっちり開け、にっこり。中納言はあまりのうれしさに、子守唄を口ずさみながら、家に連れて帰りました。

その後、中納言は赤ちゃんをそれはそれは大事に育てました。その子は病気もせずに、すくすくと大きくなりました。十五歳になり、元服すると、吉泰と名を改めました。吉泰はたいそう武勇がすぐれた人だったそうです。吉泰は岸和田藩(大阪府)の藩主(大名)となった岡部氏の先祖と言われています。また、岡部氏の男の子の肩には、代々、狼の歯形が残っていたといいます。


https://www.city.fujieda.shizuoka.jp/kyodomuse/11/12/1445916551201.html

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