「……かような席では、何か風情を添えるものを酒の肴とすると聞いております。少々、お待ちください。私がお肴を差し上げます」 たたかいの原像―民俗としての武士道 (平凡社選書)1991/6/1千葉 徳爾 (著)

たった一つの冒頭のセリフを書きたいがためにこれを書いている。

 

人が命をかけてたたかう時、人の命を絶とうとする時、人間や文化の本性が最もあらわになる。相手を倒すまで、全力をあげてたたかい、相手を傷つけたら、とどめを刺し、敗れたら、刺し違えて相手も道連れにする…。人として死ぬ、あるいは人として死なせる、その作法や約束ごとは、文化そのものだ。切腹―名誉ある死にかた。殉死―共に生き共に死ぬ、男どうしの情愛。これらを「残酷」とする、西欧流の人道主義とは異質な生命観、人間観が、ここにはある。人と獣が殺しあう狩猟伝承の研究に20年間たずさわった著者が、いよいよ人と人の殺しあいに目を向け、「日本精神」のひとつの大きな原郷に踏み込む。

 

「……かような席では、何か風情を添えるものを酒の肴とすると聞いております。少々、お待ちください。私がお肴を差し上げます。」

 

殺生関白・豊臣秀次が、秀吉より切腹を申し渡され高野山切腹に及ぶ、一切を、見届け人の証言をもとに書き起こしたもの。
川角三郎右衛門による、「川角太閤記」である。  

 

武士といっても時代により変遷がある。
江戸時代末期の武士は悲惨だ。平和な世の中で、もはや下級官僚となり、7パーセントの人口を占める彼らは実質、日本社会の余り者だ。
やはり、武士と言えば戦国時代になるだろう。
中でも末期、武士が刀を置く前が凄い。
私見だが、武士道の極北としての、「何か風情を添えるものを酒の肴とすると聞いております」だ。

 

「……秀次から与えられる盃が順次めぐっていくと自分が最後になる、と悟った小姓・不破万作は、「各々、きこしめされたまえ(召し上がる。▽「食ふ」「飲む」の尊敬語)」と言い始めた。

「…倅がわがままを申し上げるようですが、ふだん召し上がられない酒(最後の酒の事)をお飲みになる時ですので、かような席では、何か風情を添えるものを酒の肴とすると聞いております。少々、お待ちください。私がお肴を差し上げます。」と座を立つ。
一同が万作が何を持ち出すのかと盃をひかえると、彼は机の上から万作と名を記した切腹用の脇差を取り、手早くもろ肌脱ぎとなって白洲めがけて走り出た。腹を切るとみた秀次は、「介錯してやる、待て」と言って、検使に小姓の刀でもよいから介錯用の太刀をというと、万作は白洲に座って待つ。……」

 

「人生の最後に当たって心ゆくまで自己を主張して死にたい、という気持ちは人間なら多かれ少なかれ持つものかもしれないが、それを最大限に時と場所を無視して発揮しようというのがサムライたるものの本領であり、この場での彼ら小姓たちの態度であったとみられる。」

 

ここで著者は折口信夫の名解釈をもってくる。
「ごろつき(無頼漢)の話」(昭和3年、1928「古代研究」所収)。
「ところで彼らのものの考え方には独特のものがあった。折口信夫に従うと、それは情念のおもむくままに、意気に感じる気分に従って生きるという点にあり、そのためには生命を失うことも辞さぬという風がある。これはもともと彼らが山野を生活の場とし、芸能ことに舞や踊りの芸によって農民たちを祝福することによせて自ら衣食する、いわゆる芸術売買の徒であったからであろう。武芸もまた芸術の一種である。その一部はついに歌舞伎一座にまで発達したが、時と処とを得なかった者は近世社会の組織化に伴って「人入れ稼業」から侠客へ、さらに博徒暴力団といった暗黒面に入ってゆかざるを得なかったといえる」    

 

「花祭」が折口信夫の念頭にあったに違いない。
昭和初期、奥三河でまさに「発見」されて、東京でレビューにまでなって、折口信夫も通いつめ、やがて、「ここは傭兵の村だった」と喝破した折口信夫らしい名解釈である。

 

ここから私の発想は「日本人、ドイツ人、歩兵世界最強説」に飛ぶ(笑)。
仕事の関係で、来日したシナ人、朝鮮人と会話する機会が多い。
シナ人はジコチュウーというか、やはり会話していても歴史の浅さを感じることが多い。
でも、シナ人は陽気だから私は彼らが嫌いではない。

 

朝鮮戦争当時の連合国司令官のリッジウェイ将軍が、韓国軍はどれだけいい装備を与えてもそれを投げ出して逃げてばかりで、役立たずすぎて損害がひどいって回顧録で嘆いてた (笑)。
最近もウクライナで戦ってる日本人兵士のインタビューを見ていたら、「韓国人はすぐ逃げる」と言ってた。
民族性はそうそう変わるものではない。

 

400年前に、「かような席では、何か風情を添えるものを酒の肴とすると聞いております。少々、お待ちください」ということを言った民族と、そんなことには考えも及ばない民族の差は大きい。
そういう感覚で自分らを見てるとは夢にも思わぬから大層面白い(笑)。

 

併せて読みたい
現代訳 川角太閤記 下 (史学社文庫) 川角三郎右衛門 (著), 山﨑白露 (翻訳)  第 2 巻 (全 2 冊)
狩猟伝承 ものと人間の文化史 千葉徳爾 (著)  法政大学出版局 (1975/2/25)
負けいくさの構造―日本人の戦争観 (平凡社選書 (153)) 1994/7/1千葉 徳爾 (著)